陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

94.片倉衷陸軍少将(4) もう帰るのか。もうすこしおると、おもしろいことがあるんだがな

2008年01月11日 | 片倉衷陸軍少将
 向こうも軍刀つったままで、こちらも軍刀つって、武装したまま相対している。まるで軍使にでも言ったような調子だった。

 今井大尉は板垣高級参謀、土肥原大佐、石原参謀、竹下参謀、片倉大尉みんな熟知している間柄だった。それなのに、「こんにちは」とも「やあ」とも言えないような空気だった。

 いちおうお辞儀して両方とも腰掛けたが「ご苦労でした」という言葉もなかった。いきなり「貴官らはいかなる任務できたか」と任務の追求をされた。

 その後二、三のやりとりがあって、五、六分で話が終って、関東軍の幕僚はまたドカドカと出て行った。

 あまりおかしいので、石原中佐参謀は今井大尉の陸軍大学校時代の教官だったので、今井大尉が「石原教官しばらくです」「ご苦労様です」と声をかけた。

 すると石原中佐は「君によく言っとくが、君たちは何をしてもぼくらによくわかるよ。いつも憲兵五、六人尾行しているから、そう思え」と、それを今井大尉に言うのではなく、みんなに聞こえるように大きな声で言った。

 調査を終えた橋本班は10月16日、奉天を出発することになった。今井大尉は陸士三十期で陸士三十一期の片倉大尉より一期先輩だったが、陸軍大学校はともに四十期で机を並べた仲だった。

 今井大尉は帰りがけに、片倉大尉に「帰るよ」と挨拶に行った。すると片倉大尉は「もう帰るのか。もうすこしおると、おもしろいことがあるんだがな」と言った。しかし今井大尉にはなにが面白いのかわからなかった。

 10月19日の夜遅く東京に着いた今井大尉は自宅に帰った。そしたら午前1時頃、どんどんと玄関をたたく音がした。

 出てみると朝日新聞記者の高宮太平がいた。「10月事件」が発生していたのである。

 10月事件は関東軍が出した資金で、桜会の橋本欣五郎中佐、長勇少佐、田中清少佐らが、柳条溝事件に呼応して10がつ21日にクーデターを計画した事件だった。大川周明、北一輝らも加わっていた。

 だが10月17日、憲兵隊はクーデター計画の幹部を検挙した。橋本中佐は重謹慎二十日、長少佐、田中少佐は同十日の処分を受けた。

 昭和7年8月片倉大尉は関東軍参謀から第十二師団(久留米市)参謀に補された。

 師団長は杉山元中将、参謀長は石田保道大佐であった。片倉大尉は教育関係、警備、国防宣伝を主務とした幕僚勤務を命じられた。

 片倉大尉は国防思想の普及、満蒙問題解決に対する世論への訴え等の講演会に数多く出席し講演を行なった。

 この講演会に対する反響は、国防献金を九州各県で競うほどの土地柄か、ものすごく、小倉でも、博多でも人々で講演会場があふれんばかりであった。