フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月12日(日) 曇り一時小雨

2020-01-14 23:08:04 | Weblog

9時、起床。

トースト、サラダ(+ウィンナー)、牛乳、紅茶の朝食。

朝食にもデザートがある。

3時頃、散歩に出る。

「そば新」で昼食をとる。

定番の天玉うどん。

恵比寿ガーデンプレイスの一角にある東京都写真美術館へ行く。

恵比寿ガーデンプレイスタワー(39階)。帰りに上まで上がってみよう。

三連休の中日だが、雨模様のせいか、そんなに混んではいない。

TOKYO PHOTOGRAPHIC ART MUSEUM。「TPA」じゃなくて「TOP」なのね。

私は年間パスポート(3000円+税)を持っている。収蔵展は無料、企画展は4回まで無料、誘致展は2割引き。

3つの展示会(いずれも1月26日まで)を観た。

 山沢栄子 私の現代 (企画展)

 至近距離の宇宙 日本の新進作家vol.16 (企画展)

 中野正貴写真展「東京」 (誘致展)

最初に3階の展示室の「山沢栄子 私の現在」。

私は彼女について何の予備知識もなかった。だからパンフレットで彼女が1899年の生まれ(亡くなったのは1995年)で、日本における女性写真家の草分け的存在と知って驚いた。ポスターに使われている写真を見て、現代の前衛的な写真家だと思い込んでいたからだ。

展示室の入口の外に大きく飾られた2枚の写真。左はポスターに使われていた「What I Am Doing No.9」(1980)。右は「仔犬」(1962)。これが同じ作家の写真であるとは思えない。一口で言えば、写実から抽象へ。ずいぶんと変貌したものである。

ただし、一口に写実といっても、チラシの裏に載ってい作品でいえば、「静物 机、皿、りんご」(1961)や「仔犬」(1958)のような身の回りの静物や動物を撮った写真もあれば、「歩く老婦人」(1955)や「新聞配達の少年」(1960)のようなアメリカンドキュメント(及びその日本版)のような写真もある。しかし、彼女はリアリズムの内包する2つのベクトル(内向きと外向き)のどちらにも進まず、リアリズムを離れて抽象の方へ転身した。その作品は一見抽象画のようであるが、キャンバスに描かれたものではなく、三次元の被写体を撮っているという点であくまでも写真である。

続いて、2階の展示室の「至近距離の宇宙 日本の新進作家vol.16」を観た。写真・映像の可能性に挑戦する新進作家の活動を紹介・支援するシリーズの16回目。今回は「はるか遠い世界にいくのではなく、ごく身近な身の回りに深遠な宇宙を見いだし作品を制作する6人の作家を紹介します」とのこと。

6人の作家のうち、私が一番見入ったのは藤安敦の作品だ。

彼は双子の写真を撮り続ける。彼自身が双子で、ものごころついた頃から双子の一人であること、自分によく似た他者がそばにいることのを意識して生きてきた。そのことの意味と向き合うために彼は双子の写真を撮り続けている。その際、彼がこころがけていることがある。双子を別々の写真で撮ること(並んだ双子の写真を撮らないこと)。なるほど、と思った。双子といえど、当然のことながら、二人は別々の人間であり人格である。ただし、作品の中には二枚セットでないもの、双子の一人しか写真のないものもある。それは様々な理由でもう一人を撮影することができなかったものである。様々な理由については具体的に説明されていないが、アイデンティティの喪失や欠落としてその一人の表情を見てしまうのはたぶん私の先入観がそうさせているのかもしれない。「やれやれ。これでやっと双子であることの呪縛から解放される」と安堵している人も中にはいるのかもしれない。

フロアーではちょうどその藤安敦と評論家の竹内万里子の対談が行われていた。

最後に地下の展示室の「中野正基展『東京』」を観た。

ここは撮影OKだった。

中野は私より1つ下の1955年生まれ。生まれたのは福岡だが、翌年から東京で暮らしているので、同世代の東京人といってよいだろう。

だからというのは短絡的すぎるかもしれないが、私には彼の写真の一枚一枚がよくわかる。なぜその風景にカメラを向けたのか、なぜ写真に撮ろうとしたのかが、よくわかる。1950年代に東京に生まれ、子ども時代(1960年代)、青年期(1970年代)、若い成人期(1980年代)、中年期(1990年代以降)を東京で暮らした人間の、変貌していく東京に対する眼差しがそこにある。

裏町や路地裏の風景。レトロといえば、申し分なくレトロである。

喧騒と無人。ステレオタイプといえば、申し分なくステレオタイプである。

そして東京スカイツリーではなく、東京タワーへのこだわり。

小津安二郎の『東京物語』は1953年の作品である。「東京」という言葉をタイトルに入れることでこの作品の魅力はいや増した。しかし「東京」や東京の盛り場をタイトルに入れた歌謡曲が量産されたのは1960年代までのことである。その後、「東京」はそれほど魅力的なものではなくなった。今年、二度目の「東京オリンピック」が開催される。今回の展覧会もそれとタイミングを合わせたものかもしれないが、はたして「東京」リバイバルとなるだろうか。

美術館を出たのは5時。

恵比寿ガーデンプレイスタワーの38階に上がってみる。空はまだうっすらと明るさを残している。だんだん日が長くなってきた。

眼下に広がる東京の街。

ガーデンプレイスを散歩しながら駅へ向かう。

品川駅で乗り換えるとき、エキナカで妻へのお土産を買う。

夕食は豚肉と山芋とトマトのチーズ(カマンベール)蒸し、ゴボウのサラダ、茄子の味噌汁、ご飯。

前回作ったときは省略されていた刻みパセリと黒胡椒が今回はちゃんと振られている。

妻へのお土産は季節のマカロン。これは妻専用とする。

私はモエさんからいただいたお菓子を食べる。

2時、就寝。