8時半、起床。
昨日から一転して寒い朝。
トースト、サラダ、紅茶の朝食。
昼から大学へ。
予報よりも早い雨の降り出しで、百円ショップの傘が売れそうである。
牛丼の吉野家のキャッチフレーズは「うまい、早い、安い」だが、ドトールのミラノサンドAは「うまい、早い。」までである。確かに「安い」と言うのははばかられるね(笑)。
巨神兵のごとく。
卒業生のNさん(論系ゼミ3期生、2013年卒)が研究室にやってくる。Nさんはたいていいつも有給休暇を使って私に会いに来る。気軽に有給が取れるというのはそれだけよい職場である。彼女は私大の職員をしている。
昼食を食べに出る。
魚が食べたいというので「たかはし」にお連れする。
私は久しぶりに二重弁当を注文した。
数年前、学部の教務主任をしていたときに、会議で散々食べたので、しばらく食傷気味だったのだが、ようやく注文できるようになった。
見た目にもきれいで、美味しいお弁当である。
Nさんは焼き魚(キンメの開き)定食を注文。
肉豆腐を単品で注文し、シェアして食べる。寒の戻りの日に食べたくなるメニューである。
食後のコーヒーは「カフェゴト―」で。
われわれが店に入ったときは他にお客はいなかったが、その後、続々と客が入ってきて、あっという間に満席になった。
私がこの店でよくケーキを「ハーフ&ハーフ」で注文するのを知っているNさんは、まだ自分はそれをやったことがないので、やってみたいと所望した。
林檎とさつまいものタルトと洋梨のフランのハーフ&ハーフ。
Nさんは今日吉報をもってやってきた。実は、吉報の報告が今日の研究室訪問の目的ではなかったのだが、研究室訪問の日が決まった後で、つい先日、よいことがあって、今日、研究室の訪問がてらその報告ができたというわけである。
よかったですね、Nさん。
それにしても、女性の20代半ばというのは、大きな浮沈感覚を伴うライフイベントが頻繁に起こる時期である。先月もNさんとゼミ同期のBさんから同様の報告を聞いたばかりである。吉報は吉報を呼ぶ。彼女らの間で一種の共鳴現象が起こっているのであろうか。
成功というのは希少な資源をめぐる競争の結果手に入れるものであるから、必然的に一部の勝者と多数の敗者を生む。しかし、幸福はそうではない。誰もが幸福になれるというのが(近代社会の)幸福の物語である。なぜなら幸福のきっかけは身近なところに遍在しているからである。それは追い求めて手に入れるものではなく、ただその存在に気づけばよいのである。メーテルリンクが『青い鳥』で呈示した幸福の三番目のカテゴリー「あなたのお家の幸福」とはそのような幸福であった。それがなかなか入手困難になってきたというところに現代(ポスト近代)社会の不幸があるのである。
そこでどうするか・・・というのは私がいま書こうとしている原稿のテーマであるが、それはひとまず措いて、NさんやBさんは近代的な幸福の物語で十分やっていけそうである。注意を払うべきは、成功の物語にしろ、幸福の物語にしろ、物語が展開する舞台装置としての健康という資源である。聞くと、Nさんはこのところずっと原因不明の微熱が続いているというではないか。若さと健康は同値ではない。若いから大丈夫ということはない。健康管理には十分に留意して下さいね。
Nさんはこの後、新宿でお買い物だそうである。
夕方まで研究室で雑用。
ゼミ論集の原稿の最終チェックを依頼した学生たちから次々にメールが届く。いま外国にいるとか、これから外国に行くとかいう者が多い。地方出身の者はすでに東京のアパートを引き払って郷里に帰っている。
帰りがけに「SKIPA」に寄って、日曜日の句会の席の予約をする。
寒い日でも私が注文するのはアイスチャイだ。
水曜日はのんちゃんは早上がりで、店には宙太さん一人。ベトナム・タイ旅行の土産話を聴く。旅行の前半のベトナムは今日の東京と同じくらい寒く、後半のタイは37度もあったそうだ。
「梅花亭」で桜餅(京風)を買って帰る。
夕食はオムライス。冷蔵庫の中の残り物のご飯がある分量に達すると、チャーハンとかチキンライスに変身するのだ。
夕食にチャーハンやチキンライスというのはもの足りない気がするが、卵でくるんでくれると納得してしまうところがある(笑)。
デザートは京風桜餅(道明寺)。
明日は午前10時から会議がある。もう寝なくちゃ。
3時、就寝。