陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

16.石原莞爾陸軍中将(6) その子は現在の世界的な指揮者小沢征爾である

2006年07月07日 | 石原莞爾陸軍中将
「夕陽将軍」(河出書房新社)によると、昭和6年9月18日に柳条溝事件が勃発したが、その一ヵ月後に、満州青年連盟の長春支部長・小沢開作が石原莞爾に質問した。

 勃発時圧倒的な中国軍を目の前に見ながら、長春から兵を引いて、奉天に兵を終結しようとした関東軍のやり方を不審に思ったのだ(実際はそうならなかったのだが)。

 小沢は「長春にいた日本人二万人を見殺しにするつもりだったのですか?」と訊いた。

 「そうです」と石原。

 「軍人はひどい。長春の二万人は死ぬ所だった」

 「小沢さん、あなたは、それでも青年連盟の会員ですか」

 「何ですって?」

 「奉天をやっつければ、奉天の命令で動いている長春の中
国兵は手の出しようがないじゃないですか。首をちょん切られた蛇ですよ」

 「参った。なるほど」

 小沢はかぶとを脱いだと言う。

 満州青年連盟の小沢開作は歯科医だが、石原莞爾を高く認めており関東軍に全面的に協力して多大な功績を残した人物である。

 満州事変から4年後の昭和10年小沢の子供が生まれたが、小沢は子供の名前に、板垣征四郎の「征」と、石原莞爾の「爾」をとって「征爾」と名づけた。その子は現在の世界的な指揮者小沢征爾である。

  「夕陽将軍」(河出書房新社)によると、昭和10年4月23日、満州事変の武勲に輝き、今を時めく石原莞爾大佐の講演会が鶴岡で開かれた。

 その講演会で、石原は「私は今から約五十年前、この鶴岡で生まれました。幼年から軍人たらんと志望しましたが、貧乏士族の悲しさ、学資がなくて困っていたところ、鍛冶町の富樫治右衛門翁の好意にあずかるを得、月々学資の補助を受けて幼年学校に学びましたが、いまだに何の報恩もしないで心苦しく思っている次第です」と言った。

 当時、満州国建国の偉大な貢献者で、日本中の栄光を一身に集めていた超エリート軍人から出たこの言葉に、講演会の聴衆はシーンとして聞き入った。

 この演説から感じられることは、軍人であると同時に、日蓮宗を信奉した石原の思想は、自分の栄達を目指して上を見上げるものではなく、常に下に目を落としていたようだ。下とは、あくまで民衆の幸福の実現に思考の基点を置いたものであったと思われる。