OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

生きるためのライブ感覚

2008-08-10 18:39:52 | Weblog
あまり、「事前に準備する」ということが好きではありません。たとえば、藍那が生まれる時も、裕太が生まれる時も、前もって性別を教えてもらうことをしませんでした。彼らが生まれてきた、その瞬間の出逢い、それを存分に味わいたかったからです。だから、名前も彼らの顔を見るまで決めませんでした。藍那には藍那に相応しい名前を、裕太には裕太に相応しい名前を、彼らの顔を見ながら考えたかったからです。

また、好き嫌いからではなく、事前に準備すべきでないと思うこともあります。それは、子ども博物館時代、よく保護者の皆さんにお話していたことでもあるのですが・・・もうすぐ小学校で字を習うから幼稚園のうちに字を教えておく、計算を習うから計算も教えておく、そういう事前準備は、子どもたちの成長をむしろ妨げると、わたしは思っています。何事にも、相応しい時というのあるのですから、相応しい時を待つべきだと、わたしは考えます。

そういう意味では、逆に保育園児に字や計算を教えても良い事になります。子どもによっては、保育園の時が、字を覚え始めるのに一番相応しい時である場合もありますから。でも、経験値的に、大多数の子どもたちは、字や計算を始めるのは、小学校に入ってからが相応しいと、わたしは思います。就学前の子どもたちには、勉強以外にしておくべきことが山ほどありますから、どうせ小学校でするような勉強で、彼らの大切な時間を浪費させないであげて欲しいと思います。

社会人になってからは、家庭や会社の仕事の中で、「準備の大切さ」を思い知ることになりますが、それでも、準備のしすぎは良くないと、今でも思っています。基本的な準備だけしたら、あとは「その時」を楽しむ、あるいは「その時」に闘う・・・そういうライブ感覚を失っていけないと、そう感じています。

確かに、準備なしでは乗り越えられない大変なことも、たくさんあります。でも、それを言うなら、いくら準備してでも乗り越えられない、もっと大変なことも沢山あるわけです。そういうことを乗り越える為には、ライブ感覚しかないじゃないですか。

振り返ってみると、今までに何度も「よくもまあ、何とかなったことだよなぁ~」と思うような、ギリギリを体験してきました。いくら考えても、どうして乗り越えられたのか不思議なくらいで・・・。でも、何とかなる時は何とかなるんです、この世で起こることというのは。そして、どうしても何とかならないことは、何をどうしても何ともならないんです。それに遭遇したら、もう「どうぞ、お好きなように」と、わが身を差し出すしか仕方ないんです。そういうことも含めて、ライブ感覚・・・大切なんです。と、わたしは思うんです。