陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

275.今村均陸軍大将(15)遂に君も”満化“し、かつての石原の後を追おうとしている

2011年07月01日 | 今村均陸軍大将
 ところで、当時の満州国を囲む周囲の情勢について、今村少将は次の様に書いている、

 「外蒙を掌中に収めたソ連はここを拠点とし、赤化宣伝謀略の手を、内蒙経由、南方支那本土と東方満州国とに延ばしかけ、それに蒋介石政権までが、この方面から何かと満州国に工作しようと策謀を続ける」。

 内蒙工作のいきさつについて、田中隆吉参謀は着任後まだ日の浅い今村少将に次の様に説明した。

 「関東軍司令部はソ連と蒋介石政権の動きに備えるため、内蒙の徳王に兵器、弾薬、その他の物資を融通して約一万の内蒙人軍隊を建設させ、その協力の下に諜報機関員を配置している」

 「しかし関東軍が熱心に推し進める内蒙工作は、作戦部長・石原莞爾少将(陸士二一・陸大三〇恩賜・後の中将)の反対で中央からの援助が得られず、関東軍は北支那駐屯軍に協力を求め、日本品貿易に課税して政治資金を得ている冀東地区の殷政権を保護して、そこから徳王への財的援助をさせている」。

 だが、その後に殷政権の財政が急速に悪化して、関東軍の内蒙工作は重大な影響を受けることになった。今村少将もその渦中に巻き込まれた。今村少将は次の様に述べている。

 「既に冀東財政が窮乏を来たした以上、内蒙古援助は物心両面とも、いっさい関東軍自身で行うことが必要となった。そのため私は軍参謀長の意図を受け、陸軍省の諒解、とくにこの際、三百万円の内蒙工作費の配当を懇請するため、東上するの已む無きに至った」。

 内蒙工作は参謀本部の石原作戦部長に反対されたため、軍司令部内でも秘密にして板垣参謀長の全責任ですすめてきたものである。

 その危機にあたって、板垣参謀長自身が東京へ行かず、今村少将に代理を努めさせたのか、その理由を今村少将は次の様に述べている。

 「次官は梅津美治郎中将(陸士一五・陸大二三首席・後の大将・参謀総長)。私が中尉時代、陸大入学試験の際、直接指導を受け、また満州事件当時は共に参謀本部にあって心労をわかちあい、私の公的人事はいつもこの中将の配慮を受けており、板垣中将同様、師弟関係に近いことを知っていた周囲の人々は、私に説かせれば、梅津次官は諒解を与えるかも知れないとの思惑から、私の東上を欲したものである」。

 東京に着いた今村少将は、陸軍省の次官室で、梅津次官と人をまじえず会談した。今村少将は関東軍を代表して、内蒙工作の必要とその現状を語り、三百万円の即時入用を説いた。無言でそれを聞き終わった梅津次官は、厳しい表情で反問に移った。

 「既に中央は、大局上の判断から内蒙工作は不可なりと観察して、総長、大臣の意図を石原作戦部長をして伝えしめたにもかかわらず、それを中止せず、今もなお続けている理由は?」

 これに対して今村少将は次の様に答えた。

 「軍司令官は満州国建設上、内蒙方面からするソ連の赤化工作と、蒋介石政権策謀とに対処するため、内蒙工作はどうしてもやめ得ないと判断されております」。

 梅津次官はさらに、中央の代表として新京に派遣された石原作戦部長に対する、関東軍幕僚たちの礼を失した態度をなじった。

 石原作戦部長は中央の内蒙工作反対および戦線拡大反対の意思を伝え、関東軍をそれに従わせるため新京に乗り込んだ。

 だが、現地の参謀たちは「かつて、あなたは中央の意思にそむいて満州事変を拡大し、大成功したではないか。今我々はそれと同じことをやっているのだ」と言い、反発した。

 今村少将は、梅津次官の叱責に対し、関東軍を代表して詫びた。しかし、今村は「私は中央の派遣使節の人選が、当を得ていなかったと思います」と付け加えた。

 梅津次官はなお、二、三の厳しい質問を関東軍参謀副長としての今村少将に向けた後に、最後に語調を変えて、今村少将個人に次の様に語りかけた。

 「今はすべてをぶちまけて、君に言っておかねばならん。関東軍参謀長であった西尾寿造中将が参謀次長に転出、そのあとは板垣と決まったとき、副長は誰がよかろう……と僕は西尾中将と相談した。満州事変当時のような、専断のふるまいをする関東軍の悪傾向はかなり矯正されたものの、まだ根絶には至っていない」

 「結局、満州事変当時、中央の作戦課長として僕らと共に、関東軍の統制無視に苦汁を飲まされた君なら、この悪風根絶に努力するだろう…、ということになり、君を今の地位に据えたのだ。つい先ごろまで、満州から伝わる君の悪評と、その悪評の原因とを知るたびに、僕は君をあの位置に据えてよかった…と喜んでいたのだ」

 「それが、中央は反対だと知りながら、内蒙工作に同意するとは…。僕は、個人としては、君の今日の説明がわからないことはない。赤化工作と蒋介石の策謀に対する心配はもっともであり、ソ連との間に衝突を起こさないようにという特務機関の配置も肯定できる」

 「しかし、何よりも大切なことは、五年前に君が力説した『軍の統制に服する軍紀の刷新』なのだ。遂に君も”満化“し、かつての石原の後を追おうとしている……」。

 今村を見つめる梅津次官の目が、うるんでいた。その言葉に打たれた今村は、うなだれるばかりであった。