陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

616.桂太郎陸軍大将(36)この困難な政局に井上が首相になっても成功はおぼつかない

2018年01月12日 | 桂太郎陸軍大将
 さらに、伊藤博文首相は、政友会を背景に国政を行なってきたが、渡辺蔵相事件や星事件で、社会の批判が厳しく、政友会と貴族院の反目も強まって来ていた。

 そのような政局で、桂大将に期待するところがあった伊藤首相は、その日、自分の苦しい立場を語った。だが、その政局を以前から予測していた桂大将は、深く立ち入らず、葉山に帰って来た。

 明治三十四年五月二日、第四次伊藤内閣は、崩壊した。財政方針をめぐる内閣府統一の理由で、伊藤首相が辞表を提出、他の閣僚もこれにならったのだ。

 伊藤首相が辞職した日に、枢密院議長・西園寺公望が総理大臣代理を命じられ、五月十日、臨時総理大臣に任命せられた。

 西園寺公望(さいおんじ・きんもち)は、京都出身。学習院で学び、祐宮(後の明治天皇)の近習になる。慶応三年<十九歳>岩倉具視の推挙で参与に就任。戊辰戦争では山陰道鎮撫総督、会津征討越後口大参謀として各地を転戦。

 明治元年<二十歳>維新後新潟府知事。開成学校でフランス語を勉強。明治三年<二十二歳>官費でフランス留学、ソルボンヌ大学で学ぶ。明治十三年<三十二歳>帰国後、東洋自由新聞社長。明治十四年<三十三歳>参事院議官補。伊藤博文憲法調査欧州歴訪随員。

 明治十八年<三十七歳>駐ウィーン・オーストリア=ハンガリー帝国公使。明治二十一年<四十歳>駐ベルリン・ドイツ帝国公使兼ベルギー公使。明治二十四年<四十三歳>賞勲局総裁。貴族院副議長、法典調査会副総裁。

 明治二十七年<四十六歳>文部大臣。明治二十九年<四十八歳>外務大臣。フランス留学。明治三十一年<五十歳>文部大臣。明治三十三年<五十二歳>臨時総理大臣、枢密院議長、政友会総裁。

 明治三十九年<五十八歳>第一次西園寺内閣。明治四十三年<六十二歳>第二次西園寺内閣。大正五年<六十七歳>元老。大正七年<六十九歳>第一次世界大戦講和会議首席全権。大正九年<七十一歳>公爵。大正十三年<七十五歳>から最後の元老として首相選定等政界に大きな影響を与え続けた。昭和十五年死去<九十歳>、国葬。従一位、公爵、大勲位菊花章頸飾。フランスレジオンドヌール勲章グランクロワ、ロシア聖アレクサンドル・ネフスキー勲章大綬章等。

 後継内閣について、山縣有朋元帥と西園寺公望臨時総理は召されて善後策を命ぜられた。元老会議は、井上馨を後任に押すことになった。

 井上馨から会見の申し込みがあり、桂太郎大将は、鳥居坂の井上邸を訪問した。すると井上は「自分は総理の器ではないから、君に後を引き受けてもらいたい」と言った。

 桂大将は「そのようなことは断じてできない。今自分は首相になるつもりはないが、井上さんも、この際、断った方がよいでしょう」と答えた。

 長州の先輩である井上のことをよく承知していた、桂大将は、この困難な政局に井上が首相になっても成功はおぼつかないと思っていた。

 五月十五日、井上馨に大命が降下した。井上は組閣に取り掛かり、数日間奔走したが、失敗した。元老も誰一人井上の組閣を助けてくれなかった。

 五月二十二日、遂に井上は組閣を断念し、元老会議に報告し、大命を拝辞した。

 これを聞いた元老・山縣有朋元帥は、臨時首相・西園寺公望を訪れ、次の様に言った。

 「井上これを辞したる以上は、已むを得ず、然らば先ず松方(正義)に諮り桂にも内談して其任に当たらしむることを勧誘すべし、閣下は病気ゆえ如何ともすること能わず」。

 山縣元帥は、ここでいち早く桂太郎大将の名を挙げ、伊藤系官僚として有力候補になり得る西園寺公望に対して、病身を理由に引導を渡したのだ。

 五月二十三日、山縣元帥は、元老・伊藤博文に手紙を送って、桂太郎大将推薦のための布告を着々と打った。伊藤からの返書は、首相候補の選任は山縣元帥に任せるとの趣旨だった。

 元老会議は、桂太郎陸軍大将を後継首相に推薦することに決定した。

 五月二十三日夜、松方正義が桂大将を訪れ、元老会議の結果を語り、桂大将の奮起を説いた。ところが、桂大将は、「その器ではない。病気も回復していないので、近く外遊して、他日、国家の為に大いに奉公したい」と推薦を断念せられるよう答えた。

 翌日、今度は井上馨が桂大将を訪ねて、説得を行った。「国家の急を思えば一個の対面など考えてはおられず、重ねて相談に来た。まげて首相の大任に就いてもらいたい」と談じ込んだ。さすがに桂大将も井上の心情に同情した。

 五月二十六日、明治天皇から、桂太郎大将に内閣組閣の大命が下った。桂大将はしばらくの猶予を請うて、大磯の伊藤博文を訪ねた。

 桂大将としては、伊藤の進退如何が、総理大臣として任務を行う上に重大な影響があることを看取していた。伊藤は政友会の総裁である。政友会の去就は政局を左右する力を持っている。

 桂大将は、伊藤に総理留任をすすめた。だが、伊藤はその意思のないことを告げ、桂大将こそ、総理を引き受けるべきであると言った。