新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

角館地区の酒蔵巡り

2022-10-30 23:45:54 | 食文化

先日の中仙地区の酒蔵巡りの後、足を延ばして角館も見に行きました。現在角館地区には造り酒屋はありません。横町にある五井酒造店<酒銘・白梅>がかつて酒造りを行っていました。五井家は享保21年(1736)には今の地に記録が残る大商家で、藩の米を大坂堂島に運送したり、阿仁鉱山に運んだりと藩御用商人として、また班に資金を融通するなどの仕事を行っていたとのこと。

酒造りが何時から始められたかは不明ですが、昭和9年には記録が残っており、戦時中の企業整備で廃止工場となり、昭和39年に復活したものの同49年(1974)には醸造業務を廃止し、他社からの買入酒の壜詰を主な業務としたとのこと。現在は酒販売店として営業しています。どうしても造り酒屋はお客さんがほとんどいないため、買わないと出て来られなくなりそうなので、外から写真撮影で今回は終了。

次に、この近くにあったとされる北仙醸造<酒銘・国の花>の痕跡探し。場所の特定が出来ていないので、近くにあった酒屋に飛び込み聞いてみました。すると、現在コンビニなどがある角地に以前「角館ブラザ」があり、その前にあったのが酒蔵だったのでは、とのお話。店主でなかったので、詳しくはわからずで、続いて、道向かいにあるタクシー会社の方に聞いたところ、それはここだったとのこと。仕事中でその一言しか頂けませんでしたが、この一角にあったようです。

前仙北市長のブログでは、昔この通りを歩くと瓶を洗う音が聞こえたとの文章があり、そういうことだったようです。ちなみに前仙北市長はこの国の花ブランドの酒の復興プロジェクトを考えているとのこと(2021年記載)。

北仙醸造は明治3年(1870)に武村茂助が創業、大正8年(1919)に地元有力者複数が買収し会社組織として設立されたとのこと。昭和15年(1940)に中仙町(豊川)にあった葛川酒造を吸収し、<国の花>の銘で業容拡大し、昭和18年の企業整備時には仙北郡最大規模になっていたとのことで、企業整備による仙北酒類製造設立時には角館工場として操業。昭和31年の仙北酒類製造解散により元の会社に戻り、昭和53年に男鹿に工場移転を計画したが、実現せずに翌年廃業とのこと(参考・秋田県酒造史)。昭和53年前後に何があったのか、非常に知りたいものですし、それが理由なのか、場所が街中だったからなのか、痕跡を探すのは難しいようです。

角館の武家屋敷通りは、全国旅行支援の影響もあるようで、パラパラと観光客の姿がありました。

のち


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