陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

600.桂太郎陸軍大将(20)大山巌陸軍大臣が「月曜会」などを解散すべしとの内達を発した

2017年09月22日 | 桂太郎陸軍大将
 当時、陸軍内でエースと見られていた次のような高級将校も「月曜会」に名を連ねていた。陸軍次官・桂太郎少将(四十一歳)も入会していた。

 近衛歩兵第一旅団長・奥保鞏(おく・やすかた)少将(四十二歳・福岡・長州征討・陸軍大尉<二十六歳>・熊本鎮台中隊長・少佐<二十八歳>・歩兵第一一大隊長・歩兵第一三連隊大隊長・中佐<三十二歳>・歩兵第一四連隊長・歩兵第一〇連隊長・大佐<三十六歳>・近衛歩兵第二連隊長・少将<三十九歳>・近衛歩兵第一旅団長・東宮武官長・近衛歩兵第二旅団長・欧州出張・中将<四十八歳>・第一師団長・近衛師団長・東京防禦総督・英領印度出張・大将<五十七歳>・第二軍司令官・参謀総長・伯爵・元帥・正三位・大勲位菊花大綬章・功一級・レジオンドヌール勲章グラントフィシェ・レオボルト勲章グロースクロイツ等)。

 陸軍大学校長・児玉源太郎(こだま・げんたろう)大佐(三十六歳・山口・函館戦争・六等下士官<十八歳>・陸軍権曹長<十八歳>・陸軍准少尉<十九歳>・陸軍少尉<十九歳>・中尉<十九歳>・歩兵第一九番大隊副官・大尉<二十歳>・大阪鎮台地方司令副官心得・少佐<二十二歳>・熊本鎮台参謀副長・近衛参謀副長・歩兵中佐<二十八歳>・歩兵第二連隊長・大佐<三十一歳>・参謀本部管東局長・参謀本部第一局長・監軍部参謀長・兼陸軍大学校長・少将<三十七歳>・監軍部参謀長・欧州出張・陸軍次官・兼軍務局長・大本営留守参謀長・男爵・功二級・陸軍次官兼軍務局長・中将<四十四歳>・第三師団長・台湾総督・兼陸軍大臣・兼内務大臣・兼参謀本部次長・大将<五十二歳>・台湾総督兼満州軍総参謀長・兼参謀本部次長・子爵・参謀総長・兼南満州鉄道設立委員長・死去<五十四歳>・伯爵・正二位・勲一等旭日桐花大綬章・功一級)。

 陸軍士官学校長・寺内正毅(てらうち・まさたけ)大佐(三十六歳・山口・戊辰戦争・陸軍少尉<十九歳>・大尉<二十五歳>・フランス公使館附武官・中佐<三十二歳>・大臣官房副長・大臣秘書官・歩兵大佐<三十五歳>・陸軍士官学校長・第一師団参謀長・参謀本部第一局長・大本営運輸通信部長官・少将<四十二歳>・参謀本部第一局長事務取扱・男爵・功二級・欧州出張・歩兵第三旅団長・教育総監・中将<四十六歳>・教育総監・参謀本部次長・陸軍大臣・兼教育総監・大将<五十四歳>・子爵・功一級・陸軍大臣・兼韓国統監・兼朝鮮総督・伯爵・元帥・総理大臣・兼外務大臣・兼大蔵大臣・伯爵・従一位・大勲位菊花大綬章・功一級・フランスレジオンドヌール勲章オフィシェ・大韓帝国大勲位瑞星大綬章)。

 参謀本部第二局長・小川又次(おがわ・またじ)大佐(四十歳・福岡・小倉口の戦い・維新後兵学寮生徒・権曹長心得<二十二歳>・少尉心得<二十三歳>・陸軍少尉<二十三歳>・台湾征討軍・歩兵第一三連隊大隊長・西南戦争・少佐<二十九歳>・熊本鎮台参謀副長・清国派遣・中佐<三十三歳>・大阪鎮台参謀長・広島鎮台参謀長・歩兵大佐<三十六歳>・歩兵第三連隊長・参謀本部管西局長・参謀本部第二局長・少将<四十二歳>・歩兵第四旅団長・近衛歩兵第一旅団長・第一軍参謀長・男爵・功三級・近衛歩兵第二旅団長・中将<四十九歳>・第四師団長・戦傷・大将<五十七歳>・子爵・功二級・子爵・従二位・勲一等旭日大綬章・功二級)。

 歩兵第一二旅団長・長谷川好道(はせがわ・よしみち)少将(三十九歳・山口・戊辰戦争・維新後大阪兵学寮生徒・陸軍少尉心得<二十歳>・陸軍大尉<二十一歳>・五番大隊長・少佐<二十二歳>・歩兵第一連隊長心得・中佐<二十三歳>・西南戦争・広島鎮台歩兵第一一連隊長・歩兵第二連隊長・大佐<二十八歳>・広島鎮台参謀長・大阪鎮台参謀長・中部監軍参謀長・少将<三十六歳>・歩兵第一二旅団長・男爵・功三級・中将<四十六歳>・第三師団長・近衛師団長・大将<五十四歳>・子爵・功一級・参謀総長・元帥<六十五歳>・伯爵・朝鮮総督・伯爵・従一位・大勲位菊花大綬章・功一級・大韓帝国大勲位瑞星大綬章)。

 「桂太郎」(人物叢書)(宇野俊一・吉川弘文館・昭和51年)によると、桂太郎少将ら主流派は、「月曜会」に対抗するため、すでに将校の親睦と軍人精神の涵養を掲げて組織されていた「偕行社」を利用することにした。

 その機関紙「偕行社記事」に将校らに研究材料を与える内容を盛り込み、各種研究会の学術研究の成果も取り入れるとともに、将校団の互助組織としての機能も付加して遺族に平等な給付をする組織として将校たちの利益団体の側面を持たせた。

 桂太郎少将は偕行社の幹事長に就任して、偕行社を陸軍の公式な組織として位置づけ、「新進有為」の将校達の利益関心を吸収するべく努めた。

 明治二十一年七月、陸軍次官・桂太郎少将と、監軍部参謀長兼陸軍大学校校長・児玉源太郎大佐は、「月曜会」を退会した。これに続き、次の二名の参謀をはじめ多数の将校が退会した。

 監軍部参謀・鮫島重雄(さめじま・しげお)中佐(鹿児島・陸軍教導団・陸軍士官学校生徒・工兵少尉<二十六歳>・工兵大尉<三十二歳>・近衛師団参謀・工兵第三大隊長心得・工兵少佐<三十七歳>・陸軍大学校副幹事・監軍部参謀・近衛師団参謀・工兵大佐<四十五歳>・近衛師団参謀長・中部都督部参謀長・少将<四十八歳>・由良要塞司令官・東京湾要塞司令官・中将<五十五歳>・第一一師団長・第一四師団長・大将<六十二歳>・男爵・正五位・勲一等旭日大綬章・功二級)。

 監軍部参謀・田村怡与造(たむら・いよぞう)大尉(山梨・陸士旧二期・歩兵少尉<二十五歳>・ベルリン陸軍大学校入校<二十九歳>・歩兵大尉<三十一歳>・監軍部参謀・参謀本部第一局員・歩兵少佐<三十五歳>・大本営兵站総監部参謀・歩兵中佐<四十歳>・第一軍参謀副長・歩兵第九連隊長・ベルリン公使館附武官・歩兵大佐<四十三歳>・参謀本部第二部長・参謀本部第一部長・少将<四十六歳>・参謀本部総務部長・参謀本部第一部長・参謀本部次長・死去<五十歳>・中将・従四位・勲二等旭日重光章・功四級・ロシア帝国神聖アンナ第三等勲章等)。

 陸軍の実力派幹部や留学帰りの俊英の若手将校らが「月曜会」を抜けたことは、各地の師団や連隊にも波及し、十二月末までに五百三十五名が退会するに至った。

 こうした機運を醸成した上で、翌明治二十二年二月、近衛都督・小松宮彰仁親王をはじめ、各師団長が連名で、「『月曜会』など陸軍内の様々な会を偕行社に統一すべきである」との建言が提出され、それを受けて、二月二十四日、大山巌陸軍大臣が「月曜会」などを解散すべしとの内達を発した。

 これにより、陸軍大臣・大山巌中将、山縣有朋中将(欧州視察中)、陸軍次官・桂太郎少将、監軍部参謀長兼陸軍大学校校長・児玉源太郎大佐ら陸軍主流派は四将軍派を退けた。以後、山縣有朋を中心とした陸軍閥が創られていくのである。