フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月1日(水) 晴れ

2020-01-02 20:44:54 | Weblog

9時半、起床。

娘は午後から来るとのことなので、夫婦と息子、3人の元旦の食卓だ。お節料理は全部の種類を少しずつ食べる。

煮物(筍、コンニャク、インゲン、人参、里芋、椎茸)。

栗金団、黒豆、蒲鉾、伊達巻、田作り。

なます、昆布巻き(たらこ)、小鯛の笹漬け、数の子。

刺身盛り合わせ(鮪、甘エビ、サーモン、鯛、ホタテ、イクラ)。

雑煮には餅を1つ。

年賀状はちゃんと午前中に届いていた。返信を数枚書いてから、それを投函しがてら、散歩に出る。

快晴だ。

駅前の「ドンキホーテ」はやっているが・・・

JRの駅ビルも東急の駅ビルも元日は休んでいる。昔の元日の街の風景だ。

サンロード商店街の入口のドラッグストアーは営業しているが、アーケードの中の商店はほとんど閉まっている。しかも、三が日は休んで4日から(最初の週末から)営業という店は少なくて、5日から、6日から、7日から・・・と長く休む店が目立つ。駅前の商店街にとって正月は必ずしも稼ぎ時ではないのだろう。

そんな中、「テラスドルチェ」は元日から営業をしている。たしか去年は元日は休んでいたはずだが、営業方針を見直したのだろうか。

客はそれなりに入っている。カウンターの奥の席に座る。あら、オードリーの写真がジョン・レノンの写真に替わっている。「オードリーの写真はどうしちゃったの?」と若いマスターに尋ねたら、「降格したんです」と苦笑いしながら答えた。任命権は誰にあるのかしら。

トーストセットを注文。最初にスープとサラダが運ばれてきた。

少し間を置いて、トースト(マーマレードとバター付)が運ばれてきた。

私はトーストを食べながら珈琲を飲みたかったのだが、珈琲は私がトーストを食べ終わった頃に出てきた。

珈琲を飲みながら年賀状の返信を書く。教師という仕事がら卒業生からの年賀状が多い。一部の例外を除いて、いつも年賀状をいただく卒業生にも、年賀状を受け取ってから返信を書く。親戚や仕事上の付き合い(かつての付き合を含めて)の人からの年賀状は定型的な文面のものが多いが、卒業生からの年賀状には何かしらの近況報告や個人的なメッセージが書かれているので、それを読んでから返信を書いた方がコミュニケーションをとっているという実感がある。

書き上げた返信は東口の本局まで出しに行く。環七の陸橋を渡る。

本局で出した方が、街中のポストに投函するよりも、多少とも早く届くような気がするのだ(個人の感想です)。

東口の駅前は西口よりも少し人出が多いような気がする。気のせいかもしれない。

再び西口に戻る。東急蒲田駅の下のこの通りは、普段は東急プラザと東急ストア―が両側で営業していているのだが、今日は薄暗い通りになっている。

「ルノアール」に入る。ここは毎年、元日からやっている。

ミルクティーを注文。元日のメニューはドリンクのみだが、それでも人出が足りないのだろう、出て来るまで時間がかかった。

年賀状の返信は済ませたので、昨日(大晦日)のブログを書く。

元日も夕方となりルノアール たかじ

帰宅すると娘が来ていた。

夕食はなんとすき焼きである。一昨日(30日)の夕食に続いてである。これは一昨日の夕食の席に息子も娘もいなかったからである。

「初すき焼き」というのは季語(新年)になりえるのだろうか。たぶん無理だろう。

元日のすき焼きこれはこれでよし たかじ

デザートはシャシンマスカット。

10時からウォーキング&ジョギング。すき焼き分のカロリーを燃焼せねばならない。娘も一緒にランニング。

風呂を浴びてから、新年最初の読書は小山清の短編「落穂拾い」。

「僕は自分の越し方をかえりみて、好きだった人のことを言葉少なに語ろうと思う。」

「好きだった人」というのは恋人のことではない。恋人らしき(そうなる可能性を秘めた)若い女のことも語られているが、神楽坂の夜店商人の一人だった似顔絵かきの話や、終戦後の一時期、職業紹介所を通じて炭鉱夫の募集に応じて一緒に夕張炭鉱に行ったF君の話や、僕の家の便所の窓から塀越しに見える隣家の座敷でいつも机に向かって本を読んでいる青年の話や、僕の家から最寄りの駅へ行く途中の芋屋の婆さんの話や、駅の近くの「緑陰書房」という古本屋を営む少女の話である。

たとえばF君の話。

 「僕達は寒い最中に上野を立った。僕達は皆んな炭鉱労務者の記号のついた腕章を巻いていたが、誰もが気恥ずかしそうにしていた。汽車の中は窓硝子が無くて代わりに板が打ちつけてあるところもあって寒かった。僕は寒さに震えながら、向かいに腰かけているF君の防寒用に被っている防空頭巾の内に覗いているその素直な眼差しに、ときどき思い出したように見入った。僕達はその日初めて見知った仲なのだが、F君は僕に云ったのである。「稼いだらまた東京に戻って来ましょうね。」F君のそのなにげない言葉が、そのときの僕の結ぼれていた気持ちを、どんなに解き放してくれたことだろう。」

「僕」は思ったより早く東京へ帰ることになったが、F君は土地の女と結婚して、夕張に残ることになった。

 「F君からのハガキには、F君が僕達のいた寮を出て、近くに新築された長屋に入ったことを知らせてあった。「私たちも元気です。」とそれだけしか書いていない。F君らしいひかえ目な新生活の報知であった。夕張の駅は山峡にある。両側の山の斜(なぞえ)には炭鉱夫の長屋が雛壇を見るように幾列も並んでいる。夜、雪の中にこの長屋に灯のついている光景を眺めることは、僕達に旅の愁いを催させたものである。僕はいま追憶の山の上にF君たちの灯を一つ加えた。」

たとえば芋屋の婆さんの話。

「僕は一日中誰とも言葉を交わさずにしまうことがある。日が暮れると、なんにもしないくせに僕は疲れている。一日のエネルギーがやはりつかい果たされるのだろう。額に箍(たが)を締められたような気分で、そしてふと気づく。ああ、きょうも誰とも口をきかなかったと。これはよくない。きっと僕は浮腫んだような顔をしているに違いない。誰とでもいい。そしてふこと、みことでいいのだ。たとえばお天気の話などでも。それはほんの一寸した精神の排泄作用に属することなのだから。」

「僕」が酒飲みならば居酒屋に行くという手はあっただろう。しかし、「僕」は酒を飲まず、仮に飲んだとしても居酒屋に行く金はない。そんな「僕」にとって芋屋はささやかな社交の場所であった。

 「芋屋と云っても専門の芋屋ではない。爺さんが買出しに出かけて担いできたやつを、婆さんが釜で焼いて売っているのだ。僕は人に会いたくなると、ときどき出かけていく。小さなバラック建ての店の中に、一人腰かけられる位のところに茣蓙(ござ)が敷いてあって、客が休めるようになっている。お茶の接待もある。気が置けなくて、僕などは行きやすい。僕は行くといつも芋を百匁がとこ食べて、焙じ茶の熱いやつを大きな湯呑にお代りをする。(中略)お金を置くと、「どうも有難うございました」と云う。人柄というものはおかしなもので、こんななんでもない挨拶にも実意が籠っている。ついぞ相客のあった験(ためし)はないが、結構商いはあるのだろう。お婆さんが僕に世間話をしかけることもない。僕もまた黙っている。ただ芋を食ってお茶を呑んでくるだけである。それでも僕の気持ちは慰められている。」

最後の古本屋を営む少女の話は、文庫本で15頁の「落穂拾い」の3分の1にあたる5頁を費やして語られている。決して「言葉少なに」ではない。その話を手短に紹介するのは難しいのでやめておくが、ちょっとだけ脱線して話をすれば、この「古本屋を営む少女」のエピソードからヒントを得て書かれたのが多部未華子主演でTVドラマにもなった三上延の小説『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズである(シリーズ第1巻の第2話に小山清『落穂拾ひ』が登場する)。三上は「落穂拾い」を読んだとき、「僕」と「古本屋を営む少女」の交流を「ささやかで美しい物語ではあるが、あるわけはない」と思ったそうだ。私も同じことを思った。年齢差の問題は措くとしても、少女に古本屋の主人(留守番ならまだしも)は無理である。私もよく学生から「先生、定年後は古本屋がやれますね」などと言われるが、蔵書がたくさんあるからといって古本屋になれるわけではない。古本屋を営むためには、本を不断に仕入れねばならず、そのためには相当の目利きでなくてはやっていけない。いかに本好きとはいえ、高校を出たばかりの少女に古本屋の経営は無理である。三上は「古本屋を営む少女」のエピソードを「純粋な想像の産物」だと思った。では、似顔絵かきや、F君や、隣家の青年や、芋屋の婆さんのエピソードはどうなのだろうか。古本屋の少女だけが想像の産物で、それ以外は実在の人物なのだろうか。「落穂拾い」は次の一文で締めくくられている。

 「以上が僕の最近の日録であり、また交遊録でもある。実録かどうか、それは云うまでもない。」

「云うまでもない」とは、「云うまでもなく実録である」という意味にも読めるし、「云うまでもなく創作である」という意味にも読める。私は後者だと思う。ヒントは「落穂拾い」の冒頭に置かれている。

 「仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。きっと寂しい人に違いない。それでなくて、そんな長いあいだに渡って嘘の日記を書きつづけられるわけがない。僕の書くものなどは、もとよりとるに足りないものではあるが、それでもそれが僕にとっての嘘の日記に相当すると云えないこともないであろう。」

「落穂拾い」は嘘の日記ではないが、小説である。作者の実際の生活からモチーフは得ていると思うが、実録ではなく、創作である。神楽坂の夜店の似顔絵かき、一緒に夕張炭鉱に行ったF君、隣家の座敷でいつも机に向かって本を読んでいる青年、芋屋の婆さん、古本屋を営む少女、彼らの素材となった人はきっといたのだろうと思うが、実在の人物そのものではないだろう。彼らは小山清が創り上げた「美しい町」の住人たちである。そして「僕」もその住人の一人である。「僕」=作家というのは読者が一番陥りやすい小説の仕掛けである。

ところで、この「フィールドノート」は実録だろうか。それは云うまでもない。

2時、就寝。