東京辺りでは、文化の秋らしく、映画祭花盛り。「アタシは見にいけないよぉ~」と思うと、無いモノねだりで、いっそう映画への想いがつのりますなぁ。でも、どうしても、懐かしい名前にばかりに惹かれてしまう・・・そこに、自分の感性の老い、あるいは疲れを感じます。読書に関しても、音楽に関しても、その他のアートに関してもなんですが、加速度的に新しい出逢いを億劫がる傾向が強くなる今日この頃・・・ひじょぉ~に情けないなぁと思う次第です。もっともっと貪欲でありたいんですけどね(涙)。そうそう、黎姿(ジジ・ライ)、引退するんですってね・・・また一人、懐かしい名前に会えなくなりそうで・・・淋しい限りです。
ところで・・・仕事の資料として、広告業界関係の本を読んでいるんですが・・・やっぱり、わたし、苦手ですぅ~、広告(^^;。
わたしが若い頃から、電通とか博報堂に勤めている人って羨望の的だったし、今でも広告業界っていったら花形の職業の一つだと思うんですが・・・やっぱり、どうも相性が悪いみたいです、わたしとは(^^;。
何ていうんだろう・・・政治家に通じる胡散臭さとでも申しましょうか・・・あまりにも現実社会の利得とか、人間どもの生々しい欲望と、ストレートに繋がりすぎているのが・・・そういうものから目を背けたい甘ちゃんのワタシには厳しすぎるんでしょうかね。
何事に関してもそうですが、目的だけをああだこうだしている間は美しくいられるんですけど、それを現実のものにしようと、具体的な手段を考え始めると、絶対に美しくあることは不可能になっちゃうんですよね。
そういう意味じゃ、政治も広告も、人間を、その醜い部分まで全てひっくるめて引き受けている仕事なんだということになるのかもしれませんね。覚悟のない人間には、務まりませんね。
あっ・・・けど、苦手だと思っていたものも、使い方というか、付き合い方というか、角度を違えれば良い仲間になれる可能性もあるとは思うんですよ。
前から言っていると思うんですが、宗教学とか哲学とか思想系の学問に惹かれていた学生時代、わたしは心理学が大の苦手だったんですよ。っていうか、正直、心理学のことを、馬鹿にしきっていました。何とも中途半端な「学問もどき」だねって(^^;。
実は、今でも、個々人の心の問題に関しては、心理学的アプローチより、哲学的アプローチの方が好きは好きなんですよ。だって、心理学だと言われると、なんだか人は、より客観性があるように、つまり、言われたことが科学的真実であるかのように思ってしまうでしょ。それよりは、どこまでいっても曖昧である哲学の方が、猶予があって好ましいと思うんですよね。
ただ、人が暮らす環境を作っていく上での、都市設計とか、空間設計とか、物作りとか、そういう産業の部分では、心理学って大いに有効だと、最近は思うようになっていて・・・ここのところ、心理学に対するワタシの拒否感って、ものすごく薄まっているんですよね。
そうそう、先日、関西ローカルの番組で、渋滞解消の為の心理学ってのをやってたんですよ。たとえばね・・・二本の道が出合う場所って、それぞれの道を走っていた車が合流するわけですから、当然のことながら渋滞ポイントになりますよね。けれど、道が合流しても、車線の間に低い柵を設置して、お互い相手が見える状態で少しの間だけ並走させ、その後に柵を取り除けば、渋滞は格段に少なくなるんですって。それは、ドライバーたちに自分が置かれている状況を見せ、理解させることにより、ドライバーたちが自発的にベストな合流のタイミングを選択するようになるからなんですって。
つまり、こんな形で、心理学が実際に自分の生活の中で役に立っていると知れば、心理学を認めないわけにはいかない・・・っていうか、参りましたって頭をさげなきゃ仕方ないなって思うわけです(^^;。
だから?だから・・・いずれ、広告に関しても、その役割を正しく理解して、素晴らしいと思える日がくるかなと・・・そんな風にも思うのだと、そういうことなのであります、はい(^^)。
写真は、今ポストです。昔懐かしい円柱のポストのある風景を見た後で、今時のポストのある風景を見たら、意外に、これはこれで味があるなと感じたのでした(^^)。
ところで・・・仕事の資料として、広告業界関係の本を読んでいるんですが・・・やっぱり、わたし、苦手ですぅ~、広告(^^;。
わたしが若い頃から、電通とか博報堂に勤めている人って羨望の的だったし、今でも広告業界っていったら花形の職業の一つだと思うんですが・・・やっぱり、どうも相性が悪いみたいです、わたしとは(^^;。
何ていうんだろう・・・政治家に通じる胡散臭さとでも申しましょうか・・・あまりにも現実社会の利得とか、人間どもの生々しい欲望と、ストレートに繋がりすぎているのが・・・そういうものから目を背けたい甘ちゃんのワタシには厳しすぎるんでしょうかね。
何事に関してもそうですが、目的だけをああだこうだしている間は美しくいられるんですけど、それを現実のものにしようと、具体的な手段を考え始めると、絶対に美しくあることは不可能になっちゃうんですよね。
そういう意味じゃ、政治も広告も、人間を、その醜い部分まで全てひっくるめて引き受けている仕事なんだということになるのかもしれませんね。覚悟のない人間には、務まりませんね。
あっ・・・けど、苦手だと思っていたものも、使い方というか、付き合い方というか、角度を違えれば良い仲間になれる可能性もあるとは思うんですよ。
前から言っていると思うんですが、宗教学とか哲学とか思想系の学問に惹かれていた学生時代、わたしは心理学が大の苦手だったんですよ。っていうか、正直、心理学のことを、馬鹿にしきっていました。何とも中途半端な「学問もどき」だねって(^^;。
実は、今でも、個々人の心の問題に関しては、心理学的アプローチより、哲学的アプローチの方が好きは好きなんですよ。だって、心理学だと言われると、なんだか人は、より客観性があるように、つまり、言われたことが科学的真実であるかのように思ってしまうでしょ。それよりは、どこまでいっても曖昧である哲学の方が、猶予があって好ましいと思うんですよね。
ただ、人が暮らす環境を作っていく上での、都市設計とか、空間設計とか、物作りとか、そういう産業の部分では、心理学って大いに有効だと、最近は思うようになっていて・・・ここのところ、心理学に対するワタシの拒否感って、ものすごく薄まっているんですよね。
そうそう、先日、関西ローカルの番組で、渋滞解消の為の心理学ってのをやってたんですよ。たとえばね・・・二本の道が出合う場所って、それぞれの道を走っていた車が合流するわけですから、当然のことながら渋滞ポイントになりますよね。けれど、道が合流しても、車線の間に低い柵を設置して、お互い相手が見える状態で少しの間だけ並走させ、その後に柵を取り除けば、渋滞は格段に少なくなるんですって。それは、ドライバーたちに自分が置かれている状況を見せ、理解させることにより、ドライバーたちが自発的にベストな合流のタイミングを選択するようになるからなんですって。
つまり、こんな形で、心理学が実際に自分の生活の中で役に立っていると知れば、心理学を認めないわけにはいかない・・・っていうか、参りましたって頭をさげなきゃ仕方ないなって思うわけです(^^;。
だから?だから・・・いずれ、広告に関しても、その役割を正しく理解して、素晴らしいと思える日がくるかなと・・・そんな風にも思うのだと、そういうことなのであります、はい(^^)。
写真は、今ポストです。昔懐かしい円柱のポストのある風景を見た後で、今時のポストのある風景を見たら、意外に、これはこれで味があるなと感じたのでした(^^)。