オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

わがたましいよ。主をほめたたえよ

2017-09-10 00:00:00 | 礼拝説教
2017年9月10日 主日礼拝(詩篇103:1~22)岡田邦夫

 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったこと何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)

◇賛美の波紋が広がり行けよ
 前回は、「全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。」と大掛かりに歌い出す詩篇100篇でしたが、今回の103篇は対照的に「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ」と歌い始めます。わがたましいよ、私のうちにあるすべてのものよと魂に向かって促すのです。主をほめたたえよ、賛美せよと掻(か)き立てるのです。たましいのうちにあるのは様々です。その内的世界を総動員させて、賛美しようと励ますのです。
原崎百子さんという方が夫の牧師からガンであることを告知され、43歳で召されるまでの44日間の闘病記を残されました。それが本となったのが「わが涙よ、わが歌となれ」でした。床にふしたまま、最後の礼拝にでたとき、次の詩を作られました。
  わがうめきよ わが讃美の歌となれ
   わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ
  わが涙よ わが歌となれ
   主をほめまつるわが歌となれ
復活の主を信じる者は涙さえも、うめきさえも賛美となるのです。「私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ」。

◇主の計らいを思い巡らせよ
 ①私の一生において
 「わがたましいよ」と呼びかけています。それは魂という視点から物事を見るように促していることです。人の本質は魂、お金があるとかないとか、社会的地位があるとかないとか、成功したとかしないとか、問題ではないのです。魂というのは主が愛をもって一生を良いもので満たしてくださると素直に感じるのです。「主の良くしてくださったこと」は他の訳では「主の御計らい」。それがどんな主の計らいだったか、魂が私に向かってこう言うのです。「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる」。

 ②民の歴史において
 6節から、複数(人々、私たち)に広がります。そして、過去から現在にいたる主の恵みがどれほど豊かであるかを歌い上げます。
「主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた」(103:7)。それがどんなものだったか、それが今なお変わらず豊かなのです。一言でいうと「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである」です(103:8)。その赦しと憐みはどんなに言っても言い足りないくらいです(103:9-12)。
主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。
天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
東が西から遠く離れているように、
私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
そして、現在から未来に向かって、主の恵みがどれほど豊かであるかを歌い上げます(103:13-18)。魂は言います。人の世ははかない。恵みは永遠だと。
父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
  主は、私たちの成り立ちを知り、
私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。
人の日は、草のよう。野の花のように咲く。
風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
その場所すら、それを、知らない。
しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
主を恐れる者の上にある。…
 魂というのは深く掘り下げると天が開かれてくるものです。「主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める」という光景をです(103:19)。
内なる世界と天なる世界につながっているのです。通じているのです。天使に呼びかけ、全被造物にも呼びかけ、大合唱をするのです(103:20-22)。次の勇士も軍勢も御使いのことです。
主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、
みことばを行なう力ある勇士たちよ。
主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。
みこころを行ない、主に仕える者たちよ。
主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。
主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。

 タイタニック号の話は映画にもなり、知られていますが、以前、紙芝居がありました。私が東京聖書学院に入る前にやった子供会で使いました。言い伝えだと思うのですが、読んでいる私が感動しました。浮沈のタイタニック号、氷山にぶつかり沈んでいく、ボートの数は少ない、全員が助からない、船に残された人たちの中に、楽団がいました。船とともに沈んでいく中で讃美歌「主よ御許に」の演奏を続けたというのです。ヤコブが家を出て、石を枕に野宿していた時に、夢で御使いが上り下りする光景を讃美歌にしたものです(新聖歌510)。
主よ、みもとに 近づかん
登る道は 十字架に
ありとも など 悲しむべき
主よ、みもとに 近づかん
さすらう間に 日は暮れ
石の上の 仮寝の
夢にもなお 天(あめ)を望み
主よ、みもとに 近づかん
主の使いは み空に
通う梯(はし)の 上より
招きぬれば いざ登りて
主よ、みもとに 近づかん

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