OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

実話に弱い(^^;

2010-10-20 15:23:29 | Weblog
最近、ちょっと慣れないことが続いていて、妙に疲れます。新しいことするの、決して嫌いじゃない・・・っていうか、かなり好きなんですが・・・やっぱり、それでも疲れます、慣れないことをするって(^^;。

ところで・・・よく、人は“限定”に弱いって言われますよね。たしかに、希少価値ってことで魅力を感じなくはないっていうか・・・少なくても興味は湧きますが・・・当然、それって手に入れるのが大変だったりするわけで・・・その大変さが何より嫌いなズボラ者としては、大変とセットの“限定”は敬遠しがちになっちゃいますね(^^;。

けど・・・この前、映画の煽り文句の“実話”ってことばに、妙に食いついている自分がいて・・・なんか、この惹かれ方って“限定”商戦に引っかかっているのと似てないかなって、一人苦笑しちゃいました。ただ“実話”は、別に大変なことはないので、ズボラなワタシでも、そのまま付いていっちゃうのかなと(^^;。

それにしても“実話”だと、いったい何が好いんでしょうね。付いていっちゃうくせに、自分でもよく分かりません。映画を楽しむのに、それが実話であろうとなかろうと、面白ければそれでいいわけで・・・“実話”だからって、観客に何か得なことがあるわけじゃないですのにね。

いや、むしろ、作り手が一から創造しているものの方が、凄いんじゃないかって考え方もありますからね・・・“実話”だと、何がどう好いんだろう・・・ほんと理解できません(爆)。

まっ、単純に考えればリアリティーってことですかね。実際に生きていた人が体験したらしいってことの重みですかね。こんなに凄いこと、こんなに酷いこと、こんなに素晴らしいこと・・・そんなことが本当に!と思うことが、誰かの頭の中で作られたのではなく、実際にあったらしいってことの圧みたいなものを感じられるのが魅力なんですかね。

ただ・・・“実話”をもとにしたフィクションの難しさって・・・本当の中に嘘が交じることの罪をどうするかってことですよね。全部がフィクションである場合、嘘を楽しみましょうというのが、作り手と受け手の間で合意されているわけですが・・・“実話”を売れにしてしまうと、そこには絶対に裏切りが生まれますからね。まっ、受け手の期待なり思い込みを裏切るのは、別に大した罪にはならないと思いますが・・・利用された本当を裏切ることになる、その罪が重いですよね。

って・・・わたしは何が言いたいのかな・・・結局、それでも、どうも“実話”という煽りに惹かれるワタシの心理って、週刊誌で芸能人のスキャンダルを楽しむ心理と、さして違わないのかな~みたいなことなのでありました(^^;。