ヌマンタの書斎

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持分、寄こせ その一

2018-12-04 12:00:00 | 経済・金融・税制

医者は儲け過ぎだとの批判は、以前からあった。

これは事実に基づいた批判であることは、私も承知している。同時にその批判の根っこにあるのは、嫉妬や僻みであることも理解している。

だが、優秀な医療を国民に提供するのは、政府の重要な福祉政策である。優秀な人材を医師に集めるためには、医業に魅力がなければならない。

医師の仕事は、単に病気を治し、命を救うだけではない。病気の予防や健全な社会の構築にも貢献する極めて人道的、社会的な仕事である。

でも崇高な使命感だけでは優秀な人材は集まらない。やはり、この現代社会で生きていく以上、経済的対価が求められるのは当然である。実際、医業においては、その過酷な労働条件、付きつけられる過度な要求と無慈悲な現実に医師は苦しめられる。

だからこそ、医師への報酬は他の一般的な労働よりも高額となる。高度な技能には、高い報酬が支払われることは決して理不尽ではない。ところが、日本という国は、累進課税制度を採用している。つまり報酬が高ければ高いほど、税率が上がり、納税額が高額となる。

昭和の頃だと、累進課税の最高税率は住民税と合わせると7割近かった。つまり、稼げば稼ぐほど、税金に大半の稼ぎが持って行かれる。これでは医師のやる気を削いてしまう。そこで設けられたのが医療法人制度である。

法人ならば、いくら稼ごうと一定税率である。しかも親族等を理事に据えれば、所得の分散も容易である。だから稼げる医者ほど、この医療法人制度を活用した。そのせいで、世間一般から妬まれるのも致し方ない気がする。

だが、厚生省(当時)は、医院の継続性を重視し、非営利法人としての制約を強く持たせることで、医療法人制度を確立させた。非営利といいつつ、実際には納税申告はしているのだが、それはあくまで医業利益に対する納税である。

普通の法人(会社)のように、出資者に対して利益を配当することは禁じられている。

経営の継続性を求められた医療法人ではあるが、現実には後継者が不在で廃業することもある。特に団塊の世代の医師が、自らが設立した医療法人を廃業し解散した場合、その出資分については、最終的には払い戻される。

これは出資者に対しての利益の配当ではないかと噛みついたのが、衆議院の厚生労働委員会(平27年8月5日)である。もっとも、この議論は以前からあった問題でもある。

問題は、この議論の結果としての医療法改正であった。医療法人の出資持分がある医療法人について、その定款を変更して、出資持分のない医療法人に組織変更を求めた。

この改正を最初に聞いた時は、思わず耳を疑ったものだ。出資持分ありを、出資持分なしに変更するということは、株主(出資者)が自らの権利を放棄して、法人に贈与することである。

ちなみに政府が勧奨する、この持分なしの医療法人が解散した場合、財産から負債を控除した残余財産は、国または地方公共法人等に帰属することになるそうである。それだけではない。

当初の出資を放棄するだけでなく、医療法人に受贈益という利益を計上しなれればならない。利益が出る以上、当然に課税されるではないか。さすがに、そんな馬鹿なことをする奴はいない。そこで、この受贈益については、税務上の要件を満たせば非課税となる。

しかし、この非課税要件は実務上非常に面唐ナ、実際には税務署の税務調査を受けないと、非課税であるかどうかが分からない。こんなアホな改正を受け入れられる訳がないと私は考えて、医療法人の顧客には今回はスルーしますと告げたほどである。

これは私だけの判断ではなく、日本全国の医療法人は、極一部の例外を除き、誰もこの改正には応じなかった。当然であろう。

さすがにあまりに稚拙な改正だと自覚したのだろう。今年になって、新たに法案を出し直してきた。

あくまで、持分ありの医療法人を、持分なしの医療法人へと組織変更させるための法案であることには変わりはない。ただ、以前よりも非課税の要件が緩和されて、やりやすくなったのは確かだろう。

でも、おそらくだが、全国の医療法人のうち、規模の大きな法人を別にすれば、まずこの改正に応じることはないと断言できる。誰が出資持分を国になんぞタダでやるもんか。そう考えるほうが普通であろう。

では、国(厚生労働省)はなぜに、このような法案を出してきたのか?(続く)

コメント
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