陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

601.桂太郎陸軍大将(21)もし事実であれば、強迫手段をとって減額を取り消させる

2017年09月29日 | 桂太郎陸軍大将
 明治二十二年十二月二十四日、山縣有朋中将を首班とする内閣が発足した。第一次山縣内閣である。陸軍大臣は引き続き、大山巌中将で、桂太郎少将も陸軍次官として留任した。

 明治二十三年三月、陸軍次官・桂太郎少将は、兼任という形で初代軍務局長に就任した。その年の六月には陸軍中将に進級した。

 明治二十三年十一月、第一回帝国議会が開かれた。「桂太郎(日本宰相列伝4)」(川原次吉郎・時事通信社・昭和34年)及び「桂太郎」(人物叢書)(宇野俊一・吉川弘文館・昭和51年)によると、山縣有朋首相は、施政方針演説の中で、軍事費予算について、次の様に述べた(要旨)。

 「国家独立のためには主権線を守ると同時に、その主権線の安全と緊密に関係する地域である利益線を守る必要がある」

 「そのためには陸海軍に巨額の予算をあてなければならない。予算歳出額の大部分を占めるものは陸海軍に関する経費である」。

 山縣首相は、予算案中における陸海軍の比重が大きいことと、その重要性を強調したのだ。

 この山縣内閣が、明治二十四年度の歳出予算案として提出した政府原案は、八三〇七万五八三五円だった。

 予算案は十二月九日から衆議院予算委員会で審議され、自由党と立憲改進党を中心とする民党側は、政費節減、民力休養をスローガンに官吏の俸給、旅費などの人件費や庁費を大幅に削減する方針をとった。

 十二月十三日、陸軍次官兼軍務局長・桂太郎中将は、明治二十四年度予算案委員会に出席した。

 桂中将は、大山巌陸軍大臣に代わって、陸軍編制の一覧表と定員表を提示して、陸軍の組織を説明し、さらに明治十九年の官制改革によって師団編成に改められ、輜重兵の編制もようやく終わった。当面、連発銃の製造費の確保と砲兵配備、北海道の屯田兵の改革に着手していると説明した。

 予算委員会は、各省の予算を審議し、十二月二十七日に七八八万七三四円削減する査定表を決定した。

 この査定案には、憲法六十七条に規定された政府の同意なしに廃除・削減できない項目が含まれていたため、政府と民党側の対立が続くことになった。

 明治二十四年度政府予算案の中で、軍事費は、二〇六七万円を占め、陸軍側は臨時費を含め一三〇一万円、海軍は同じく七六六万円であった。

 予算委員会の査定案の削減率は、陸軍五・七パーセント、海軍六・二パーセントだった。内務省や外務省の二〇パーセントを越す削減率に比べると、かなり低く、民党側でも軍事費については政府案の大部分を認めるという姿勢をとっていた。

 衆議院予算委員会の模様は極秘であったが、十二月二十五日、報知新聞は、陸軍は、七〇万円余、海軍は三〇万円余の減額であると報道した。

 桂中将は、この記事を読んで、参謀次長・川上操六中将に、この記事の情報の真疑の確認を依頼し、もし事実であれば、強迫手段をとって減額を取り消させる必要があると主張した。

 桂中将は、議会での審議開始を前にして、陸軍省予算を担当する衆議院の議員を与野党の別なくそれぞれ自邸に招いて陸軍の予算案について説明した。

 議会では、提出された予算案の削減額をめぐって、衆議院と山縣有朋内閣の政府はまさに正面衝突となり、予算不成立に終わるかと思われた。

 その時、三崎亀之助(みさき・かめのすけ)代議士(香川・東京帝国大学法科卒業・忠愛社入社・「明治日報」記者・外務省入省<二十六歳>・書記官・米国公使館駐在・ワシントン駐在・外務省参事官・弁護士・香川県選出衆議院議員<三十二歳>・内務省県治局長・貴族院議員<三十八歳>・横浜正金銀行支配人・同銀行副頭取<四十二歳>)が政府と交渉を始めた。

 なんとかして予算は成立させたいということで、三崎亀之助代議士は、そのための特別委員九名を挙げるという動議を提出したのだ。動議は一一七名対一五〇名で可決された。

 最終的に、削減額は六三一万二〇〇〇円ということで、衆議院を通過し、貴族院もこれを承認して予算は成立した。