これは話したくないなぁ~・・・ほんとうに人に知られたくない、消したい過去です。特に、わたしを信じてくれているだろう、その頃からの友人たちに知られてしまったら・・・二度と顔を合わせられないよ、合わせる顔がない。でも、みんな、安否確認のため、このブログ見てくれているだろうな・・・書いたらバレるじゃないか・・・何してんだろう、わたしは・・・。それに子どもたちにも知られたくない。彼らこそ「お母さんが絶対にそんなことするはずない。そういうことを一番嫌う人だもの」と思っていると思う。ほんと、わたし、何してんだろう・・・こんなこと書いて、何も得することはないのに・・・
でも、誰でもない、自分がしてしまったことなんだよな・・・それは間違いない・・・で、どう願ったって、どう祈ったって、やったことはなかったことには出来ないんですよね・・・
ちょっと前置きが長くなります・・・言い訳に聞こえるかもしれませんが・・・言い訳です。でも、まっあ、状況説明でもありますので、ご容赦ください・・・
多くの人がそうであったろうと思いますが・・・わたしも子どもの頃は天才でした(^^;。小学校までは、学校の勉強程度なら、予習も復習もしなくても簡単に理解できました・・・ええ、ええ、紛れもない天才でした、小学校までは。ただし、わたしの通った小学校は、市内で際立って田舎にあり、児童数も少なかったですし、全国レベルでどれくらいの成績であったかというと・・・押して知るべしではありますね(^^;。だから、わたしが阪神エリアでも屈指の名門女子中学校を受験すると聞いて、小学校の教頭先生が母を呼び出し「無理に決まっているだろう、子どもの為にも止めなさい」と、長い長い説教をしたそうです。学力レベルで言うと、今は知りませんが当時は、阪神エリアで勉強が出来る男子は灘中に、出来る女子は我が母校にと言われていたそうですから、教頭先生の忠告は、しごくもっともなものだったんでしょうね。
でも何故か、わたしは合格しました。その後、あまりにも成績の悪い私に驚いた担任の先生が、入試の時のわたしの成績をしらべたみたいなんですが、予想に反して真ん中ぐらいの成績だったそうで・・・「なんでだろう」と頭をひねってらっしゃいました(^^;。でも、それに関しては、わたしなりの答えを持っているんですよね、正解かどうかは分かりませんが・・・たぶん、当たらずとも遠からずだと思います。
今の私をよく観察してくださっても見えてくると思うのですが・・・わたしは記憶力が他の能力に比べて異常なくらい劣っています。単純な記憶が、ほんとうに苦手なのです。だから、国語なら漢字、歴史なら年号や人の名前を正確に覚えるなどのことが、人並み程度も出来ません。それから計算も苦手です。やり方が分からないのではなく、必ずといっていいほどイージーミスをするのです。けれど、考えることは得意です。だから、算数なら文章問題、国語なら読解問題が大好きで、何時間でも何問でも解いていたいほどでした。わたしは、算数のみ家庭教師の先生に勉強の方法を習い、その他は勉強の仕方から参考書選びまで、すべて自分一人で考えて決めていたのですが、そんな作業もまた、たまらなく楽しかったです。
でもって、我が母校の入試問題というのが、そんなわたしに「おいで、待ってるよ」と言ってくれているみたいに、漢字問題と計算問題が少なく、文章問題、読解問題が多かったのです。入学後、当時の中高部長だった松本先生が「皆さんは、自分が頑張って勉強したから、他の子より高い成績を取ったから、合格したんだ。自分がこの学校を選び取ったんだと思っていると思いますが、決してそうではありません。みなさんは成績が良かったからではなく、この学校で大切なことを学んでくださいと、学校に選ばれたんです」と、入学した者の責任について話されたことが今も忘れられません。わたしと違って、入学後も、そして大人になってからも天才で居続けられた人たちにはピンとこない言葉かもしれませんが、わたしには本当に心に響く言葉でした。学力だけなら、わたしにはこの学校に入る資格はなかった。受験した子たちの中には、わたしよりもっともっと学力のある子はいっぱいいたに違いない。けれど、学校から学ぶ事は誰よりも多い子だと機会を与えられたのだと・・・そう思いました。
とはいえ・・・そういうことも、徐々に理解できたわけで・・・最初はやっぱり、けっこうショックですよね。今までは、学力で人に負けるなんて考えたこともなかったのに、入学したとたん、周りが全員、自分より勉強が出来る子たちなんですもの。レベルが違うって感じでしたよ、ほんとに。
ただ・・・これはしょっちゅう言っていることですが・・・たまたま親しくなった友人たちが、学年の中でも学力においてトップクラスの子たちで・・・にもかかわらず、人を成績でランク付するような子たちではなく、成績以外の部分で、わたしという存在をしっかりと認めてくれたので・・・わたしの劣等感は、さして拗れることなく、なんとか自尊心を保ち続けることができました。これもお話したことがあるエピソードだと思いますが、成績に拘る子が、人気のないところでわたしを呼び止めて「なんでHちゃんなんかが、MちゃんやUちゃんと仲がいいの?」と言われたことがあります。おいおい「Hちゃんなんか」ってどういうことよって思いましたが、学力だけで人を判断するなら、そういうことになるわけですよね。
と・・・わたしは、学力が高いだけでなく心根が優しくて真っ直ぐに人の心に向き合える友人たちと出会えたおかげで、大きな転落はせずにすんだのですが・・・それでもやっぱり十代前半の未熟な子どもです。焦りとか恐れとか・・・自分でも御し難い感情に押しつぶされそうにもなっていたわけです。
そして、あれは・・・たしか中学三年生の時でした。定期試験で、やっぱりまたいつも通り良い成績など望むべくもない悲惨な状態だったのですが・・・その時は、とくに酷くて、テストの問題を見たとたんに何も分からなくて頭が真っ白になりました。それで・・・ほとんど無意識に、隣に座っていたTさんの答案用紙を覗いてしまいました。
それ一回でやめることが出来たなら、また執行猶予が付くかと思うのですが・・・その日の次の試験でも、わたし同じことをしてしまったのです。そうしたら、Tさんは、そっとわたしの方に答案用紙を寄せて見せてくれました。わたしは、頭がカッ―と熱くなって・・・それでも止められず、見せてもらった答えをうつしてしまいました。
すると、テストの監視員をしていた担任の先生が、そっと近づいてきて、トントンとわたしの肩をたたきました。わたしはハッとして・・・もう目の前が真っ白になりました。
結局、先生はそれ以上、わたしに何も仰いませんでした。担任なので、学期末に個人懇談で話す機会がありましたが、その時に何も言われませんでした。でも、クラブの副顧問でもあったその先生の視線と、言葉の間合いから「分かってるね。信じているからね」と言われた気がしました。
で、その時、わたしは決心しました。「今後は、正々堂々と悪い点をとろう!!」と。おいおい、それは違うだろう「頑張って勉強しよう」だろうと思われるでしょうが・・・今までも頑張ってなかったわけではないのですよ。だから、頑張っても、たぶん良い成績はとれないんですよ。だから、自分なりに頑張って・・・その結果にも胸を張ろうと・・・ズルして良い成績がとれたとしても、なんにもなりませんものね。
えっと・・・後日談というか、余談ですが・・・記憶能力が最悪なわたしが最も苦手なのが語学(単語が覚えられない)なので、英語の成績は、いつもとりわけ悪かったのですが・・・学校を卒業してから、翻訳家になるための適性試験みたいなのをうけたら、たいそう良い成績を頂きました。そのための特別な勉強はしておらず、母校にいた時のまんまの実力だったんですが・・・つくづく、やっぱり我が母校の同級生たちは、学力が半端ないんだと思いました。わたしが、母校以外の学校に進学していたら、天才じゃないと思い知る時期は、もう少し先延ばしにできたのかも(^^;。
でも、後悔はしていません。素晴らしい友人たちにあえたし・・・学力はともかく、教育方針などの一番肝心なところは、とってもわたしに合った学校だと思って、頂いた10年間を感謝しています。
聞くところによると、母校は今はもう、昔のような校風ではなくなり、すっかり受験校の様相を呈しているとか。十年一貫教育もお題目になり、ほとんどの生徒が他大学を受験して出ていってしまうとか。時代の要請というのがありますから、仕方のないことかもしれませんが・・・もう、わたしのような子が居る余地はなくなっているのかなと思うと、少し淋しくはあります。
じゃあ、わたしのような子は、どこにいくのかな・・・居場所があるといいのだけれど・・・と思わずにいられません。
なんて、綺麗に纏めましたが・・・友人たちよ、今回は、これを読まないでおくれ!!読んでも、わたしのこと、嫌いにならないでおくれ!!それだけが心配でドキドキしています・・・(^^;。
でも、誰でもない、自分がしてしまったことなんだよな・・・それは間違いない・・・で、どう願ったって、どう祈ったって、やったことはなかったことには出来ないんですよね・・・
ちょっと前置きが長くなります・・・言い訳に聞こえるかもしれませんが・・・言い訳です。でも、まっあ、状況説明でもありますので、ご容赦ください・・・
多くの人がそうであったろうと思いますが・・・わたしも子どもの頃は天才でした(^^;。小学校までは、学校の勉強程度なら、予習も復習もしなくても簡単に理解できました・・・ええ、ええ、紛れもない天才でした、小学校までは。ただし、わたしの通った小学校は、市内で際立って田舎にあり、児童数も少なかったですし、全国レベルでどれくらいの成績であったかというと・・・押して知るべしではありますね(^^;。だから、わたしが阪神エリアでも屈指の名門女子中学校を受験すると聞いて、小学校の教頭先生が母を呼び出し「無理に決まっているだろう、子どもの為にも止めなさい」と、長い長い説教をしたそうです。学力レベルで言うと、今は知りませんが当時は、阪神エリアで勉強が出来る男子は灘中に、出来る女子は我が母校にと言われていたそうですから、教頭先生の忠告は、しごくもっともなものだったんでしょうね。
でも何故か、わたしは合格しました。その後、あまりにも成績の悪い私に驚いた担任の先生が、入試の時のわたしの成績をしらべたみたいなんですが、予想に反して真ん中ぐらいの成績だったそうで・・・「なんでだろう」と頭をひねってらっしゃいました(^^;。でも、それに関しては、わたしなりの答えを持っているんですよね、正解かどうかは分かりませんが・・・たぶん、当たらずとも遠からずだと思います。
今の私をよく観察してくださっても見えてくると思うのですが・・・わたしは記憶力が他の能力に比べて異常なくらい劣っています。単純な記憶が、ほんとうに苦手なのです。だから、国語なら漢字、歴史なら年号や人の名前を正確に覚えるなどのことが、人並み程度も出来ません。それから計算も苦手です。やり方が分からないのではなく、必ずといっていいほどイージーミスをするのです。けれど、考えることは得意です。だから、算数なら文章問題、国語なら読解問題が大好きで、何時間でも何問でも解いていたいほどでした。わたしは、算数のみ家庭教師の先生に勉強の方法を習い、その他は勉強の仕方から参考書選びまで、すべて自分一人で考えて決めていたのですが、そんな作業もまた、たまらなく楽しかったです。
でもって、我が母校の入試問題というのが、そんなわたしに「おいで、待ってるよ」と言ってくれているみたいに、漢字問題と計算問題が少なく、文章問題、読解問題が多かったのです。入学後、当時の中高部長だった松本先生が「皆さんは、自分が頑張って勉強したから、他の子より高い成績を取ったから、合格したんだ。自分がこの学校を選び取ったんだと思っていると思いますが、決してそうではありません。みなさんは成績が良かったからではなく、この学校で大切なことを学んでくださいと、学校に選ばれたんです」と、入学した者の責任について話されたことが今も忘れられません。わたしと違って、入学後も、そして大人になってからも天才で居続けられた人たちにはピンとこない言葉かもしれませんが、わたしには本当に心に響く言葉でした。学力だけなら、わたしにはこの学校に入る資格はなかった。受験した子たちの中には、わたしよりもっともっと学力のある子はいっぱいいたに違いない。けれど、学校から学ぶ事は誰よりも多い子だと機会を与えられたのだと・・・そう思いました。
とはいえ・・・そういうことも、徐々に理解できたわけで・・・最初はやっぱり、けっこうショックですよね。今までは、学力で人に負けるなんて考えたこともなかったのに、入学したとたん、周りが全員、自分より勉強が出来る子たちなんですもの。レベルが違うって感じでしたよ、ほんとに。
ただ・・・これはしょっちゅう言っていることですが・・・たまたま親しくなった友人たちが、学年の中でも学力においてトップクラスの子たちで・・・にもかかわらず、人を成績でランク付するような子たちではなく、成績以外の部分で、わたしという存在をしっかりと認めてくれたので・・・わたしの劣等感は、さして拗れることなく、なんとか自尊心を保ち続けることができました。これもお話したことがあるエピソードだと思いますが、成績に拘る子が、人気のないところでわたしを呼び止めて「なんでHちゃんなんかが、MちゃんやUちゃんと仲がいいの?」と言われたことがあります。おいおい「Hちゃんなんか」ってどういうことよって思いましたが、学力だけで人を判断するなら、そういうことになるわけですよね。
と・・・わたしは、学力が高いだけでなく心根が優しくて真っ直ぐに人の心に向き合える友人たちと出会えたおかげで、大きな転落はせずにすんだのですが・・・それでもやっぱり十代前半の未熟な子どもです。焦りとか恐れとか・・・自分でも御し難い感情に押しつぶされそうにもなっていたわけです。
そして、あれは・・・たしか中学三年生の時でした。定期試験で、やっぱりまたいつも通り良い成績など望むべくもない悲惨な状態だったのですが・・・その時は、とくに酷くて、テストの問題を見たとたんに何も分からなくて頭が真っ白になりました。それで・・・ほとんど無意識に、隣に座っていたTさんの答案用紙を覗いてしまいました。
それ一回でやめることが出来たなら、また執行猶予が付くかと思うのですが・・・その日の次の試験でも、わたし同じことをしてしまったのです。そうしたら、Tさんは、そっとわたしの方に答案用紙を寄せて見せてくれました。わたしは、頭がカッ―と熱くなって・・・それでも止められず、見せてもらった答えをうつしてしまいました。
すると、テストの監視員をしていた担任の先生が、そっと近づいてきて、トントンとわたしの肩をたたきました。わたしはハッとして・・・もう目の前が真っ白になりました。
結局、先生はそれ以上、わたしに何も仰いませんでした。担任なので、学期末に個人懇談で話す機会がありましたが、その時に何も言われませんでした。でも、クラブの副顧問でもあったその先生の視線と、言葉の間合いから「分かってるね。信じているからね」と言われた気がしました。
で、その時、わたしは決心しました。「今後は、正々堂々と悪い点をとろう!!」と。おいおい、それは違うだろう「頑張って勉強しよう」だろうと思われるでしょうが・・・今までも頑張ってなかったわけではないのですよ。だから、頑張っても、たぶん良い成績はとれないんですよ。だから、自分なりに頑張って・・・その結果にも胸を張ろうと・・・ズルして良い成績がとれたとしても、なんにもなりませんものね。
えっと・・・後日談というか、余談ですが・・・記憶能力が最悪なわたしが最も苦手なのが語学(単語が覚えられない)なので、英語の成績は、いつもとりわけ悪かったのですが・・・学校を卒業してから、翻訳家になるための適性試験みたいなのをうけたら、たいそう良い成績を頂きました。そのための特別な勉強はしておらず、母校にいた時のまんまの実力だったんですが・・・つくづく、やっぱり我が母校の同級生たちは、学力が半端ないんだと思いました。わたしが、母校以外の学校に進学していたら、天才じゃないと思い知る時期は、もう少し先延ばしにできたのかも(^^;。
でも、後悔はしていません。素晴らしい友人たちにあえたし・・・学力はともかく、教育方針などの一番肝心なところは、とってもわたしに合った学校だと思って、頂いた10年間を感謝しています。
聞くところによると、母校は今はもう、昔のような校風ではなくなり、すっかり受験校の様相を呈しているとか。十年一貫教育もお題目になり、ほとんどの生徒が他大学を受験して出ていってしまうとか。時代の要請というのがありますから、仕方のないことかもしれませんが・・・もう、わたしのような子が居る余地はなくなっているのかなと思うと、少し淋しくはあります。
じゃあ、わたしのような子は、どこにいくのかな・・・居場所があるといいのだけれど・・・と思わずにいられません。
なんて、綺麗に纏めましたが・・・友人たちよ、今回は、これを読まないでおくれ!!読んでも、わたしのこと、嫌いにならないでおくれ!!それだけが心配でドキドキしています・・・(^^;。
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