OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

潮目が変わるかな・・・

2008-10-15 22:04:45 | Weblog
「潮目」とか「潮時」とか、やっぱり好いですね、日本語の表現。少し前にも、「塩梅」って言い方が素敵だなという話をしたような気もするんですが・・・微妙な「時」を読む感覚を、自然の事象で表すセンスとか、その裏にある哲学的なものが、とっても好みなのであります。

なんて、また突然、妙なことを言い出したとお思いでしょうが・・・実は、最近、なんとなく、わたしの人生の潮目が、これから変わっていくんじゃないかと・・・特に根拠なく、そんなことを思うのですよ。

もちろん、父のことはありますが・・・でも、今、感じているのは、そういうことじゃなくて・・・もっと、些細なことが集まってできる大きな潮の流れみたいなことなんですが・・・自分でも、よく分かってないので、まったく巧く説明できないですね(^^;。みなさんも、そんな風に感じられたこと、なかったですかね?

って・・・それ以上、何も発展性のない話なんですけど・・・(^^;。

そうそう、デジカメ、買いました。欲しいといっていた機種は、やっぱり、わたしには高価すぎたので、もう少し安いのを・・・っていうか、処分品で安くなっているのを買いました(^^;。とはいっても、OLYMPUSのSP-570UZ。決して、悪くはないですよ。わたしのように、ちょっと頑張りたい気分のド素人には相応しいかと思います(^^)。

で、なぜ、このデジカメを買ったかと言うと・・・前のデジカメを、洗濯機で洗って、壊してしまったからなんです(涙)。

いえいえ、決してワザとじゃないですよお。ほんとに不可抗力・・・いや、不可抗力ではないですが・・・純然たる失敗なのですよお・・・信じてください。

あっ、そうだ・・・こういうことも、ある種、潮目の変化の一つのように思うんですよぉ。ほんと、ごくごく些細なこと・・・それだけだと、当たり前に起こる、普通のこと・・・でも、それらが積み重なると、何かが、少しずつ動いていく、みたいなね・・・そんな気がするんですねぇ。ん~ん、やっぱり、伝わりつらいですね(^^;。

でも、とにかく、もし本当に潮目が変わるなら、その変化には乗りたいなって思うんですよね。生活を大きく変えたいっていうより・・・心持ちを変えたいから・・・この機会に、気持ちを切り替えていければなって思うんです。

世の中の出来事って・・・あたりまえですが・・・自分の思い通りにならないことばかりじゃないですか。でも、そういう自分の外のことだけじゃなく、自分の内側も、なかなか自分の思う通にはならないんですよね。自分の中にも、やっぱり、流れみたいなものがあって・・・それに逆らっては、あちこちに滞りをつくってしまうでしょ。

だから、巧く潮目を読んで、好い潮に出会ったなら、逃さず乗っていきたいものだと・・・ちょっと大袈裟な表現ですが、そんなことを思っているのでありました。

昨日に引き続き、だらだらと内容のない話で、申し訳ありません!!

たかが・・・と、思う気持が好き(^^)

2008-10-14 22:36:17 | Weblog
よく「ハマル」って表現、するじゃないですか。あまり、奇麗な言葉じゃないなぁと思いつつも、妙のある言葉だなって思うんですよ。

「夢中になる」とか「熱中する」なんてあたりが、同じようなことを表現している言葉なのかなぁ。でも、それじゃぁ、「ハマル」の持つ・・・ん~、なんていうんだろう・・・馬鹿馬鹿しさっていうのかな・・・ある種の理不尽さも含めて・・・本人も納得できないのに、まさしく穴に落ち込んじゃうような・・・そんな感じが表現されないですよね(^^;。

でね・・・わたしが、人にハマル時・・・けど、ガッツリとハマルんじゃなく、なんかハマルなぁって感じる相手・・・それに、ある共通点を見つけた気がして、今日は、そのことを、ご報告したいなと思います。って、別に誰も、そんなこと聞きたくないか(^^;。

でも、まっ、勝手に、発表しちゃいます(^^)。

それはね・・・すごく自信がありながら、同時に「たかが」って思っているってこと・・・のような気がするんです。

わたし、基本的に自信のある人、好きなんですけど・・・でも、自信だけだと、やっぱりウザイんですよね。でも、自信の源になるものに対して、強い誇りと愛情を持ちつつ、でもそれをキッチリ「たかが」って客観視している、そういうのを感じると、グッとくるように思うんですよね。

それは、自分自身に対する自信でも、大切にしているものに対する自信でも同様なんですが・・・その自信の由来が、あくまでも、自分の主観だと思っていること・・・つまり、自分が認めているものが、他人からも認められるべきものだとは思っていないことが肝心なんですよね。

客観的にみれば「たかが」なことであろうけれど、私にとっては「最高」なんだと、そういう自信を、臆面もなく、屈託もなく、持っているタイプの人には、どうもハマッてしまうようですね。

それが、どっぷりハマルとなれば、もっと屈折している人が好きなんですけどね(笑)。物凄い屈折と物凄い自信が、自分の中で常に鬩ぎあってて・・・そういう自分を嘲笑しつつ、仕方ねぇからトコトン付き合ってやるよって思っているタイプね(爆)。

と、まぁ、いい年をしたオバサンの「人の好み」なんて、ほんと、どうでもいい話なんですが、今日は、何もネタがなかったことですし・・・これでお茶を濁させていただきましたです。どうも、お目汚しでした。

ナチュラル・ボーンな悪人はいるか

2008-10-13 16:31:25 | Weblog
わたしが、裕太絡みのエピソードを話す時、それを読んでくださった皆さんは、「ん?彼は、いったい何歳だっけ?」と、違和感を感じられているのではないかと、内心、心配しております。なんと言いますか・・・選挙権もある大学生とは思えぬ幼さを、わたしが紹介する彼の言動から、感じ取られているのではと(^^;。

実際、彼は、親の目から見ても、かなりオボコイと言いますか・・・あまり、若い男性特有の猛々しさのない人間のように感じられます。本人に言わせれば、家族には見せない顔があるらしいのですが・・・どうなんでしょうね(^^;。

とにかく、彼は、物事を複雑に捉えないというか・・・どんなことでも斜めから見ないというか・・・。なので、映画やTVドラマなどを見ていても、作り手側の意図通りの反応をする、とても有り難い観客です(爆)。

あっ、でも、先日、車のラジオから流れてきたジャズの曲を「気持ち悪い」って言ってました(^^;。なんでも、次の音の予測が出来ないから、船酔した時みたいになるって言うんです。「それはきっと、ジャズの音の流れに馴染んでないからなだけで、慣れると君は好きになると思うよ」と言ったら、「そうかなぁ~」って言ってました。

とまあ、たまに、そういうこともあるんですが・・・基本、なんでも肯定から入る傾向のある人です、彼は。

とね・・・その裕太が、先日、ポソッとこう言ったんですよ・・・「それでも、やっぱり、悪人なんて居ないと、俺は思うんやけどなぁ」って。そもそも、その時、わたしたちは、そういう話はしていなかったので、彼の中で、何か自問自答した結果、出た言葉だったんでしょうね。「それでも、やっぱり」とか「けどなぁ」って言葉から推測すると、少なくても「悪人は居るのかもしれない」という疑問が彼の中に生まれていて、そのことについて考えた末の答えだったのでしょうね。いったい、彼に何があったのかなあ~。

そう言えば、少し前に、バイト先で、ものすごくショックなことがあったと言い出したことがありましたっけ。いったい何があったのかと思って、「どうしたん?」って聞いたら、「○○さんが、当たり前みたいに、□□の人のことを差別するようなこと言うねん。俺、ビックリした!」と言うんです。伏字で判りづらいかと思いますが、まあ、お察しの通り、人種差別・国籍差別的なことです。正直、わたしは「なんだ、そんなことか」と気が抜けて、「悲しいことやけど、まだまだ、そういう人はいはるでしょう」と、軽く受け流したんです。すると彼は「年輩の人とちゃうんやで。俺らくらいの年代の人やのに、なんで?!」と噛み付いてきました。仕方ないので「その人の育ってきた環境の影響が大きいやろねぇ」と応えると、「俺の周りには、今まで、一人も、そんな奴はおらんかった」と、相変わらず憤慨した調子で言います。「そりゃぁ、君が幸せな環境にあったってことやったね。けど、これからは、色んな考えの人に出会うと思うよ。中には、どうしても相容れないような考え方の人もいると思う。そして、そういう人が上司だったりしたら、けっこうツライことになるね」と言ったんですが・・・

たぶん、そういうことも踏まえた上での・・・「それでも、やっぱり、悪人は居ない」というのが、現時点での彼の結論だということなんじゃないかなと思うのですが、ふむ・・・(^^;。

というようなことがあったので、昨日、藍那に質問してみました。「ねぇ~、藍那は、世の中に、根っからの悪人がいると思う?居ないと思う?」って。すると、彼女からは、「誰もが自分の利益を一番に考えていると思うよ。けど、それを悪人と言うかどうか・・・むしろ、それ(自分は自分の利益の為に行動しているのだということ)を認識している人の方が、わたしは好きだし・・・」と、わたしにとっては、とっても分かりやすい答えが返ってきました。

なので、わたしも「そうやねぇ~。自分の利益って、必ずしも、他人の不利益じゃないしね。他人が泣いているのに、自分だけ幸せって気分には、なかなかなれないものやし・・・自分の幸せを一番に考えることは、決して悪いことじゃないものね。逆に、自分の幸せを考えないで、他人の為に自分を犠牲にしますっていう人が善人かどうかも、よく考えんといかんしね」と言いました。すると、藍那が「でも・・・やっぱり、ほんとに悪い人って、よく分からないわ。だって、今までに、そういう人に、会ったことないもん」と、弟と同じような事を言い出したのです。

「そっか・・・この姉弟は、友だちを始め、人に恵まれた二十数年を過ごしてきたんだなぁ」って、ちょっと感激したんですが・・・じゃぁ、わたしは、今までの人生で「生来の悪人」に出会ったかなって考えると・・・ふうむ、確かに、彼らの言う通り、わたしも、そんな人には出会ってない気がするんですよね。

たしかに、今までであった中で、好意をもてなかったっていうか、とても良い人だとは思えなかった人は、たくさんいますよ。でも、それって、たまたま、お互いのエゴが前面に押し出されるような場面に遭遇してしまって・・・だから、お互いの嫌な部分ばかりが激突した中で構築したイメージなわけで・・・きっと、別の場所で会えば、その人だって、好い人かもしれないわけで・・・ふむ。

とはいっても、ニュースなどでは、極悪非道な事件が日々引き起こされていると知らされるし、国外に目を向けても、我々の歴史を振り返っても、かなり残酷で悲惨なことも行われているようだし・・・生来の悪人など居ないと言うには、われわれ人間は、不完全すぎる生き物だと思わざるを得ないんですが・・・

裕太や藍那が言うように、自分の目では「生来の悪人」は確認していないわけだから・・・わたしも、彼ら同様「それでも、やっぱり、悪い人はいない」って思っておくべきなのかなぁ・・・などと考えました。

ん~、でも、どうなんだろうなぁ・・・やっぱり、そういう捉え方は幼稚すぎるかな・・・いや、大人ぶって悪ぶって、判った風なことを言うよりイイのかなぁ~・・・う~ん。どうも、子どもに課題を与えらる結果になったようであります・・・母さん、しっかり悩むかぁ~(^^;。

農業デビュー近し?

2008-10-11 18:44:38 | Weblog
デジカメ、欲しいなぁ~って話をしましたが、実は、欲しい機種が、一つあるんですよね。「EXILIM PRO EX-FH20」。でも、七万円くらいするので、ちょっと手が出ないかな。その一つ上の「EX-F1」だと、十万の大台に乗っちゃうし・・・やっぱり、いいものは高いですね。今使っているのも、一応「EXILIM」なんですが、カードタイプの超コンパクトなの。スタイルはお洒落なんだけど、写真を撮るという肝心の部分での、物足りなさがありますから、マジで、そろそろグレートアップしたいんだけどなぁ。

使い慣れているという点では、仕事で支給されて使うことも多い、サンヨーの「Xacti」。フルハイビジョン録画も出来るタイプが出てるし、水中撮影が出来るタイプもあって、動画機能が充実しているのが魅力なんだけど、写真に限定すると、ん~~~・・・どうかなぁ。

でも、どっちにしろ、資金がないので買えないんですけどね(涙)。ああ~、欲しいなぁ。

でもって、今日の写真は、我が家の納屋です。手前がトラクター、奥にあるのがコンバイン、それからあとは米の乾燥機かな、良く知らない(爆)。

ほんと、農家に生まれながら、わたし、何も知らないんですよ、農業のこと。ほとんど手伝ったこともないですしね。

でも、それは、わたしが嫌がったからじゃなく、母が嫌がったからなんです。母も農家の生まれなんですが、子どもの頃から、ずいぶんと野良仕事を手伝わされたそうです。母の父が早くに他界し、男手といえば、長男である兄さんだけ。それで、体が丈夫だった母が、当然のように駆りだされたようです。体の弱い姉や妹が、家で和裁などしているのを横目に見ながら、畑仕事に出かける時、母の中には、そうとう恨みがましい思いがあったようですね。それで、嫁に行く時には、農家じゃないところがいいと、心から思っていたそうです。

それでも、結局、小規模ながら農家に嫁いで、やっぱり野良仕事からは逃げられなかった。それで、やっと授かった一人娘だけには、農業と関わりない生活を送らせようと決心したようです。

わたしは、二歳十ヶ月で保育所に入れられたんですが・・・当時、そんなに早くから保育所に子どもを預ける家は少なかったようです。なので、周りの人には随分と批難されたようですし、肝心の保育所にも、最初は入所を断られたようです。もちろん、幼いワタシも親から離れて保育所なんかに行きたがらない。でも、それでも無理やり、母はワタシを保育所に入れた。その理由は、「田んぼや畑の横で、お前を育てたくなかった」からだそうです(^^;。

そんなですから、農作業を「手伝わんでええ」と言われたことはあっても、「手伝ってくれ」と言われたことがなかったのですが・・・昨夜、どうも「手伝って欲しいな」と思っているような口ぶりで、今後のことについて相談されました。

父がいなくなって、母一人では、とても米作りができないわけですが・・・「来年、米、どうしょ~」と言った母の様子は、どうみてもワタシに「手伝うから、米づくりは続けよう」と言って欲しそうだったんですよね。

人にお願いするという道も無くはないのですが、この秋の収穫をお願いした費用は、米を売った収入の倍近くにもなりましたし・・・やっぱり、人に頼むのは賢明じゃないんですね。

だから、もちろん、言いましたよ、「手伝うよ」って。少なくても、トラクターや田植え機やコンバインなど、乗って操作する農機具に関しては、動かせる自信はありますし、秋の収穫時の力仕事に関しては、裕太や夫に手伝ってもらう事にして・・・なんとか、母と一緒にやっていこうと、今は思っています。

なんとなぁ~・・・この歳になっての農業デビュー。予想してなかったなぁ(^^;。門前の小僧ではありますが、ほんと、何も知らないので・・・母は、指示するのが大変だと思いますが・・・でも、まっ、これも一つのチャンスかと思います。だって、新しいことに取り組めるわけですからね。

野菜作りに関しても、いろいろ工夫していこうよと話しています。なるべく母の体の負担が少なくてすむよう考えながら・・・たとえば、果樹園の充実とかも検討しながら、無理せず、ぼちぼち、やっていこうと。

大変だぁ~って思うと大変になっちゃいますから、楽しみだぁ~って、そう思うようにしようと思っています(^^;。

母には苦労をかけてきましたからね・・・母が望んでいることなら、できるだけ叶えてあげたいですよね。あまり、出来ることは多くないとは思うんですけど、出来るだけね(^^;。

ギリギリの向こう側

2008-10-10 17:00:11 | Weblog
写真は、蜘蛛の巣です。大きな蜘蛛が、芸術的な二重構造の蜘蛛の巣を作っていたので、それを写真に収めたかったのですが・・・わたしのデジカメでは、通常で撮ると蜘蛛は豆粒のように小さくしか写らず、ズームにしたら、こんな風にボケてしまうのです。で、どっちにしろ肝心の巣は、まったく写りません(^^;。やっぱ、仕事でも必要なのだし、性能の良いデジカメ、買うべきかな。仕事の為といえば、ちょいとセンスの好いスーツも一着欲しいんだけどなぁ。でも、ああ~、お金がぁぁ~~~、お金が無いっ!!!

で、お金の話です(爆)。銀行さんとの第一回目の折衝が不調に終わったという話は、数日前にしたと思うのですが・・・その時、銀行の担当さんと話していて感じたことを、ちょいとお話ししたいと思います。

その銀行は、誰もが知っている大手銀行の一つです。なので、いくら田舎の支店勤務とはいえ、そこに勤めてらっしゃる彼は、決してイワユル“負け組み”ではないと思うのであります。実際、彼と話していると、言葉の端々、発想のソコココに、「この人はギリギリを知らないのだろうな」って思わせるものが散りばめられていました。

どういえばいいかなぁ~・・・「仰っていることは分かりますが、そこを何とかって話をしたいんです」って、そう言いたくなるんですよね(^^;。

もちろん、彼は銀行マン。銀行の利益の為に働いているわけです。決して優良とはいえない客の言い分を、そのまま聞いていられないのは分かります。でも、銀行が許容できる範囲で、客の為にアイデアを捻り出すのもまた、彼らの仕事だと思うんですよね。っていうか、それが銀行の為にもなると思うんですが、違いますかね。でも、ギリギリを知らない彼は、わたしでも調べれば分かるだろうような、定番のことしか言わない。ギリギリのところで何とかしていかなくゃいけない発想がないんですよね。

結局、彼と別れてから、わたしは自分一人で対策を捻り出すしかなかった。

ずいぶん前ですが、民主党の鳩山さんが、ものすごく経済観念のない発言をされたことがありましたよね。具体的なことは思い出せないんですが、とにかく、大金持ちのお坊ちゃまの金銭感覚が露呈して、国民は、怒るより呆れてしまった記憶があります。たぶん、鳩山さんに、まったく悪意がなく・・・ただ単に、金銭感覚が、われわれと掛け離れているだけだったので・・・それで、バッシングも起きなかったのだと思いますが・・・ほんとは、政治家としての彼の資質に、かなり見逃せない深刻な問題が潜んでいるってことだと思うんですよ(^^;。

大袈裟ですが、マリー・アントワネットが、今日食べるパンもなく民衆は飢えていると言われて、「パンが無いなら、ケーキを食べればいいのに」と、無邪気に言い放ったというエピーソードに通じるものが。もっとも、アントワネットは、そんな発言をしていなかったらしいですが、彼女がとてつもなく庶民から遠ざかっていたのは事実でしょうからね。

で、その極々小規模バージョンが、銀行さんとワタシの間にもあるんだろうなと、そう思ったわけです。

実は、わたしは、もっと銀行さんを、高く評価し期待していたんですよね。銀行さんが付き合うのは、優良企業さんだけではないはずですから、大変な状況の中で頑張っておられる事業主さんとのお付き合いの中からも、色んなことを学ばれているだろうと。だから、腹をわって相談すれば、さぞかし適切なアドバイスや、素人では思いつかない対応策なども提示してくれるんじゃないかと・・・でも、それは期待しすぎっていうか・・・客側の甘えでしかなかったようです。銀行さんにとって、ギリギリに陥ってしまった顧客は、もはや顧客ではなく、少しでも早く被害少なく切りたい相手でしかないんですよね。

けどね・・・そういうの、勿体無いですよって、わたしは思うんですよ。成功したい人たちは、とかく成功者の伝記や語録を読みたがりますが、むしろ失敗例から学ぶことも多いと思うんです。その点、銀行さんは、山ほどの成功例と山ほどの失敗例に出合う仕事ですから、その双方に本気で関わっていけば、ものすごく多くのことを学べると思うんです。逆に、そこで頑張らないなら、大手銀行の銀行マンといえど、ただの事務屋に過ぎないじゃないかって思うんです。

とは言いつつ・・・実は、わたし自身も、自分のことを「甘いなぁ~」と思っているんですよね。わたしは、今日だけでも、何度となく「ギリギリ」って言葉を使いましたが、ほんとは、わたしごときが使っていい言葉じゃないんですよね、「ギリギリ」って。

いえ、ほんとに、ここ数年間、かなりギリギリのところで、なんとか首の皮一枚って経験はしていますし・・・よくもまぁ、あれを乗り越えられたなぁって、今でも冷や汗をかくような事もありましたし・・・わたしなりには、かなりギリギリを何度も掻い潜ってきたつもりですが・・・もっとギリギリがあることも、十分分かっているので・・・この程度で、偉そうに「銀行さんはギリギリを知らないね」なんて言ったら、本物のギリギリを知る人たちに申し訳ないとは思うんです。

そうそう、『ホームレス中学生』の麒麟の田村さんが、たしか「ごはんの向こう側」って話をされてましたよね。僅かしかないご飯を惜しんで、飲み込まず噛み続けていると、だんだん味も無くなってしまうのだけど、ある瞬間、ふっと米の甘みが戻るって。ギリギリって、そういう、当たり前のギリギリを越えたところを経験した人しか、使っちゃいけない言葉かもしれませんよね。

そうそう、アスリートの人たちも言いますよね。限界を越えたところに何かあるって。

ん?ちょっと趣旨が違ってきたかな(^^;。

とにかく・・・本物の事業家さんたちは・・・それが町工場のオヤッさんでも、大手企業のトップさんでも・・・二枚腰三枚腰で、いくつものギリギリを乗り越えてらっしゃるんでしょうね。ギリギリって言葉を使っていいのは、そういう人たちだけなのかもしれませんね。いや~、そういう人たちは、もうギリギリなんて言葉を使おうとも思わないかもしれませんね。ギリギリの向こう側を経験した人にとって、ギリギリなんて言葉自体が、ちゃんちゃらオカシイかもしれませんね。

あっ・・・もしかしたら、そういう気概が、わたしから感じられないから、銀行の担当さんは、積極的に相談に乗ってくれないのかも。彼のヤル気とか姿勢の問題じゃなく・・・ふむ、わたしのヌルイ態度や発想、それに依存性が、彼を動く気にさせないのかも。ああ~、その可能性、すごくありますね。人の悪口を言う前に、自分のこと、しっかりしなくちゃ駄目ですね。猛反省でありますぅ~(^^;。

望ましい「我が娘の伴侶」とは・・・(^^;

2008-10-08 20:43:57 | Weblog
たとえ相手が親でも、たとえ夫や妻でも、たとえ恋人でも、たとえ友だちでも、とにかく自分以外の人に、自分を幸せにしてもらいたいという発想は好きじゃない。そう思っています。

それを、逆の立場から言うと、親だから、妻だから夫だから、恋人だから、友だちだからといって、自分が誰かを幸せにしてあげるなんて考えは僭越だ。そう思っています。

自分を幸せにできるのは自分だけ。そう思っています。

でも、だからといって・・・自分一人で幸せになれることはないと、それは十分に承知しています。人をはじめ、自分の周りに在るものから、自分が何を受け取るか、そして受け取ったものをどうするのか・・・それが、自分を幸せにしたり、不幸にしたりするのだと思っています。だからやっぱり、環境、特に人間環境も、その人の人生に、影響が多いだろうと思います。

でも、シツコイようですが・・・・優しい人ばかりに囲まれているから幸せになり、厳しい人環境だから不幸であるとは限ぎりませんよね。だって、幸せか幸せじゃないかは、最終的には主体であるその人自身の一任されていますものね。

なんて言いながら、なんですが・・・先日、ふと、考えてしまったんです。娘の連れ合いには、どんな人が好ましいのかしらんって(爆)。基本的に、娘といえど、わたしとは別人格の「他人」ですから、わたしが彼女の連れ合いについて、とやかくいう筋合いのものでもないとは思いつつ・・・どんな人が好いだろうかなぁ~って考えちゃったんです(^^;。

わたし自身の基準だと、彼女が「大好き!」だと思える人が理想ですが・・・それだって、彼女自身が別の条件を優先するかもしれないわけで・・・それならそれで、いいんじゃないかとは思うんですが・・・そんなことを言いつつも、なんやかやと、よけいな事を勝手に考えてしまったんですよねぇ~。

たとえばね・・・以前「二十代には二十代の魅力があるけど、三十代・四十代の躓きを知った世代は素敵だなぁ~」って話をしましたが、じゃあ、娘の連れ合いとして、三十代や四十代を薦めるかと考えると・・・そうでもないかなって、そんなことも思ったわけです。結婚に、ましてや恋愛に、年齢は関係ないとは思いますが・・・なんていうんだろう・・・自分より、器がドンとデカイ人と人生を歩む事が、彼女を幸せにするかなと考えると・・・未熟なところが多くても、一緒に成長していける人の方が、より彼女を充実した幸せに導かないかなぁ~とかね(^^;。

もちろん、結婚しなきゃ幸せじゃないとか、恋愛してなきゃ幸せじゃないってわけでもないとは思うので・・・そもそも、連れ合いを持たない選択での幸せだって在りえるわけで・・・それを彼女が選ぶ可能性もあるわけですしね。それに何より、人生の伴侶との出会いって、ほんと縁のものですから・・・自分で計画したり出来ないのが、本来ですしね・・・なんていったら、元も子もない話題になっちゃうんですがね(^^;。

トライアングルが掻き立てる想像の世界

2008-10-07 20:15:12 | Weblog
わたしの住まいする辺りでは、鷺は決して珍しい鳥ではなく、田んぼのソコココで見かける、お馴染みさんであります。ただ、川向こうの竹薮にいつも止まっている三羽の鷺、彼らに対しては、なんとなく特別な興味をそそられ、気がつけば見るともなく彼らを見てしまっているワタクシが居るのであります。きっと、三羽という安定しそうで安定しないトライアングルが、見えないドラマを想像させるんでしょうね。

そして今日も、いつものように、何気なく彼らの居場所に目をやったらば・・・なぜか、鷺君、一羽しか居ません。気になって、今日一日、何度も何度も、見てみたのですが、いつも一羽でした。ふむ・・・いったい、どうしたんでしょうか。ドラマティックなのは大好きですが・・・悲しいドラマは好きくありません。明日には、三羽揃った姿を見せて欲しい・・・頼むよ、鷺君たちっ!でないと、わたし、落ち着いて仕事が出来ません(^^;。

ところで、今度は、一般的な鷺という鳥についての話です。少し前のことですが、裕太が「鷺は好きじゃない」と言ったんです。「どうして?」と理由を聞いたら、「何となく」としか答えません。問い詰めるほどの話題ではないので、鷺についての私たちの会話は、それで終了しました。でも、いったい、彼がなぜ鷺が気に入らないのか、妙に気になってしまい・・・いろいろと、その理由を考えてみました。で、思ったのですが・・・もし、姿形に原因があるのだとしたら、それは、鷺の曲がった首のせいじゃないかと思うのであります。というのも、鷺に似ている鶴が、その姿を愛でられるのは、きっと、鷺などに比べて、その首がスッと美しく伸びているからじゃないかと思うからです。つまり、姿勢の良さが好感を、その反対が悪いイメージを作り出しているのではないかと、そう推測したのであります。

姿勢の良さは、潔さだったり、清々しさだったり、品格だったり・・・毅然とした美しさを感じさせるでしょ。そう、人間の場合だって、姿勢は、その人のイメージに大きな影響を与えます。

けど・・・じゃあ、鶴が鷺に比べて、潔い性格をもった鳥なのかというと・・・どうなんでしょうねぇ。あまり、そうとも思えませんよね。となると、人間だって、姿勢がいいから、毅然と生きてる人だとは、言えないかもしれませんね。

内面は、確かに外見に影響を及ぼすんですが・・・思ったほどストレートに反映されない場合も多々あり・・・相変わらず、心と体の関係は難しいと、そんなことも思ったのでありました(^^;。

気合じゃぁっ!!

2008-10-06 20:39:15 | Weblog
さて・・・そろそろ、色々と事務的なことがらも処理していかなくちゃイカンかなと思っています。

とりあえず、死亡二週間以内にすべきことに関しては、滞りないように気を使いましたが、それ以外は、ぼちぼちやっていけばいいと思っていると、あっという間に時が過ぎていってしまうことに気付き・・・まずは、年金関係の手続き・・・それから、そろそろ本格的に相続の手続きに入ろうかと考えています。

大枚をはたいて、プロに頼めば簡単なのでしょうが、経済的に、そんな余裕もないし・・・NPO法人の立ち上げの時に、意外に自分たちで出来る事が多い事にも気付かされたので、時間がかかっても、出来る限り自分で手続きしていこうと、今のところは考えています。

で、今日は、銀行さんに来てもらいました。借金関係の引継ぎに関して、銀行の意見を聞きたいと思ったので・・・。

その際、色々と、こちらの希望は伝えたのですが・・・あまり、思うようにはしてもらえない気配です。もし、こちらの事業状況が良好なら、何でも思うように出来るんでしょうが・・・良好でないからこそ、ご相談って話になるわけで・・・当たり前ですが、思惑が擦違いますね(^^;。

雑談で「アメリカのゴタゴタの影響はありますか」なんて聞いてみたらば、日本の経済という意味では影響がなくもないけれど、日本の銀行として大きくマイナスに働く事はないとの返事でした。ただ、厳しい状況の顧客に、サブプライムの影響で銀行が貸し渋っていると思い込まれるのは困ったものだとのこと・・・えぇ~っと、それは、うちへの牽制球でしょうか(爆)。

ん~、まっ、銀行さんとの話も、これから、まだまだ続きますし・・・肝心の相続手続きは、まだスタートラインに立とうかというあたりだし・・・今から疲れてて、どうするんだって話ですけど、知らない事を調べながら、慣れない作業をするのは、思いのほか気疲れするみたいです。それに、ここで決めた事が、後々にまで影響してくるかと思うと、しっかりしなくちゃとも思いますしね。まっ、相続人の間で揉めることがないのが、何よりですけど(^^)。

それに、これも、せっかくの体験なので、事務ワークとしても、精神的な部分も、学んでいけるようにとは思っています。わたしは、先を見越して必要な事を事前に身につけておくってことが出来ない怠け者なので、いつだって、ぶっつけ本番。その本番でどれだけ学ぶか・・・真価が問われるってものですね(^^;。

実は、一昨日、家族に別件のトラブルが発生。今こそ、動じず確実に物事を処理していく精神力が求められている状況にあります。だから「さあ、頑張るぞって」、改めて気合を入れてます。オリヤァッ!!頑張るぞぉっ!!

写真は、夏用の肌布団を洗濯して干している風景です。これも、秋の風景・・・かな(^^;。

居場所の在り処

2008-10-05 18:34:46 | Weblog
『放・逐』が日本で公開されます。日本語タイトルは『エグザイル/絆』、カッコよいでしょう(^^;。それに際し、黄秋生(アンソニー・ウォン)と呉鎮宇(フランシス・ン)が来日、40人限定のイベントが、東京で行われるようです。

黄秋生と呉鎮宇だなんて、なんて贅沢な。行きたい、見たい、触りたい(←それはないか)。相変わらず、東京はいいなぁ~。羨ましいなぁ~。関西でしてくれるなら、絶対に応募するのにっ!!!

とにかく、この映画はオススメ。少しでも興味を感じてくださる方は、是非是非ご覧下さい。で、イベントに参加された方は、感想など聞かせてくださいね!! 念のため、映画の公式サイトは以下のアドレスです。http://www.exile-kizuna.com/ イベントに関するサイトページのアドレスはhttp://www.exile-kizuna.com/index2.htmlです。

ところで、昨日、市民権のことに触れたとき、「居場所」って言葉を使って、思い出したことがあります。なんていうか・・・ずっと「居場所がない」って思ってたなってことを。でも、今は、思ってないなって・・・

わたしの場合、疎外されているって感じたことはないんです。つまり、除け者にされて居場所がなくなっていると悲しく思ったことはないんです。ただ、自分自身が、自分が今在る場所に違和感を感じていて・・・自分が、そこに在ることに居たたまれなかった。でも、今は、違うなって・・・

かといって、居場所があるという実感もないんですよ。だから、たぶん、居場所って、いわゆる居場所じゃなかったんだと思います。変な言い方ですね・・・でも、巧く言えないんです・・・

少なくても、居場所は空間じゃないですよね、あたりまえですが。家の食卓での席とか、教室での席とか、会社のデスクとか・・・そういう具体的な場所に象徴されたりはするけれど・・・どちらかというと、その集団の中での、人との関わりですよね。関わり・・・そう、関わりかぁ・・・。わたし、少しは、人と関われるようになってきたのかな。

でも、先日も、友だちに「一人で平気な人間だよね」って言わるくらい・・・相変わらず、人との関わりで紡ぐ編みの目のサイズは荒いんですけどね(爆)。

ん~~・・・何が言いたいんだろう・・・どんなに一人が平気な人間でも、やっぱり「関わり」は大切だ。その関わりこそ、居場所だって、そんな当たり前のことですかね。

でも、わたしのような、人との関わりに淡白で不器用な人間は、ときどき、こんなことを言語化して確認する必要があるんですね、きっと(^^;。

市民と国民

2008-10-04 13:37:17 | Weblog
あまり多くはないですが、たまに取上げさせてもらう時事ネタなんかの時、迷う事があるんです。ここは「市民」と書けばいいんだろうか、それとも「国民」と書く方が相応しいんだろうかって。実は、先日、政治家の資質の話をしたときにも、やっぱり迷ってたんですよね(^^;。

社会学を修めた人や、社会的な事柄に興味のある方なら、「市民」と「国民」の区別なんて明白で、使い方に迷う事なんてないと思いますが、わたしのように漠然とした認識しかない者は、「あれ?」って立ち止まってしまうと、知識がないだけに出口がなくなってしまいます。

たぶん、「国民」は、その国の国籍がある人のことじゃないかと思うんです。だから、比較的、使い方は単純じゃないかと。でも、問題は「市民」なんですよね。

子どもたちなら、「市民」っていうと、自分が住んでいる○○市の住民って思うと思うんですよ。国・県・市・区・町、そういう区分が、身近にあるわけですから、その「市」の「民」だと。

でも、実は「市民」って、もっと奥深いですよね。

わたしの場合は、オーソン・ウェルズの処女監督作『市民ケーン』とか、古代ギリシャや古代ローマの「市民」が、まず思い浮かぶんですが・・・もう一歩「市民って何だろう」って考えると、そこには、何か「縛られないもの」があるよな気がしたりはするんですけど、それはちょっとユートピアンな発想ですかね(^^;。

なんていうんだろう・・・生れ落ちた時と場所の環境によって、自動的に組み込まれることになる共同体から与えられる一律の資格ではなく、自分の意思決定が必要な・・・だから、自律性とか、主体性とか、そういうものがある・・・その分、権利だけじゃなく、重い義務も負う・・・そういうものなのかなとか。おっと、それだと、全然縛られてないことないなぁ~。むしろ「国民」より重いなあ(^^;。

けど、たとえば「市民権を得る」みたいな使い方に接すると・・・もっと叙情的な「そこに居場所がある」ってことなのかなとかも思ったりするわけですけどね(^^)。

ただねぇ~・・・やっぱり思うんですよ。わたしたち、国民であるだけじゃ駄目だって。やっぱり、市民でなくちゃ駄目なんじゃないかって。つまり、為政者に「幸せにしてよ!」って言うだけじゃなくって、自分たちで幸せを掴む努力をする人間にならなきゃ駄目じゃないかって思うんです。そう思うんですよねぇ~。