陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

360.辻政信陸軍大佐(20)辻政信の参議院選挙の第一声は、岸信介の郷里の山口県田布施町であげた

2013年02月15日 | 辻政信陸軍大佐
 「オレは四十数年の政治生活で君のような奴を見たことがない。よくやったなあ!」

 「ご好意を無にし、無礼な言を吐いて申し訳ありません。あの寒い雪国でご病気にでもしてはと思いまして」

 「言うな、皆判っとる」

 また手を握って、涙をこぼされた。私が爺さんの涙を見たのはこれが初めてであった。人を喰った古狸にどこからこのような涙がでるのだろう。

 若輩の思い上がった無礼な言葉を怒らないで、その腹を見抜いてくれた三木老に私は今でも合唱したい気持ちがする。

 昭和三十三年七月八日の衆議院法務委員会で辻は、岸信介首相と、自民党副総裁・大野伴睦(おおの・ばんぼく・明治二十七年岐阜県出身・明治大学政治経済学部中退・東京市会議員・衆議院議員・自由党幹事長・衆議院議長・北海道開発庁長官・初代自由民主党副総裁)に次の様な嫌がらせの発言を行った。

 「先の選挙における岸首相、大野副総裁の選挙違反は目に余るものがある。彼らの選挙区山口県ならびに、岐阜県の警察本部長は、これを見逃した功績で、いずれは栄転することになるだろう」。

 さらに同年十二月十日の自民党両議院総会で辻は、「昨年の総裁公選において、各派は多額の金で党員を買収しているが、なかんずく岸総裁が最も多くバラまいている」と追い討ちをかけたので、会場は大混乱に陥った。

 この日の議員総会で、自民党常規委員会では、辻を除名処分とすることにしたが、一部反対があり、処分強行はなされなかった。

 だが、辻は、むしろ除名を望んでいた。自民党で己の位置に見切りをつけた彼は、大ボス岸信介に反旗をひるがえして除名になったほうが、何よりの効果がある、とふんだのだ。

 だから、辻はありとあらゆる機会に岸攻撃をやった。そして「もう黙ってはいられない」という文書を配布した。

 その中で辻は岸の罪業を細大洩らさずあばき、個人的中傷―罵詈雑言を浴びせかけた。むざむざ辻の術中にはまることはない――としていた自民党も、遂に昭和三十四年四月三十日辻を正式除名した。

 思い通りの除名処分になると、辻はただちに衆議院議員を辞職して、参議院全国区に立候補した。辻政信の参議院選挙の第一声は、岸信介の郷里の山口県田布施町であげた。

 「私は山口県からは、一票ももらおうとは思いません。ただ思い切り岸首相の悪口を言わせてもらいたい……」。

 辻はまずそう前置きして、岸信介がいかに過去に悪いことをしたか、そして現在も悪を重ねているかを、洗いざらいぶちまけた。

 ある時は、岸の演説の済んだ直後を狙い打ちにして、まだ解散していない聴衆へ向けて岸攻撃をやった。辻はこのために、ビエンチャンで岸信介の指令によって消されたという説もある。

 とにかく辻は徹底的に反岸演説で全国遊説を続け、昭和三十四年六月、全国で第三位(六十万三千票)で当選を果たした。

 昭和三十六年四月、参議院議員・辻政信は、「東南アジア視察」と称して、日本を出発した。

 出発に当たって、辻は、参議院に、ベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ビルマ、香港視察の名目で、四十日間の請暇を届け出ている。以後、辻政信は再び日本に戻ることなく失踪した。

 なぜ、辻政信がわざわざ僧形姿で、危険いっぱいのラオス方面に潜行しなければ、ならなかったか。

 当時の池田勇人首相が、米国大統領・ジョン・F・ケネディとの会談を控えて、なまなましい「東南アジア情報」を持っていくため、その収集を辻政信に非公式に依頼したことは、当時の状況から明らかだった。

 だが、それだけの目的ならば、議員バッジをつけての「国会議員・辻政信」のほうが情報収集をするにしてはやりやすいだろうし、危険度も少ないし、効果も大である。

 辻がわざわざ僧形姿に変身し、隠密行動をとらなければならなかった切実な必然性があった。戦時中日本陸軍が現地徴発し、辻自身がハノイのある場所に埋めた金のノベ棒二十三本を掘り出しに行くことだった。

 さて、ラオス出発を前にして、辻政信は、非常に怯えていたという。その半年ほど前、辻は四人の学生を引率して、世界旅行に出た。

 辻が出発した翌朝、千歳夫人が雨戸を開けると、飼犬のシェパードの二匹が、庭いっぱいに血や汚物をまき散らして悶死していた。

 その死に様からみて毒殺に間違いなく、騒ぎを聞きつけて集まった近所の人々も同様に思った。

 辻家の飼犬が悶死したのは、そのときが最初ではなかった。一年前の四月にも、やはり飼犬のシェパードが、血へどを吐きちらして、虚空をかきむしるようにして無残な死に方をしていた。

 辻政信が戦後、次々に体験的戦記を出版し、人気作家になり、全国に、辻旋風を巻き起こし、元参謀から国会議員に変身していく過程で、脅迫や、脅しが少なくなかった。脅迫電話は日常茶飯事だった。

 学生を引率してのアフリカ旅行から帰って、飼犬二匹の悶死を知った辻は、顔色を失い、以後、一人で考えこむことが多くなり、外出も避けがちだったという。

 このような身に忍び寄る危険から逃れるために、辻はラオスに出発したとも言われている。いずれにしても、辻政信はその後消息不明となり、二度と日本の土を踏むことは無かった。

 (「辻政信陸軍大佐」は今回で終わりです。次回からは「黒島亀人海軍少将」が始まります)