OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

個人力UPだ!

2010-10-31 10:24:14 | Weblog
学生時代、人気の心理学の授業を受講登録しておきながらブッチして、試験も受けなかったため0点を頂戴し、それでなくても低い自身の平均点(受講登録したすべての講義の合計点を受講講義数で割る)を更にドスンと落とし、可愛がってくださっていた担当教授を「どうしたんだ」と心配させたことがありましたっけ(^^;。

当時は、そんな風に尖っていたんですよねぇ~。学生が教師に評価されるだけじゃなく、学生からも教師を評価するんだと・・・だから、つまらない講義は受けないし、テストも受けないと・・・馬鹿だぁ~、今から考えると、ほんとに愚かだぁ~・・・もっと、そのパワーをぶつけるべきことが他にあったろうに(^^;。

でも、まっ、つまり・・・その当時から、わたしは心理学に対して否定的な気持ちを持っていたんですよね。医学はちゃんとした科学としてその存在意義を認めるけど、心理学ってなにさ・・・人の心の問題は哲学や宗教学が担当だし、脳は医学の担当だし、心理学なんて意味わかんねぇ・・・第一、心理学って理系なの?文系なの?それすら分かんねぇじゃん!ってね。お前、何さまなんだよっていうようなことを思っていたわけです。

その後も、心理ゲームの一大ブームみたいなのもあって・・・さらに、チャラ系の心理学に対して懐疑的な気持ちが大きくなったりもしたんですが・・・今は、ちゃんと認めていますよ。ええ、ちゃんと謙虚な気持ちで、認めさせていただいています、はい(^^;。

だから、心理学分野で行われる実験とそのデータから導き出される推論、あるいは統計を分析して導かれる推論には、かなりの確からしさがあるだろうと・・・そう思っています。

ただね・・・今も思っているのは、それはあくまでも、特定の条件を満たす集団の傾向として確からしいということではあるんですよね。つまり、自分がその条件を満たす場合、その傾向がある可能性が高いとは判断できても、けっして己の真実が示されているわけではないわけですよね。

いえいえ・・・だから、気に入らない分析を拒否しろっていうことではないんですよ。意に染まない傾向がある可能性が指摘された場合、それを戒めにするとか、注意項目にするとか、受け入れて大いに役立てればいいと思います。そのために心理学はあるのだと思うし。

けれど・・・まっ、改めて云う必要もないこととは思いますが・・・統計から導き出された傾向に、個人が支配される必要はないってことです。うまく言えないんですが・・・最終的には、集団の傾向より、個人の特性の方が、威力がデカイと、わたしは思います。でもって、その個人の特性の威力を磨いて(静かに)爆発させよって、そう思います。

己を知る時に、自分自分って考えても、何も見つからないんですよね。むしろ、自分を知りたいなら、周りを観察するべきだと思うんですよ。それは、たとえば、周りを見て「あれは好き」「これは嫌い」って思うことによって、自分の嗜好が確認されるっていうようなことだったり・・・すべきだとされたことに対して「したくない」と思ったり「してみたい」と思ったりすることによって、自分の進むべき道が見えたり・・・。そして、自分が何に属しているのか・・・でもって、何をもってそこに属しているのか・・・それを知ることも、大いに自分を知ることに繋がるわけで・・・そのあたりの作業をおこなう時に、心理学が提供してくれる情報は十分に役に立ってくれるわけですが・・・結局、それらはすべて、自分の形取りをしているだけなんですよね。周りから固めて、透明人間のような見えない自分の姿を模っているだけなんですよね。

そこに魂を入れるのは、やっぱり自分自身でしかないわけで・・・そこは、医学であろうと、哲学であろうと、社会学であろうと、文化人類学であろうと、心理学であろうと、手出しは出来ないわけですよ・・・でしょ。

けど・・・今のわたしに、確かに魂があるのかと考えると・・・今のわたしは、確かに人間であり、人形ではないのかと考えると・・・正直、自信はないんですよね。今のわたしは、わたしに、魂を与えられているかって考えると・・・なんだか、不安になってくるんですよね。けど、わたしは人形じゃなく人間でいたい・・・だから、集団の特性だけによって条件づけられる存在ではなく、個人力を磨きたいと、そう思うのでありました(^^)。


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