陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

493.東郷平八郎元帥海軍大将(33)大変です。全権団はアメリカ案を飲むハラのようです

2015年09月04日 | 東郷平八郎元帥
 海軍部内は二つに分かれて揺れていた。「七割の大原則だけはあくまで貫け」という東郷元帥らの強硬派(艦隊派)と、「財政・国際情勢から妥結すべきだ」という条約派に分裂していた。

 浜口首相は海軍大臣の代理もしていたが、自分の手には負えなかった。結局、政府がロンドンへ回訓電を打ったのは四月一日だった。

 それまでの十五日間、東京麹町の東郷元帥宅へは、海軍の長老、幹部がひんぱんに出入りした。東郷元帥は和服で腕組みしながら、その言う事をじっと聞いた。

 請訓電の来た翌日の三月十六日日曜日だったが、軍令部長・加藤寛治大将は、東郷元帥宅を訪ねた。

 加藤大将が「大変です。全権団はアメリカ案を飲むハラのようです」と報告すると、東郷元帥は「うむ、困ったものじゃ。なんとかしなければ」と腕組みしながら言った。

 東郷元帥も、加藤大将も「妥結案」と言わず、「アメリカ案」と言った。東郷元帥の軍縮に対する持論は「受け入れられなければ、協定破棄、断固退去」というのが一貫した姿勢だった。

 東郷元帥は、八十二歳の高齢ではあったが、元帥として現役、軍事参議官会議では議長を務め、発言の一言は影響を与えた。

 翌三月十七日、加藤大将は、ロンドンの全権・財部彪海軍大臣に「十六日、東郷元帥を訪ねたが、元帥も外務省の譲歩的態度には不満で、こういわれている」と、次の様な趣旨の電報を打った。

 「我初めより三割を譲歩しおるに、彼大切なる大型巡洋艦において譲るところなければ、我は致し方なしとて帰来の外なし。我には破れたりとて大拡張とならぬ故、財政上の心配なし。自分は七割にても如何かと思いたるも今迄の行き懸りと訓令とにて之が最小限にして之より減ぜぬと聞き承知せり」

 「要するに七割なければ国防上安心できずとの態度をとりおることなれば、一分や二分という小掛引きは無用なり。先方聴かざれば断々固として引揚ぐるのみ。万一、我が主張貫徹せず会議決裂に終ることあるも、曲りなりに取りまとめ日本に不為の条約を結ぶよりも国家のためには幸なるべし」。

 「この電報は東郷の権威を利用して財部に圧力をかけたもので、これは加藤の手口である」と、「軍令部総長の失敗」を書いた海軍兵学校出身の作家・生出寿(おいで・ひさし・大正十五年栃木県生まれ・海兵七四・海軍少尉・戦後東大文学部仏文学科卒・戦記作家・平成十八年死去)は述べている。

 三月十七日朝、海軍次官・山梨中将は岡田大将を訪ね、「決裂だけは避けたい。もう一度、ロンドンへ財部の意見を聞いてみよう」と相談した。

 ところが、その日の夕刊各紙の一面トップに「アメリカ案絶対反対」という「海軍当局の声明」が掲載された。山梨海軍次官も加藤軍令部長も知らない声明だった。

 これは、軍令部次長・末次信正(すえつぐ・のぶまさ)中将(山口・海兵二七・海大七恩賜・海軍大学校教官・第一艦隊参謀・大佐・巡洋艦「筑摩」艦長・軍令部第一班第一課長・海軍大学校教官・ワシントン会議次席随員・少将・第一潜水艦隊司令官・海軍大学校教官・教育局長・中将・軍令部次長・舞鶴鎮守府司令長官・第二艦隊司令長官・連合艦隊司令長官・大将・横須賀鎮守府司令長官・予備役・内閣参議・内務大臣)が新聞記者を集めて流したものだった。

 海軍の大御所である東郷元帥と軍事参議官・伏見宮博恭王(ふしみのみや・ひろやすおう・皇族・海兵一六退校・ドイツ海軍兵学校卒・海軍少尉・ドイツ海軍大学校卒・巡洋艦「霧島」分隊士・砲術練習所学生・中尉・戦艦「富士」分隊長心得・大尉・戦艦「富士」分隊長・装甲巡洋艦「出雲」分隊長・海軍大学校選科学生・戦艦「三笠」分隊長・少佐・防護巡洋艦「新高」副長・中佐・装甲巡洋艦「日進」副長・英国駐在・大佐・巡洋戦艦「伊吹」艦長・海軍大学校選科学生・少将・横須賀鎮守府艦隊司令官・海軍大学校校長・第二戦隊司令官・中将・第二艦隊司令官・軍事参議官・社団法人帝国水難救済会総裁・大将・佐世保鎮守府司令長官・軍事参議官・海軍軍令部長・元帥・軍令部総長・大勲位菊花章頸飾・功一級)の二人が、ロンドン軍縮会議において、「七割論者」の強硬派であることに、政府は頭を痛めた。

 海軍次官・山梨中将は「とても自分の力ではどうにもならない」と、浜口首相に東郷元帥の説得を頼んだ。だが、浜口首相は逃げ腰で、次のように答えた。

 「私は元帥を尊敬している。恐らく人後に落ちない。だが、今は首相だ。国民と議会に全責任を持つ立場にある。元帥の方から私の考えを聞きたいと言われれば、喜んで説明するが、自分から進んで元帥に説明するのは、如何なものか」。

 元老や重臣は条約をまとめようとする浜口内閣を支持した。西園寺公望は次のように言った。

 「大局から見れば、いくら強いことを言ってみても、結局しまいまで勝ちおおせるものではない。今の国力から言って到底難しい。一国の軍備というものは、その国の財政の許す範囲ではじめて耐久力のある威力が保てるのである」

 「……むしろ日本が先に立って六割でもいいから会議をリードして成功に導かせることが、将来の日本の国際的地位を高めることになる。(略)……英米とともに采配の柄を持つことが出来る今の日本の立場を捨ててしまってまで、どこに利益があるのか」。

 国勢の「元老」は、海軍の「元帥」とは全く反対の意見だった。