OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

居場所の在り処

2008-10-05 18:34:46 | Weblog
『放・逐』が日本で公開されます。日本語タイトルは『エグザイル/絆』、カッコよいでしょう(^^;。それに際し、黄秋生(アンソニー・ウォン)と呉鎮宇(フランシス・ン)が来日、40人限定のイベントが、東京で行われるようです。

黄秋生と呉鎮宇だなんて、なんて贅沢な。行きたい、見たい、触りたい(←それはないか)。相変わらず、東京はいいなぁ~。羨ましいなぁ~。関西でしてくれるなら、絶対に応募するのにっ!!!

とにかく、この映画はオススメ。少しでも興味を感じてくださる方は、是非是非ご覧下さい。で、イベントに参加された方は、感想など聞かせてくださいね!! 念のため、映画の公式サイトは以下のアドレスです。http://www.exile-kizuna.com/ イベントに関するサイトページのアドレスはhttp://www.exile-kizuna.com/index2.htmlです。

ところで、昨日、市民権のことに触れたとき、「居場所」って言葉を使って、思い出したことがあります。なんていうか・・・ずっと「居場所がない」って思ってたなってことを。でも、今は、思ってないなって・・・

わたしの場合、疎外されているって感じたことはないんです。つまり、除け者にされて居場所がなくなっていると悲しく思ったことはないんです。ただ、自分自身が、自分が今在る場所に違和感を感じていて・・・自分が、そこに在ることに居たたまれなかった。でも、今は、違うなって・・・

かといって、居場所があるという実感もないんですよ。だから、たぶん、居場所って、いわゆる居場所じゃなかったんだと思います。変な言い方ですね・・・でも、巧く言えないんです・・・

少なくても、居場所は空間じゃないですよね、あたりまえですが。家の食卓での席とか、教室での席とか、会社のデスクとか・・・そういう具体的な場所に象徴されたりはするけれど・・・どちらかというと、その集団の中での、人との関わりですよね。関わり・・・そう、関わりかぁ・・・。わたし、少しは、人と関われるようになってきたのかな。

でも、先日も、友だちに「一人で平気な人間だよね」って言わるくらい・・・相変わらず、人との関わりで紡ぐ編みの目のサイズは荒いんですけどね(爆)。

ん~~・・・何が言いたいんだろう・・・どんなに一人が平気な人間でも、やっぱり「関わり」は大切だ。その関わりこそ、居場所だって、そんな当たり前のことですかね。

でも、わたしのような、人との関わりに淡白で不器用な人間は、ときどき、こんなことを言語化して確認する必要があるんですね、きっと(^^;。