陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

278.今村均陸軍大将(18)ボールテン将軍!あなたは総督の不同意にもかかわらず降伏しますか

2011年07月22日 | 今村均陸軍大将
 今村中将の頭の回転は早かった。彼は即座に命令を口述させ、東海林大佐宛命令電報を次の様に発信した。

 「貴官は日本軍司令官の回答として次の如く伝えよ。蘭印総督と蘭印軍司令官とは、所要の幕僚を伴い、八日午後二時、カリジャチ飛行場に来り、日本軍司令官と会見の上、直接停戦を申し入れるにおいては、その場に於いて諾否を回答する」。

 今村中将はこのあとに、彼らの安全は保障するという一項を加えた。

 次に今村中将は第二師団長・丸山政男中将(陸士二三・陸大三一)に次の様な命令電報を発信した。

 「敵は戦意を喪失し、停戦を提議せんとしあり。この機に乗じ、特に我が方の戦意を誇示する必要大なり。貴師団は万難を排し、一刻も速やかに、東海林部隊の突破口方面に進出すべし」。

 このとき今村中将は、敵の停戦申し入れに疑いを抱いていた。それは次の様なものであった。

 「バンドン要塞だけでも五万、ジャワ島全体では十万の集結兵力を持っている敵軍司令官が、なぜ約四万の日本軍に対し戦意を喪失したのか。ひょっとすると、敵の軍使は、日本軍の兵力を偵察する目的で来たのかもしれない……」。

 今村中将がとっさに第二師団と軍司令部の急進を決意したのは、「弱勢な東海林支隊の兵力を知られ、敵の戦意を強めてはならない」と考えたためである。

 後に停戦後に分かったことだが、オランダ軍司令官が停戦を申し入れた第一の理由は、日本軍の上陸兵力を約二十万と誤認したことであった。

 さらに、東海林支隊が独力でバンドン要塞の本防衛線まで進撃したとき、日本軍司令官が直接指揮し大軍が攻撃してきたのだろうと観測、統一指揮の困難な、蘭・米・英・豪の連合軍では、とても勝ち目はないと判断したことだ。

 軍司令官・今村中将、参謀長・岡崎清三郎少将(陸士二六・陸大三三・後の中将)、参謀ら第十六軍司令部首脳は三月八日午後二時半、カリジャチ飛行場に到着した。

 すでにチャルダ蘭印総督、ボールテン在ジャワ連合軍司令官らオランダ側六人はすでに待機していて会談は直ちに始められた。

 まず、今村中将がボールテン中将に向かって停戦の意志をただした。

 ボールテン中将は、それを認めて、「これ以上の戦争の惨害を避けたいためです」と答えた。

 次いで今村中将はチャルダ総督へ視線を向け「総督は無条件降伏をしますか」と訊いた。

 すると、チャルダ総督は「私は停戦の意志を持っていません」ときっぱり答えた。

 今村中将「停戦の意志がないなら、なぜあなたはボールテン軍司令官の停戦申し入れを禁じなかったのですか。総督はオランダ憲法により、蘭印における全陸軍を指揮する統帥権を持っているはずですが」。

 チャルダ総督「戦争勃発前は、確かに私が統帥権を持っていました。だが、英軍のウエーベル大将がここの連合軍総司令官となり、統帥権も私から彼に移されてしまいました」。

 ウエーベル大将は日本軍の上陸後間もなく、飛行機でインドへ逃げ、あとに残された英・米・豪軍はボールテン蘭軍司令官の命令に服さず、全般の作戦がやりにくくしていた。これも、ボールテン中将が戦意を喪失した理由の一つだった。

 やがてチャルダ総督は「私は蘭印の民政について協議するために来たのですが、軍事的なことだけの会談なら、退場を望みます」といい、今村中将の同意を得て、庭に出た。今村中将は「敵ながら、あっぱれ」と記している。

 今村中将は再びボールテン中将に向かって「ボールテン将軍! あなたは総督の不同意にもかかわらず、降伏しますか」。

 ボールテン中将「バンドン地区だけの停戦です。もはやすべての通信手段がなくなり、私の命令で停戦できるのはバンドンだけなのです」。

 今村中将「この飛行場にある日本軍の無線通信機は、蘭印軍相互間の通信を傍受しており、バンドン放送局の今朝の放送も聴取しています。全蘭印地域の貴方の部下軍隊に停戦を命ずることは可能のはずです。日本軍はバンドンだけでなく、全蘭印軍の全面的無条件降伏を要求します」。

 オランダ側は無言だった。