ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「日出処の天子」 山岸涼子

2007-01-16 09:37:30 | 
初めて山岸涼子の漫画を読んだのは、小学5年生だったと思う。バレエを舞台とした「アラベスク」という作品だった。現在も現役で作品を発表しているので、息の長い漫画家だ。

年の近い妹が二人もいたため、少女漫画に接する機会が多かった。しかし、それほど好きであったわけではない。実のところ、少女漫画特有の、あの異常に細い手足が嫌いだった。ローキック(下段蹴り)一発で折れそうな細い手足が、どうも好きになれなかった。

だとしても、山岸涼子の描く細い手足は例外だった。バレエを描いていたせいもあろうが、細くとも筋肉と骨があることを感じさせる絵柄であったことが、強く印象に残っている。思春期に入り、少女漫画とは疎遠になったが、大学生の頃付き合っていた彼女の勧めで、読み出したのが表題の作品だった。

山田風太郎や半村良が好きだったので、伝奇ものには違和感なく入り込めた。日本史の教科書とは全く別の聖徳太子像は、新鮮であり鮮烈でもあった。けっこう、はまったと思う。

ただ、実のところ聖徳太子は、もう一度再評価する必要があると思っている。本当に聖徳太子は仏教徒だったのか?私はかなり疑問を持っています。物証なき奇論であるのは承知してますが、私は聖徳太子及びその母親は、景教の信者であったと考えています。そして多分、叔母である推古天皇も。

景教とは、ネストリウス派のキリスト教のことです。ローマ教会のもとでは異端とされたネストリウス派は、シルクロードを伝って中央アジアに伝播して、唐の時代のシナで大流行したことまでは史跡が証明しています。唐には、日本人が少なからず渡っていましたから、景教に影響を受けた日本人がいても不思議はないと思います。

実際、聖徳太子にせよ、推古天皇にせよ、やったことの多くは伝統的な仏教とは、ほとんど関連性を感じません。そもそも仏教は、転生輪廻の輪からの離脱を目指すもので、他者の救済の思想は極めて薄い。どうも古代日本の仏教は、仏教の殻を被ったキリスト教のイメージがあるのです。

このことは、戦国時代末期に日本を訪れたイスパニアの宣教師たちも感じていたようで、インドやシナと違い、日本にはキリスト教の布教の痕跡を感じるとの報告を本国にしています。もっとも、プレスタージョンの伝説の影響もあり、先入観からの思い込みもあるかもしれませんが。

いずれにせよ、現在の歴史教科書は、蘇我氏や天武天皇といった政争の勝者が描いた古代日本像です。敗者の実情は、勝者の都合により書き換えられた可能性が高いと、私は考えています。とはいえ、1000年以上昔のことですから、事の真贋は闇の中。せめて天皇陵の史跡調査が本格的に出来れば、新たな事実が判明する可能性があるのですが、これは難しそうです。致し方なく、想像の世界で遊びますかね。
コメント (15)
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