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陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

472.東郷平八郎元帥海軍大将(12)「高陞号」撃沈の報告が内地に伝わると、朝野をあげて驚愕した

2015年04月10日 | 東郷平八郎元帥
 このようにして時が経過する間に、「高陞号」の船内はますます清兵の騒ぎが大きくなって、船長等を脅迫する様子がありありと見えた。

 東郷艦長はその処置について、慎重に考慮した。その後再び、「ただちにその船を見捨てよ」と信号を発した。さらに、危険信号を意味する赤旗を高く掲げ、騒ぎまわっている清兵に反省を促した。

 だが、この危機に直面していながら、清兵は依然、船長を脅迫し「浪速」の命令に従わせないように、ある者はウオルスェー船長の額に銃口を突きつけ、ある者はその首に青龍刀を差しあてていた。

 停船命令を出してから、すでに二時間半が経過し、午後一時になろうとしていた。艦橋に立って腕組みしながらこれを凝視していた東郷艦長は、遂に最後の決心をした。

 「警笛を鳴らせ!」。東郷艦長は汽笛を立て続けに鳴らさせた。赤旗に次ぐ警報で、イギリス人船員たちが海に飛び込み始めるのが見えた。

 「撃沈します」。低いが凛として鉄線を弾くが如き声で、東郷艦長は叫んだ。

 東郷艦長は国際法上の上から、また、常識の上から判断して、この決心が断じて違法でないことに深い自信を持っていた。

 「撃ち方始め!」の命令で、水雷と砲弾が、「高陞号」に向かって発射され、よもやと思っていた清兵たちは、不意打ちをくらって狼狽して、銃や刀槍を以って走り回る様子が見えた。さらに、次々に海に飛び込んで、泳ぐ者、溺れる者で海面は覆われた。

 少数の清兵は最後まで船上にとどまって、小銃を発射して抵抗したが、「浪速」の砲弾が、船体に大破損を与えたので、午後一時十五分、後部から次第に沈み始めた。

 約三十分後には、「高陞号」は、マストの上部だけを水面に残して、船体は海中に没してしまった。東郷船長は、ウオルスェー船長とイギリス人船員二人を救助した。

 清兵は泳げる者は、北方の蔚島(ウルド)に向かって泳ぎ、泳げない者は、小銃を乱射しながら商船とともに沈んだ。蔚島にたどり着いた者は百四十七人だったが、指揮官の三人の大佐は、その中にはいなかった。

 「高陞号」のウオルスェー船長は、東郷平八郎が学んだイギリスのウースター商船学校の二年後輩だった。それが判ったのは明治四十四年だった。

 この年に、東郷平八郎は、東伏見宮依仁親王に随行してロンドンに行った際、ウースター商船学校の卒業生たちが東郷平八郎の歓迎会を開いた時だった。

 ウオルスェー船長は、「高陞号」事件を思い出し、「歓迎会に出席しないほうがいい」との手紙を東郷平八郎に送った。それで、判ったのだ。

 「高陞号」撃沈の報告が内地に伝わると、朝野をあげて驚愕した。相手は世界の大国、イギリスである。イギリスという大国と戦う事になれば、日本にとっては大打撃である。

 英国東洋艦隊司令長官・フリーマントル海軍中将は、連合艦隊司令長官・伊東祐亨(いとう・すけゆき)中将(鹿児島・戊辰戦争・装甲艦「比叡」艦長・大佐・装甲艦「扶桑」艦長・横須賀造船所長・英国出張・防護巡洋艦「浪速」艦長・少将・常備小艦隊司令官・第一局長・海軍大学校校長・中将・横須賀鎮守府司令長官・常備艦隊司令長官・連合艦隊司令長官・軍令部長・子爵・大将・議定官・軍事参議官・元帥・伯爵・従一位・大勲位・功一級)に、「高陞号」撃沈に関して厳重な抗議をした。

 連合艦隊司令長官・伊東中将は、「浪速」艦長・東郷平八郎大佐を呼び出し、フリーマントル中将の抗議をそのまま伝えた。

 東郷大佐は、平然たる態度で、「誰が何と言っても、東郷のとった措置には、断じて間違いありません」と、言い放った。

 その信念を持った強い言葉は、聞くものをして頼もしい気を起させた。東郷大佐は、かつて英国に留学した際、国際法を学んでおり、今回のことは、法理上、また常識の上からも、十二分に考究して、熟慮断行したもので、心中、何ら不安はなかったのである。

 イギリスの世論は、「浪速」の「高陞号」撃沈を極度に難詰し、英国外務大臣・キンバレー伯は、日本国の青木周蔵(あおき・しゅうぞう)公使(山口・長州藩藩校明倫館・ドイツ留学・外務省・駐ドイツ公使・駐オランダ公使・外務次官・外務大臣・駐ドイツ公使・外務大臣・駐イギリス公使・枢密顧問官・子爵・駐米大使・勲一等旭日桐花大綬章・勲一等タイ王冠勲章)に向かって、次のように述べた。

 「日本海軍将校の措置から生じた英国民の生命財産の損害に関しては、日本政府はその責任に任ずべきものである」。