ヌマンタの書斎

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水道民営化

2018-12-20 12:11:00 | 社会・政治・一般

やはりアメリカの後を追うのか・・・なにかと云えば、水道事業の民営化のことである。

日本は水資源大国である。これは日本政府が努力したからではなく、暖流と寒流の交わる海がそばにある日本列島の地理的要因によるところが大きい。

もっとも古代の大帝国、都市国家が衰退した理由の一つに、水資源を失くしたことがある。その点、日本は山の森林を守ってきた(江戸時代)ことも大きい。戦前は井戸が都市部でも普通にあったが、急速な都市化とアメリカに倣った公共水道網の敷設により、全国一律で上水道が整備された。

今、問題になっているのは、この上水道設備の老朽化である。多額の公共投資として主に60年代から70年代に整備された水道管は、鉛管が主体であり、既に耐用年数を超えている。

もう、とっくに水道管は入れ替えなくてはならない時機に来ている。しかし、その経済的負担に小さな自治体は耐え切れないと予測されている。おまけに人口急減のため、水道料金という公共料金も次第に減っていくことが予測されている。

つまり縮小していく事業を維持するだけの財源が不足することが明白なのが、21世紀の日本の水道事業である。霞が関のエリート様は、とっくにこの問題に気が付いている。そして自分たちでは解決できないと自覚しているようなのだ。

老朽化した水道管設備を更新するのは、どうしたって水道料金の値上げが必要となる。しかし、公共料金である以上、値上げをすれば国民から批難の声が上がるのは必然だ。

そんな批難の矢面に立ちたくない。勉学優秀なエリート様は褒め称えられることには馴れていても、批難されることには馴れていない。そんな損な役割は御免こうむりたい。多分、そう思っている。

だからこそ、アメリカが率先して行っている公共事業の民営化は魅力的に見えて仕方ないらしい。だが、アメリカや中南米などで実施された水道事業民営化は、必ずしも成功しているとは言い難い。

むしろ水道料金の値上げに耐えかねて怒った市民たちが暴動を起こしている例もある。にもかかわらず、官僚たちには成功に見えるのは、政府ではなく、民間事業者の失敗だと切り捨てられるからだと思う。

私からすれば、責任の所在を誤魔化しているに過ぎないと思う。

ただ、その一方で老朽化した水道管の更新が大変なのは分かる。もっとも老朽化しているのは水道管だけではない。地下埋設型の電線、ガス管なども同様である。また高度成長時代に建設した道路、橋、港湾施設なども同様な問題を抱えている。

それでも、都市部に限っては、その更新はやむを得ないものとして進められると思う。その結果が水道料金などの値上げにつながることは当然だが、致し方ないと思う。

むしろ問題は過疎化が進む地方であるはずだ。たとえ工事が出来ても、それをペイするだけの収入は得られない可能性が高い。つまり水道事業は採算が合わない。高齢化が進む地域では、水道料金などの値上げを受け入れられる余地は少ないのだから、民間事業者が乗り出すとも思えない。

では老朽化問題はどうなる。

私は案外と昔の知恵が復活するのではないかと思っている。日本において上水道施設が普及したのは、昭和になってからであり、ほぼ全国一律となったのは高度成長期に過ぎない。

それまでは井戸やため池など自然の水を使っていた。高度成長期に都市部に人口が集中した結果、井戸が枯渇したのは事実だが、枯渇の原因は工業用水、農業用水の集中利用が真の原因だ。

工業団地が放棄され、耕作放棄地が増えた地方では、井戸を復活させればかなりの地域が上水道なしでもやっていけるのではないかと思っている。かなりの労力なので、高齢者にはキツイと思われるが、そこは電動汲み上げ機などを活用すれば大丈夫。

蛇口をひねれば綺麗な水が出るとは、かなり贅沢なことであったことをその時になって思い知るでしょう。もっとも、総務省をはじめとして霞が関のエリート様がそこまで考えているかどうかは、知りませんけどね。

コメント
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