年が近い妹が二人も居たため、私は子供の頃からわりと少女漫画に馴染んでいた。
ただ、やはり恋愛ものは苦手であった。思春期を迎えると、自然と少女漫画からは遠ざかった。再び復活したのは大学生の頃だが、どちらかといえば恋愛要素の薄い作品を好んでいた。
この傾向は現在も続く。読み続けている少女漫画は少ないが、さすがにコンビニで立ち読みは恥ずかしく出来ない。コテコテのエロ本ならば、周囲に女子高生がが居ても平然と立ち読みできるが、少女漫画系の雑誌は無理。これは漫画喫茶で読むしかない。
現在、単行本を揃えようかどうかと悩んでいるのが夏目友人帳だ。好きなエピソードは沢山あるが、実はなんでこれほどまでに好きなのか、イマイチ自分の中で整理が付いていない。
ファンの方には嫌われそうだが、子供の頃に夏目貴志のようなクラスメイトがいたら、多分苛めちゃうかもしれない。なんかイラッとくるタイプ。でも仲良くなれるかもしれないとも思っている。
だからだと思うが、「偽りの友人」の回で登場する夏目の子供の頃の同級生である柴田には、なんとなく共感できてしまう。ただし、私、彼ほど二枚目ではない。作中でも屈指のモテ男だと思いますよ。まァ夏目も本来はモテるタイプに思い得ますが、その性格と生い立ちゆえに女性にもてる気がない。
その癖、妖怪とは積極的に関わるのだから、ニャンコ先生も頭が痛いと思う。
ところで夏目は、田沼や西村、多軌といったわりと温和なタイプと親しくしているが、唯一の例外が柴田。仲直りはしたようだが、けっこう他愛無い言い争いはしている。このあたりの感覚が面白い。
なんとなくだが、私の高校生時代を思い出させる。思えば私も不器用な青年だった。心の中で、口には出せぬ複雑な思いに悩みながら、成績優秀な高校生を演じつつも、夜遊びを欠かさないことが、私の心のバランスを保つ術だと思い込んでいた。
本来、すごくモテるはずの柴田が妖怪に恋をしてしまった感覚がなんとなく分かる。そして、それが悲劇に終わることも。あの別れの場面は、夏目友人帳の中でも屈指の美しさだと思っています。これは男性漫画家には描けないシーンだとも思うのですよね。
ただ、やはり恋愛ものは苦手であった。思春期を迎えると、自然と少女漫画からは遠ざかった。再び復活したのは大学生の頃だが、どちらかといえば恋愛要素の薄い作品を好んでいた。
この傾向は現在も続く。読み続けている少女漫画は少ないが、さすがにコンビニで立ち読みは恥ずかしく出来ない。コテコテのエロ本ならば、周囲に女子高生がが居ても平然と立ち読みできるが、少女漫画系の雑誌は無理。これは漫画喫茶で読むしかない。
現在、単行本を揃えようかどうかと悩んでいるのが夏目友人帳だ。好きなエピソードは沢山あるが、実はなんでこれほどまでに好きなのか、イマイチ自分の中で整理が付いていない。
ファンの方には嫌われそうだが、子供の頃に夏目貴志のようなクラスメイトがいたら、多分苛めちゃうかもしれない。なんかイラッとくるタイプ。でも仲良くなれるかもしれないとも思っている。
だからだと思うが、「偽りの友人」の回で登場する夏目の子供の頃の同級生である柴田には、なんとなく共感できてしまう。ただし、私、彼ほど二枚目ではない。作中でも屈指のモテ男だと思いますよ。まァ夏目も本来はモテるタイプに思い得ますが、その性格と生い立ちゆえに女性にもてる気がない。
その癖、妖怪とは積極的に関わるのだから、ニャンコ先生も頭が痛いと思う。
ところで夏目は、田沼や西村、多軌といったわりと温和なタイプと親しくしているが、唯一の例外が柴田。仲直りはしたようだが、けっこう他愛無い言い争いはしている。このあたりの感覚が面白い。
なんとなくだが、私の高校生時代を思い出させる。思えば私も不器用な青年だった。心の中で、口には出せぬ複雑な思いに悩みながら、成績優秀な高校生を演じつつも、夜遊びを欠かさないことが、私の心のバランスを保つ術だと思い込んでいた。
本来、すごくモテるはずの柴田が妖怪に恋をしてしまった感覚がなんとなく分かる。そして、それが悲劇に終わることも。あの別れの場面は、夏目友人帳の中でも屈指の美しさだと思っています。これは男性漫画家には描けないシーンだとも思うのですよね。