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陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

442.乃木希典陸軍大将(22)桂師団長から侮辱されたと知った乃木旅団長は、顔色をさっと変えた

2014年09月12日 | 乃木希典陸軍大将
 これを聞いた乃木少将は、すッと、立ち上がって、サーベルを腰に下げると、帽子を取って、「やァ、失礼した。都合によって出立します」と言った。

 呆気に取られた番僧たちを尻目にかけて、乃木少将は、ズンズン出て行った。石田副官も跡から続いて、出かけた。

 山門の前に立って、乃木少将は石田副官を待っていた。石田副官が「随分、礼を知らぬ輩(やから)であります」と言うと、乃木少将は「近頃の坊主は、大概、あんなもんじゃ」と答えた。

 そのあと、乃木少将は「それに、わしの額と、桂の額を並べて掛けるのじゃそうだ」と言った。石田副官が黙っていると、乃木少将は「桂の額と、並べられては堪(たま)らんからな」と言った。

 名古屋の第三師団長・桂太郎中将と、第五旅団長・乃木希典少将の仲はどうもうまくいかなかった。

 周囲の者もいろいろと気を使ってとりなそうとしたが、乃木少将のほうで桂中将を嫌っていた。それが桂中将にもわかるから、桂中将も乃木少将を嫌うということで、しっくりしなかった。

 とうとう乃木少将は病気と称して会議などにも出席しなくなった。つむじを曲げてしまったのである。

 ところが十一月三日がきた。十一月三日は天長節であった。各師団では観兵式(分列式)を行う。天長節の観兵式を仮病で休むことは、御上への畏れ、と乃木少将は考えて、旅団長として出て行かないわけにはいかなかった。乃木少将はすぐに全快届けを提出した。

 桂師団長は乃木旅団長に、その日の諸兵の分列式の指揮官を命じた。慣れている乃木少将には、それ位の役目は何でもないことだった。

 この頃、虫歯に悩まされていた乃木少将は、ついに、反対する歯医者に無理やり命じて、上顎と下顎の歯を一度に全部抜いてしまい、総入れ歯にしてしまった。乃木少将は、「これで虫歯に悩まされる事も無い。すっきりしたもんじゃ」と言った。

 ところが、この観兵式の最中に、乃木旅団長が馬上で指揮をしていて、大声で号令をかけた瞬間、この入れ歯がふっ飛んで落ちてしまった。それを見た桂師団長は声をあげて大笑いをし、幕僚たちもつられてクスクス笑った。

 観兵式がとどこおりなく終わって、乃木旅団長は、桂師団長の前に馬を進めて、指揮が終わったことを報告した。

 すると、乃木旅団長の顔を見ながら、桂師団長はニコニコしながら、左右に控えている井上参謀長や各団隊長に「乃木旅団長は、病気じゃというが、たとえ、病気でも、これ位元気があれば、大丈夫じゃ、やれば立派に務まるじゃないか、ハッハハハ……」と、暗に仮病だろうと、高笑いをした。

 入れ歯の落ちたくやしさの上に、さらに桂師団長から侮辱されたと知った乃木旅団長は、顔色をさっと変えた。乃木旅団長は、黙って挙手の礼をして、桂師団長の前を退くと、パッと馬を返して厩舎の方へ走り去った。

 乃木旅団長はそのまま駅へ行き、石田副官に、「おい、石田。俺は辞めてしまうから、あとは頼むぞ」と言って、東京行きの列車に乗ってしまった。

 東京に着くと、乃木旅団長は病気休職を願い出た。同郷の第一師団参謀長・寺内正毅大佐(山口・戊辰戦争・戸山学校卒・フランス留学・駐在武官・大佐・陸軍士官学校長・第一師団参謀長・参謀本部第一局長・少将・歩兵第三旅団長・教育総監・参謀本部次長・中将・陸軍大臣・大将・子爵・韓国統監・朝鮮総督・伯爵・軍事参議官・元帥・内閣総理大臣・従一位・大勲位・功一級)が乃木旅団長に、どうにか思いとどまるよう、なだめた。

 だが、乃木旅団長は首を振るばかりで、意志を変えなかった。それから、しばらくして、明治二十五年二月、乃木少将はとうとう休職を仰せ付けられた。

 休職になった乃木少将は、栃木県那須野に三反歩ほどの百姓家と、三町歩ほどの田畑、十三町歩ほどの山林を所有していたので、東京と那須野を往復して、晴耕雨読の生活をした。

 乃木希典は明治十八年五月に三十六歳で陸軍少将になってから、今回の休職(四十三歳)まで七年近く少将のままである。中将に昇進するのは日清戦争後の明治二十八年四月で、四十六歳のときである。十年間少将のままだった。

 乃木少将の不遇は、同じ長州出身の軍人の中にも少なからぬ敵がおり、重く用いられなかったのである。特に山縣有朋に睨まれて、後輩の桂太郎にさえ疎外されるという境遇だった。

 そんな状況にもかかわらず、当時、乃木少将に味方する者も多数いたが、その中でも、最も乃木少将に手を差し伸べて親交を尽くしたのが、乃木より八歳年長の男爵、第一師団長・山地元治(やまじ・もとはる)中将(土佐藩=高知・戊辰戦争・陸軍中佐・西南戦争に歩兵第四連隊長として出征・歩兵第三連隊長・歩兵第一二連隊長・少将・熊本鎮台司令官・大阪鎮台司令官・歩兵第二旅団長・中将・男爵・第六師団長・第一師団長・日清戦争に出征・子爵・西部都督・死去)だった。