OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

残された者への気遣い?

2008-10-20 20:03:15 | Weblog
今日は、出掛けてしまってから、仕事の延期の知らせが入り・・・オイオイって感じだったんですが・・・でも、まっ、それは「そういうこともあらぁな」って思えるわけで・・・ただ、帰りのバスで、どうも気分が良くなくなり・・・てっきり、車酔いかと思っていたら・・・どうも、そうでもなさそうで・・・ちょいと、今も苦しいです(^^;。

で・・・帰ってきてから、しばらく横になっているとき・・・父の夢を見ました。昔の夢とかではなく・・・今の夢で・・・つまり、だから、復活していました。でもって、夢の中のワタシは「ええ~っ!!」って驚きながらも、「じゃあ、また介護だなぁ~」って、段取りを考えてました。ふむ・・・わたしの中に、父に対して何か、やり残したと思っていることがあるのかな・・・。

だとしても、現実の日々は、どんどんと過ぎていくわけで・・・今の時期は、四十九日の段取り期間です。で・・・必要事項の打ち合わせをしている時、母が、ふと言いました。「四十九日が終わったら、ちょっとホッとできるかな。次は百日か。これが役目やから、大変でも一つ一つ務めていかんといかんと思ってとやっているんやけど・・・案外、何もすべきことがなくなったら、どうしてイイか分からんなるかなぁ」。

それで、気付きました。この法要の段取りって、亡くなった人の供養だけじゃなく、残された人のサポートの役割も果たしているんだなって。

実は、通夜・葬式の時は、逆のことを考えてたんですよね。残された者に悲しむ余裕も与えないイベントって、いったい何なのかなって。これは、いったい誰の為のイベントなのかなって。

でも、悲しむ余地を与えないっていうのも、一つの思いやりなのかもしれないし・・・その後の、七日ごとの内輪の法要、そして七の七日(四十九日)の節目の法要っていうのも、残された人たちが、現実の中で起こったことを受け入れていく、リズム作りみたいなことなのかなと・・・。

なかなか深いですな、仏教も。やっぱり、だてに長く続いてないかもしれません。

でも・・・いつも言っているように、仏教にしても、キリスト教にしても、もっと今の社会に出来る事があると思うんですけど・・・それがどうも、うまく作用していないように見えますね。決して、直接的に政治に関わって欲しいなんて思いませんが、宗教は宗教でなきゃ出来ないアプローチで、社会に貢献できるはずだと思うんですけど・・・なんだか、世界三大宗教のうちの二大宗教、宝の持ち腐れしている気がしますね。残りの一つのことは良く知らないのだけど・・・そっちはそっちで、どうなんでしょうね。

ん?なんだか、話が飛躍してしまってますか?ですよね(^^;。ん~・・・また少し、横になることにしますです、はい(^^;。