2016年6月12日(日)主日礼拝(1列王記3:3~15)岡田邦夫
「あなたが自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、…見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。」1列王記3:11~12
30代のころ、自己啓発の本に「判断力が実力の最大の量を占める。それが養われ発揮されるのが40代なのである」とあって、啓発されたものでした。ソロモンがダビデから、王位を継いだのはそのくらいの年代だったでしょうか、夢の中に現れた神にこうお願いしました。自分が小さい者で民の数は多いので、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」(3:9)。すると、神はあなたが長寿や富や勝利を求めず、判断力を求めたので、「今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。…あなたの願わなかったもの、富と誉れとを与える」でした(3:12-13)。
◇状況の判断
ソロモンの知恵を示すこんなエピソードがあります(1列王3:16-28)。二人の女性が王の所にきて、訴えました。二人は一緒の家に住んでいて、一方に子どもが生まれ、三日後にもう一方にも子どもが生まれた。その夜の間に片方の子が死んで、夜中、寝ている間に死んだ子と生きている子をすり替えたと一人が主張し、もう一人はそうではないと主張し、生きている子は自分の子だとそれぞれ言い張る。それならばと、王は子どもを二つに切って分けよと命じる。すると、生きている子の母親が殺さないであの女に渡してくれと言い出し、そうでない女は断ち切ってくれと言った。王は殺してはならない、この子の母親は初めの女性、彼女に渡すようにと判決を下した。
ソロモンの判断力は抜きんでたものがありました。国内外の情勢を見極めていました。国内と言えば、父ダビデは周辺諸国との争いに明け暮れて、晩年にはそれも収まって、国は安泰となっていました。国外と言えば、北はアッシリヤ、南はエジプトの大国も弱まっている時期でした。これをチャンスと判断し、富国強兵の国造りに邁進(まいしん)していくのです。
ピラミッド型の中央集権の体制にしていきます。これまであった12部族連合を12の県のようなものして、徴税・徴兵制にし、中央の力を強固なものにします。戦車なども入れて、最強の軍隊を作りますが、ほとんど戦争はしていません。このあたりの人たちは商業を軽く見ていましたが、ソロモンは力を入れます。内需拡大と諸外国との交易を盛んにし、イスラエルはかつてないほど経済的に豊かになります。それで贅沢な王の宮殿を年月かけて建設します。約束でもあった神殿の建設も財を尽くして、見事に建造します。このようなソロモンの手腕を知りたいとシバの女王が来訪したりするほどでした。実にその業績はイスラエルの歴史において、最大のものだったでしょう。「ソロモンの栄華」と言われる所以(ゆえん)がそこにあります。
と言いましても、不思議なことに聖書はそのことをそれほど賞賛してはいないのです。やはり、重要なのは神の前の信仰なのでしょう。
◇信仰の判断
ソロモンの作と思われる書が三つあります。イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの「箴言」、エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば「伝道者の書」、ソロモンの「雅歌」という知恵の書です。知恵文学というのはこうです。モーセの五書がすべての基本ですが、現実の問題となると、矛盾を感じたり、困難を覚えたりします。たとえば、神が創造された世界は「非常に良かった」というのが創世記のメッセージ。それを受けて、すべてに時があり、神のなさることは時にかなって美しいと伝道者の書は述べます(3章)。しかし、人には永遠への思いがあるのに、現実には神の御業を見極められないという矛盾があり、そこにいたたまれない苦悩が巻き起こり、はてしない虚しさに襲われます。永遠を思っても、人は獣と同じように死んでしまう。人生、どんなに労苦しても意味があるのか、虚しいではないかと嘆きます。そこで、知者は提唱します。現実に即し、分に応じ、時に応じて人生を楽しむがいい。結局は信仰である。創造者を覚え、その命令を守るなら、その永遠への思いは満たされていくだろうと答えを出します。
箴言は信仰者が律法を守りつつ、世に対応していく知恵を並べていきます。雅歌は神との愛を見出そうと恋愛の葛藤と純愛を物語っていきます。それら三書とも貴重なソロモンの知恵の書です。
イスラエルのネタニヤ市で7日、第二次世界大戦当時、ナチスドイツの迫害から逃れた約6千人のユダヤ人にビザを発給したことで知られる日本人外交官、杉原千畝(ちうね)氏の名を冠した通りができたとのニュースがありました。同市には杉原氏に助けられたユダヤ人が多く移り住んだからだと言います。ナチスから逃れたユダヤ人難民たちがカウナスの日本領事館に通過ビザを求め押し寄せた。外務省は三国同盟があるので許可しなかったが、杉原領事代理は悩み苦しんだ。彼はハリスト正教会のクリスチャン。この状況では外務省に背いてでも、助けようと人道的判断を下した。妻の幸子さんに「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」と決意を述べていたといいます。
◇究極の判断
知恵のソロモンから学ぶことは実に多いのですが、「見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです」とイエス・キリストが言われています。それは神の知恵たるキリスト、私たちはその方を学ぶのです(マタイ12:42、1コリント1:24)。信仰は世間対応の知恵を超えて、御国対応の知恵を得て救われるのです。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(1コリント1:18)。その宣教の愚かさによって救われるという逆説的な知恵です。逆ピラミッド型の世界を目指す教会の知恵です。
ただ、究極の知恵は「隠された奥義としての神の知恵」ですから(1コリント2:7)、神の御霊によって開かれる必要があります。「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。…御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません」(1コリント2:12)。「わきまえる」を口語では「判断する」と訳しています。十字架による永遠の救いへの、究極の判断は聖霊がしてくださるのです。
多くの船が行きかう港や海峡などで、大型船を安全にリードする水先人(英語ではパイロット)がいます。その環境に精通し、的確に状況判断をし、無事に岸壁につくようにリードする専門家です。聖霊は信仰者の船に乗り込んで、的確に状況判断をし、天の港に導く水先人です。
今日は聖餐式、制定句の「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである」の「わきまえる」は正しい判断をするという意味もあります。聖餐において、正しい判断をし、最も大切な十字架の福音の原点に帰ることが必至です。水先人である聖霊の判断に従って、信仰の船の舵とりをしてまいりましょう。
「あなたが自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、…見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。」1列王記3:11~12
30代のころ、自己啓発の本に「判断力が実力の最大の量を占める。それが養われ発揮されるのが40代なのである」とあって、啓発されたものでした。ソロモンがダビデから、王位を継いだのはそのくらいの年代だったでしょうか、夢の中に現れた神にこうお願いしました。自分が小さい者で民の数は多いので、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」(3:9)。すると、神はあなたが長寿や富や勝利を求めず、判断力を求めたので、「今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。…あなたの願わなかったもの、富と誉れとを与える」でした(3:12-13)。
◇状況の判断
ソロモンの知恵を示すこんなエピソードがあります(1列王3:16-28)。二人の女性が王の所にきて、訴えました。二人は一緒の家に住んでいて、一方に子どもが生まれ、三日後にもう一方にも子どもが生まれた。その夜の間に片方の子が死んで、夜中、寝ている間に死んだ子と生きている子をすり替えたと一人が主張し、もう一人はそうではないと主張し、生きている子は自分の子だとそれぞれ言い張る。それならばと、王は子どもを二つに切って分けよと命じる。すると、生きている子の母親が殺さないであの女に渡してくれと言い出し、そうでない女は断ち切ってくれと言った。王は殺してはならない、この子の母親は初めの女性、彼女に渡すようにと判決を下した。
ソロモンの判断力は抜きんでたものがありました。国内外の情勢を見極めていました。国内と言えば、父ダビデは周辺諸国との争いに明け暮れて、晩年にはそれも収まって、国は安泰となっていました。国外と言えば、北はアッシリヤ、南はエジプトの大国も弱まっている時期でした。これをチャンスと判断し、富国強兵の国造りに邁進(まいしん)していくのです。
ピラミッド型の中央集権の体制にしていきます。これまであった12部族連合を12の県のようなものして、徴税・徴兵制にし、中央の力を強固なものにします。戦車なども入れて、最強の軍隊を作りますが、ほとんど戦争はしていません。このあたりの人たちは商業を軽く見ていましたが、ソロモンは力を入れます。内需拡大と諸外国との交易を盛んにし、イスラエルはかつてないほど経済的に豊かになります。それで贅沢な王の宮殿を年月かけて建設します。約束でもあった神殿の建設も財を尽くして、見事に建造します。このようなソロモンの手腕を知りたいとシバの女王が来訪したりするほどでした。実にその業績はイスラエルの歴史において、最大のものだったでしょう。「ソロモンの栄華」と言われる所以(ゆえん)がそこにあります。
と言いましても、不思議なことに聖書はそのことをそれほど賞賛してはいないのです。やはり、重要なのは神の前の信仰なのでしょう。
◇信仰の判断
ソロモンの作と思われる書が三つあります。イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの「箴言」、エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば「伝道者の書」、ソロモンの「雅歌」という知恵の書です。知恵文学というのはこうです。モーセの五書がすべての基本ですが、現実の問題となると、矛盾を感じたり、困難を覚えたりします。たとえば、神が創造された世界は「非常に良かった」というのが創世記のメッセージ。それを受けて、すべてに時があり、神のなさることは時にかなって美しいと伝道者の書は述べます(3章)。しかし、人には永遠への思いがあるのに、現実には神の御業を見極められないという矛盾があり、そこにいたたまれない苦悩が巻き起こり、はてしない虚しさに襲われます。永遠を思っても、人は獣と同じように死んでしまう。人生、どんなに労苦しても意味があるのか、虚しいではないかと嘆きます。そこで、知者は提唱します。現実に即し、分に応じ、時に応じて人生を楽しむがいい。結局は信仰である。創造者を覚え、その命令を守るなら、その永遠への思いは満たされていくだろうと答えを出します。
箴言は信仰者が律法を守りつつ、世に対応していく知恵を並べていきます。雅歌は神との愛を見出そうと恋愛の葛藤と純愛を物語っていきます。それら三書とも貴重なソロモンの知恵の書です。
イスラエルのネタニヤ市で7日、第二次世界大戦当時、ナチスドイツの迫害から逃れた約6千人のユダヤ人にビザを発給したことで知られる日本人外交官、杉原千畝(ちうね)氏の名を冠した通りができたとのニュースがありました。同市には杉原氏に助けられたユダヤ人が多く移り住んだからだと言います。ナチスから逃れたユダヤ人難民たちがカウナスの日本領事館に通過ビザを求め押し寄せた。外務省は三国同盟があるので許可しなかったが、杉原領事代理は悩み苦しんだ。彼はハリスト正教会のクリスチャン。この状況では外務省に背いてでも、助けようと人道的判断を下した。妻の幸子さんに「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」と決意を述べていたといいます。
◇究極の判断
知恵のソロモンから学ぶことは実に多いのですが、「見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです」とイエス・キリストが言われています。それは神の知恵たるキリスト、私たちはその方を学ぶのです(マタイ12:42、1コリント1:24)。信仰は世間対応の知恵を超えて、御国対応の知恵を得て救われるのです。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(1コリント1:18)。その宣教の愚かさによって救われるという逆説的な知恵です。逆ピラミッド型の世界を目指す教会の知恵です。
ただ、究極の知恵は「隠された奥義としての神の知恵」ですから(1コリント2:7)、神の御霊によって開かれる必要があります。「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。…御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません」(1コリント2:12)。「わきまえる」を口語では「判断する」と訳しています。十字架による永遠の救いへの、究極の判断は聖霊がしてくださるのです。
多くの船が行きかう港や海峡などで、大型船を安全にリードする水先人(英語ではパイロット)がいます。その環境に精通し、的確に状況判断をし、無事に岸壁につくようにリードする専門家です。聖霊は信仰者の船に乗り込んで、的確に状況判断をし、天の港に導く水先人です。
今日は聖餐式、制定句の「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである」の「わきまえる」は正しい判断をするという意味もあります。聖餐において、正しい判断をし、最も大切な十字架の福音の原点に帰ることが必至です。水先人である聖霊の判断に従って、信仰の船の舵とりをしてまいりましょう。