五城目バーチャル旅行の続き。五城目の場所は、鎌倉・室町時代には、津軽から分家し、のちに秋田氏を名乗る安東氏の勢力圏で、北(能代・桧山家)と南(秋田・湊家)の中間に位置する重要な場所で、戦国時代にあったというお家騒動では、両軍が入り乱れる形で、多くの城(砦)が作られたとのこと。
とはいえ、五城目というのは、5つの城というわけではなく、かつて平安時代には「率浦(いそうら)郷」と呼ばれる港があり、鎌倉に「五十目(いそのめ)」、江戸後期に「五十目(ごじゅうめ)」と呼ばれるようになって、明治になり「五城目」を当て字したということ。
五城目と云えば、朝市が県内では知られていますが、その歴史ある朝市も、元々は奥にあった城下町で開かれていたものだそうです。また五城目町は秋田市の北にあるのに、現在では南秋田郡に属しています。これも元々あった秋田郡が北と南に分かれ、その後秋田市が群から市政制度の導入で分離されたため、変な形で南秋田郡があるという話は、秋田県内では、初歩の話のようですが、調べてみて初めて知りました。
とはいえ、五城目というのは、5つの城というわけではなく、かつて平安時代には「率浦(いそうら)郷」と呼ばれる港があり、鎌倉に「五十目(いそのめ)」、江戸後期に「五十目(ごじゅうめ)」と呼ばれるようになって、明治になり「五城目」を当て字したということ。
五城目と云えば、朝市が県内では知られていますが、その歴史ある朝市も、元々は奥にあった城下町で開かれていたものだそうです。また五城目町は秋田市の北にあるのに、現在では南秋田郡に属しています。これも元々あった秋田郡が北と南に分かれ、その後秋田市が群から市政制度の導入で分離されたため、変な形で南秋田郡があるという話は、秋田県内では、初歩の話のようですが、調べてみて初めて知りました。
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