すると、乃木少将は「わしは、こういう取り扱いを受けるつもりではなく、信者並みに願いたい、と申し込んだ筈じゃが、これでは困る」と番僧たちに言った。
番僧は「別に、これと申して、特別の御取り扱いも出来ませぬ。何分にも、山の事で御座いまして、これが精一杯の事で、へへへ……」とへりくだった笑いを見せて答えた。
乃木少将は「イヤ、こんな歓待を受けるのなら、来るのではなかった」と言った。
番僧は「御立腹では、恐れ入ります。これ以上には、如何とも致し方が御座いませんので、どうぞ御不承を願います」と答えた。
さらに乃木少将が「勝手な事を申すようじゃが、信者並みにしてもらいたい」と言った。
番僧は「どういたしまして、閣下に対して、左様な事が、出来るものでは御座いません。何事も住職の不在で手回りかねますが、御勘弁願います」と言う。
乃木少将が「それは、困った」と言っても、番僧は「さあ、お席へ…」と促した。乃木少将は止むを得ず、席に着いた。
二枚並べてある座布団の間に座ったから、番僧は驚いて、「粗末なものでは御座いますが、それへ、どうぞお着き下さいませ」と座布団を乃木少将の方へ、寄せようとした。
それを。押しのけて、窮屈そうにして、乃木少将は、「わしは、これが勝手じゃ」と座った。番僧が「まあ、どうぞ…」と言うと、乃木少将も「これで、よい」と言って引き下がらなかった。
これは、乃木少将が故意にするのではなく、平生からの流儀だった。畳の上に、どんな敷物でもあれば、その上、座布団を用いる事はしない、乃木流とでもいうべきか、そういう事にしていたのだった。
大演習に出かけて民家を宿舎代わりにするときでも、乃木少将は、特別の扱いをされるのが大嫌いで、その家の家族と同じ取り扱いを望んでいたのである。
演習地へ出かける時は、大きな握り飯に梅干を入れて、竹の皮包みを腰にぶら下げるのが例になっていた。帰って来ると、くたびれた時は、床の間に新聞紙か風呂敷をかけて、それを枕に、ゴロリと寝るのも、乃木流の一つであった。
そういう自分の流儀を、乃木少将が言葉に出して言っても、それを理解しようとしない番僧たちは、ひたすら“特別なおもてなし”を良かれと思って、押し付けていたのであるから、両者はいつまでも相容れることはなかった。
さて、半僧坊の大広間では、石田副官も座布団を敷かずに、乃木少将と同じようにして、座っていた。主なき座布団はそのままにしてあり、見た目には変な情景だった。
やがて、番僧は、絖(ぬめ=絹織物で日本画等に使用される)を五、六枚と、大きい硯に、筆を添えて、乃木少将の前に運んで、次のように言った。
「お疲れ中、まことに恐れ入りますが、当寺の為に、一筆お残しを願いたいもので、大額を一枚、あとは掛軸に致しますつもりで、御座いますから、然るべきよう、願い上げます」。
乃木少将は、いよいよ渋い顔をして、「これは何じゃ」と言った。「一筆、願いたいので御座います」と番僧は答えた。
「わしに、字を書けと言われるのか」と乃木少将が言うと、番僧は「ハイ」と答えた。
とうとう乃木少将は「字を書かねば、泊めてもらえないのか」と言った。すると、番僧はあわてて、「左様な次第では、御座いません」と答えた。
乃木少将は「それならば、御免蒙ろう」と言うと、番僧は「併し、当寺の記念として、願いたいのであります」と重ねて言った。
乃木少将は「字を書くことは嫌いじゃ」と言った。すると番僧は「そこを、御無理でも、願いたいのでありまして、ハイ」と引かなかった。
さらに乃木少将が「わしは、書かぬ」と言うと、番僧は次のように言った。
「先ほど、付近の有志の者へは、それぞれ通知をいたしましたから、そのうちに皆やって来ることと思いますが、それまでに、是非、一筆願いたく存じまして。実は桂師団長閣下にも先般、願い上げまして、あちらの座敷に掲げてございます。その額と、閣下の額と、二つを以って、当寺の誇りといたしたく存じますので、強いて願い上げます」。
番僧は「別に、これと申して、特別の御取り扱いも出来ませぬ。何分にも、山の事で御座いまして、これが精一杯の事で、へへへ……」とへりくだった笑いを見せて答えた。
乃木少将は「イヤ、こんな歓待を受けるのなら、来るのではなかった」と言った。
番僧は「御立腹では、恐れ入ります。これ以上には、如何とも致し方が御座いませんので、どうぞ御不承を願います」と答えた。
さらに乃木少将が「勝手な事を申すようじゃが、信者並みにしてもらいたい」と言った。
番僧は「どういたしまして、閣下に対して、左様な事が、出来るものでは御座いません。何事も住職の不在で手回りかねますが、御勘弁願います」と言う。
乃木少将が「それは、困った」と言っても、番僧は「さあ、お席へ…」と促した。乃木少将は止むを得ず、席に着いた。
二枚並べてある座布団の間に座ったから、番僧は驚いて、「粗末なものでは御座いますが、それへ、どうぞお着き下さいませ」と座布団を乃木少将の方へ、寄せようとした。
それを。押しのけて、窮屈そうにして、乃木少将は、「わしは、これが勝手じゃ」と座った。番僧が「まあ、どうぞ…」と言うと、乃木少将も「これで、よい」と言って引き下がらなかった。
これは、乃木少将が故意にするのではなく、平生からの流儀だった。畳の上に、どんな敷物でもあれば、その上、座布団を用いる事はしない、乃木流とでもいうべきか、そういう事にしていたのだった。
大演習に出かけて民家を宿舎代わりにするときでも、乃木少将は、特別の扱いをされるのが大嫌いで、その家の家族と同じ取り扱いを望んでいたのである。
演習地へ出かける時は、大きな握り飯に梅干を入れて、竹の皮包みを腰にぶら下げるのが例になっていた。帰って来ると、くたびれた時は、床の間に新聞紙か風呂敷をかけて、それを枕に、ゴロリと寝るのも、乃木流の一つであった。
そういう自分の流儀を、乃木少将が言葉に出して言っても、それを理解しようとしない番僧たちは、ひたすら“特別なおもてなし”を良かれと思って、押し付けていたのであるから、両者はいつまでも相容れることはなかった。
さて、半僧坊の大広間では、石田副官も座布団を敷かずに、乃木少将と同じようにして、座っていた。主なき座布団はそのままにしてあり、見た目には変な情景だった。
やがて、番僧は、絖(ぬめ=絹織物で日本画等に使用される)を五、六枚と、大きい硯に、筆を添えて、乃木少将の前に運んで、次のように言った。
「お疲れ中、まことに恐れ入りますが、当寺の為に、一筆お残しを願いたいもので、大額を一枚、あとは掛軸に致しますつもりで、御座いますから、然るべきよう、願い上げます」。
乃木少将は、いよいよ渋い顔をして、「これは何じゃ」と言った。「一筆、願いたいので御座います」と番僧は答えた。
「わしに、字を書けと言われるのか」と乃木少将が言うと、番僧は「ハイ」と答えた。
とうとう乃木少将は「字を書かねば、泊めてもらえないのか」と言った。すると、番僧はあわてて、「左様な次第では、御座いません」と答えた。
乃木少将は「それならば、御免蒙ろう」と言うと、番僧は「併し、当寺の記念として、願いたいのであります」と重ねて言った。
乃木少将は「字を書くことは嫌いじゃ」と言った。すると番僧は「そこを、御無理でも、願いたいのでありまして、ハイ」と引かなかった。
さらに乃木少将が「わしは、書かぬ」と言うと、番僧は次のように言った。
「先ほど、付近の有志の者へは、それぞれ通知をいたしましたから、そのうちに皆やって来ることと思いますが、それまでに、是非、一筆願いたく存じまして。実は桂師団長閣下にも先般、願い上げまして、あちらの座敷に掲げてございます。その額と、閣下の額と、二つを以って、当寺の誇りといたしたく存じますので、強いて願い上げます」。