今年の冬は雪の降り方が降る時は半端じゃなかったですよね。
とくにスキー場はすごかった。これでもか・・・というくらいに降ってきてましたね。おかげでいつのまにかスキーウェアーのポケットにまで雪
が「侵入」し、何度も携帯
が雪にまみれた状態で「水没状態
」になりました。
キーの隙間から水が入った状態で、何とか我慢して使っていたのですが、ついにメールするときに文字が入力できなくなる
キーも出てきたので「機種変更」することにしました。
ちょうど2年経っていたので「かえどき」でもあったので、今度はしっかりした「防水タイプ」のドコモの「F01-B」にしました。
「使っていた携帯がスキーに行っていておかしくなった・・・」「直したほうがいいか、新しいのにすればいいか」って言ってお店に行って結局は「機種変更」したのですが、「これでスキーで転んでも大丈夫ですね・・・」ってドコモショップのお姉さんに言われました。冗談なんでしょうけど、そんなにスキー「下手くそ」に見えるんでしょうかね・・・
(左の黒いのが新しい携帯F01-B 右は水没状態で×となったF905i )
「のと恋路」号の愛称名の発祥地といえば、鉄道マニアはもちろん、ラブロードで能登を訪れた方なら誰でも知っている能登町恋路(鉄道があったときは内浦町恋路)です。
その「恋路」には、わが社のOBで民宿「恋路屋」を経営しておられるIさんがおられます。
けっこうテレビや雑誌にも登場して、先日も新聞に載っておられた「有名人」ですが、能登半島ブームも去り、能登線が廃止になっても頑張っておられます。
先日もIさん自家製の「イカの塩辛」をいただきました。
「イカ」は旧内浦町の「まちの魚」にもなっていたくらい有名で、県内一の水揚げ量となっております。
そのイカの中から厳選された上質の美味しいイカを使っての「塩辛」は絶品です。
柚子と唐辛子・麹が絶妙にからみあった「塩辛」はいい酒の肴になっております。
食べたかったらぜひ「恋路屋」にお泊り下さい。多分お食事に出されると思いますが、予約のときにご確認のほどを・・・
1月の人間ドック以来、「真冬の格闘?」が続いておりましたが、ようやく本日の「最終検査」で胃の中から「ピロリ菌」が除去されていることが確認されました。
これで、20歳位から続いていた胃・十二指腸との痛みからとりあえずは解放されるのでしょうかね?
まあ、これから解放されても会社で「受動喫煙」の被害はずっと続くのかと思うと、こっちのほうがずっとずっとつらいです。またまた胃が痛くなりそうです・・・
本日はダイヤ改正の日です。
先日のダイヤ改正の説明会で常務が「ダイヤ改正の日は鉄道会社にとっていわば“正月”みたいなもの。新たな気持ちでキリッと引き締めて行こう!」との言葉が印象に残った状態での「初日」でした。
二番列車の122Dと折り返し123Dの乗務でしたが、学生たちも迷うことなく乗り降りしていました。もっとも土曜日ず少なかったのもありますが・・・
これからしばらくは新ダイヤに慣れるまで緊張の日々が続きそうですね・・・
今日は泊まり勤務。
最後となる能登&北陸の雄姿を見ることもできませんでした。
某テレビでは最後の出発の金沢駅からの生中継もあったようですが、運悪く?今日の乗務は最終列車の運転&入換えで、テレビすら見れませんでした。
まあ、廃止までに腹いっぱい写真は撮ったし、最後間際に乗ったから悔いはありません。
「能登号」の思い出と言えば、先日のブログでも書いたように、ラスト間際の白山号に上野まで乗って数時間東京に滞在後、能登号に乗車したのですが、碓井峠での補機の付け替えまではきっちり写真に撮って記憶に残しているのですが、その後静まりかえった車内でビール飲んで自然に眠りについたのですが、朝起きたのが滑川付近。直江津での方向転換の時も眠っていたのでわからず、目が覚めたら自分だけ進行方向と逆方向に座席を向けていて、みんなの視線浴びた事が忘れられません。きっとイビキ・寝言・歯ぎしり?でうるさかったんでしょうね。
「北陸号」の思い出といえば、はっきり言って乗ったのはついこの前なんでないのですが、しいていえば高校時代に「鉄道同好会」で金沢運転所(現 金沢総合車両所)で見学させてもらった時にヘッドマークをいろいろかえてもらって撮影させてもらったのと、「のと鉄道」に入って「のとだらぼち号」のヘッドマーク作成のために車両所に停泊している北陸号牽引のEF81の車両で採寸したついで?にいろいろと見せていただいた事ですね。
今頃、どこ走っているんだろ・・・、車内はマニアでいっぱいだろな・・・なんて考えているとなかなか寝付けません・・・