今朝は高崎あたりまでぐっすくと寝ておりました。
やはり酒の力はすごいですね。
せっかくの「最初で最後の北陸号の旅」はあっけなく終わってしまいました。
そのせっかくの旅もまた「強行スケジュール」で、上野滞在時間はわずか3時間弱で、速攻でとき+はくたかを乗り継いで富山に帰ってきました。
長野新幹線が開通するほんの数日前に、最後の碓井峠の通過を楽しむために、特急白山で金沢から上野に行き、約6時間滞在して、急行能登に帰ってきた記録をはるかに上回る「マニア活動」した事がありましたが、それの約半分の時間。
「何のために行ったの?」と言われそうですね。
富山に帰ってから、車で南加賀まで高速を走らせ、今度は数が激減する「雷鳥」の「撮り鉄」をして、その足で県の「献血センター」で「愛の献血」をしてきました。
偶然にも元同僚で現在は「北近畿タンゴ鉄道」に勤めておられるUさんとバッタリお会いしました。まさかこんな所でお会いするとは・・・
夜は妹の所でゆっくり晩酌をして、22時過ぎから高岡駅に送ってもらい、甥っ子らと通称「タオバルブ」で能登&北陸の「撮り鉄」いたしました。
自称「飲み鉄?」を「豪語」するだけの私ですが、さすがに高岡駅に撮っていらっしゃる「撮り鉄」の方の中にはお酒臭い人はいませんでしたね。
さすがみなさん撮影に力入っていましたね。
まあ私は甥っ子の監視役という形で、大半の「撮り鉄」のいる5番ホームではなく、列車の発車する4番ホームにいたのですが、そこにはほとんど「撮り鉄」はいませんでした。
でもラッキーな事に、風のため北陸線のダイヤは乱れており、能登号も富山駅のホームがつかえているとかの理由でしばらく停車していました。
そうなると能登号も独り占め・撮り放題。一部の能登号の乗客が車内放送で発車見合わせを聞いたのか下りてきて写真をサッと撮るくらいで、あの金沢駅の大パニックが嘘のようにストレスなく撮れました。
「能登」の人間が「能登」の最後の姿を「能登半島の付け根の駅 高岡」で「のっとった」って形で撮影できて、まさに最後の「サプライズ」だったのかもしれませんね。