ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

愚かなる意地

2011-06-24 12:19:00 | 日記

誰もが向上心を持つわけではない。

人は時として、頑ななまでで愚かでいたいらしい。そう思わざる得なかったのは、丁度今頃の時分であった。当時、前年11ヶ月に及ぶ長期入院を終えたのだが、春先に再発しての二度目の入院中であった。

もっとも、このときは緊迫感はなく、再び無為の日々を過ごすことへの遣りきれなさを、病床での読書で誤魔化していた。私のような長期入院患者は、皆TVをレンタルしていたが、私は断固拒否した。

ただ漠然とベッドの上で日がな一日TVを見るような怠惰な生活は、真っ平だった。ただでさえ怠け者の私である。目的もなく、ただTVを見呆けるような生活を送れば堕落するのが目に見えていた。

どん底から這い上がる苦労は、既に経験済みであったので、一度怠惰な自分に戻ってしまえば、そこから立ち上がるのは大変であることは分っていた。臆病な私は、その辛苦を避けたいと思っていた。

勘違いしないで欲しいのだが、TVを見るから怠惰になるのではない。TVを敢えて見ない選択をすることで、心の緊張を保っておきたかったのだ。

そんな訳で、私の入院生活は新聞を丹念に読むことと、本を大量に読むことに充てられていた。ちなみに本は、時々病院を抜け出して、近所の古本屋から入手していた。三冊200円の安売りワゴンから無雑作に買った本ばかりであったので、駄作も随分あった。

おかげで、駄作と良作の違いが良く分った。著名な文人であったとしても、駄作はけっこうあるものだと知った。駄作を沢山読んだおかげで、私が敬遠していた純文学には良作が沢山あることも良く分った。

駄作は本ばかりではない。人間にも駄作があることを知ってしまったのも、この頃だった。

私が入院していた病棟は、難病治療で知られたN教授が担当していたせいで、全国からいろんな患者がいたが、その一人にS氏がいた。

高齢者が多い病棟のなかで、私は数少ない若い患者であったので、よく年配の方々から可愛がられた。ただ、訳もなく私を嫌う、敬遠する人が少数おり、S氏もその一人であった。

もっとも、入院患者のなかでは一番元気であった私に喧嘩を売ってくるわけではなく、無視したり、影で悪口を言いふらしたりしていたらしい。

そんなS氏は、他の患者から嫌われ、年配者から苦言を呈されたりすることが多く、その度にトラブルになっていた。患者だけではなく、医者や看護婦とのトラブルも絶えない問題患者であった。

ところが妙なことから、私はS氏と口を利くようになった。間に入ってくれたのは、これまた問題患者の代表(?)であった右翼のA氏であった。

明らかに堅気ではないA氏は、私を妙に可愛がってくれた大人の一人だった。私は体が多少不自由なA氏に頼まれて、いくつか雑用をしたことがある。その流れて、私を嫌っていたS氏とも関るようになった。

A氏に言わせると、私が真面目に勉強(単に本を読んでいるだけだが)している姿が、S氏にとって不愉快であったらしい。治療法のない難病ではあったが、私はまだ未来を信じていたし、そのための読書だと思っていた。

ところが、S氏は自分の病気が治ることを信じておらず、未来なんてないと悲観していたが故に、私の存在が不愉快であったらしい。

そのことをS氏がA氏に話したら、強面のA氏に逆に一喝されてしまい、しぶしぶ私が同席することを認めざる得なくなったようだ。

同席というのは、病棟の深夜に不良患者たちが集まってお喋りをしている集いのことで、その場でA氏が振舞うジュースやお菓子を目当てに、月に数回開かれていた。

その場で、S氏は日頃口にしない本音をボロボロとこぼすことがあり、私もようやく彼の人となりを知ることが出来た。率直に言って、私はこれほど後ろ向きの生き方をしている人を知らない。

S氏が他の患者から嫌われるのも無理ないと思ったが、反面同情すべき点もないではなかった。手術の失敗で腎臓を一つ失くしていること。自分が入院中に妻が浮気をして、家を出て行ったこと。度重なる転職と仕事を首にされたこと。

とにかく不幸のオンパレードみたいな人であった。その上、治る見込みのない難病を患ったため、ひどく厭世的になり、物事を前向きに見られなくなったようだ。

A氏ほか数名の不良患者たちも、S氏の愚痴を真剣に聞いてはいたが、後になってそれがポーズであることを知った。A氏の手術が失敗したのは、術後に絶対安静を守らず売店に行って買い食いしたことが原因だった。

奥さんが浮気したのは、S氏がほかに女をつくり家に帰らなかったからで、その女とは金銭がらみのトラブルで別れたこと。そのトラブルの解決金は奥さんが払っていたこと。転職の原因も、彼が客とトラブルを起したからであること。

そのことは、S氏本人が自ら語っていたようだが、当人は自分が悪いとは思っていないと、他の患者たちが呆れ顔で私に話してくれた。

なんのことはない。自業自得ではないか、皆そう思っているようだった。ただ、不良患者という人たちは、自分自身もけっこうな苦労人であるせいか、S氏のわがまま、自分勝手さを聞き流す寛容さを持っていた。

多分、一番憤ったのは私だったが、A氏から「黙って聞いておけ。聞くだけで十分だ。理解する必要はないぞ」と言われたので我慢した。

私はその後半年ほどで退院し、自宅での療養に入ったが、病院には毎週通院していたので、病棟にも遊びに行っていた。医者の言うことを聞かないS氏は、次第に衰え、精神的におかしくなってきたようで、翌年には精神科に転院されていた。

同じ難病なので分るのだが、S氏は完治は無理でも、ある程度の回復は見込めたと思う。だが、肝心のS氏本人にその気がなかった。未来に希望を持たず、過去を嘆くだけで生きていた。

過去しか見ないから、未来への努力をする気になれなかったらしい。自分の誤りや、愚かさを直視しないから、他人の誤りや愚かさを許す気持ちを持ち得なかったらしい。

誰になんといわれようと、私はTVを断固レンタルしなかった。その頑固さ、依怙地さとS氏の頑迷さには、ある種の共通点があるかもしれない。だから単純に非難することは出来ないかもしれない。

違いがあるとしたら、未来を信じ、未来のために頑固であらんとした私に対し、S氏は過去を美化し、過去を取り繕うために頑固であり続けた点ではないか。

その後のことは知らないが、もう生きてはいないと思っている。反面教師という言い方は少し酷かもしれないが、挫折しそうになるような苦境に陥った時、私はS氏を思い出すようにしている。

諦めて堪るか、倒れるなら前を向いて、倒れてやる。前に向かって倒れてやる。同じ頑固ならば、私は前向きで頑固でありたいと思う。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする