のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

蛇の舌のこと

2007-09-04 | 映画
なんとなく9/2の続きでございます。
注:『指輪物語』完全ネタバレ話

蛇の舌 グリマ。
老国王に取り入り、甘言を弄して王の心を蝕み、堕落させる(そして結果的に失敗する)
美しい姫に恋慕するも、相手からは嫌われる(しかも姫はヒーロー(=グリマの敵)に片思い)、という
それはもう 小 悪 党 の お 手 本 のような奴ばらでございます。
その風貌は、原作の描写によると「賢人めいた青白い顔に瞼の重たくかぶさる目をした、しなびた男」。
映画ではこう ↓ でございます。



ぎゃ は は は は
素晴らしい!

ブラッド・ドゥーリフという俳優さんですが
イヤーこのかたは蛇の舌を演じるためにこの世に使わされたのだとしか思えませんね。
もちろんメイクの助けもございましょうが、実に爬虫類的な、のろごのみの顔立ちをしていらっしゃいます。
眉毛の無い青白い顔(ポイント高し)、薄い唇、とがった鼻、つり上がったまなじり、そして全身黒づくめ。
いやあステキですね、蛇の舌殿。
ちょっとお召し物のホコリなど払わせてくださいましよ。
さっさっ。
ああ、ホコリじゃなっくて フケ ですか。失礼しました。

映画が公開された当時、本か雑誌に載っていた製作秘話で、グリマの陰気な容貌を強調するために
衣装の肩口やら髪の毛やらにフケ状のものをぱらつかせた、という話を読みました。
「フケ」の素材は砕いたポテトチップだったとか。
総制作費2億7000万円の超大作も、変な所で低予算でございます。

蛇の舌、お話に登場するのはほんのちょっぴりでございます。
全7巻に及ぶ『指輪物語』における全登場シーンを数えても、
ページ数にして、せいぜい10ページにも満たないぐらいではないかと。
ストーリー上、さして重要な役割を果たすわけでもございません。
それでも、1:キャラクターが立っている 2:ゴクリについで徹底的に救いの無い人物である 
以上の理由から、蛇の舌はのろのマイフェイヴァリットなんでございます。
ああ、あと 3:容貌がのろごのみ であるのと。

1:キャラクターが立っている という点については、原作の描写を以下に引用してその証とさせていただきましょう。

階段に座っている青白い顔の男がいいました。「・・・(略)・・・疫病神殿よ、なんでわれわれがあんたのことを歓迎せねばならぬのかな」p.23

かれは薄気味悪い笑い声を立てながら、ちらと重い瞼を上げ、悪意のある目をじっと旅人たちに注ぎました。p.23

(ガンダルフ(←ぶっちゃけて申せば、善い魔法使い)がその力を示すと)蛇の舌はだらしなくはいつくばりました。p.26

二人の男の間にちぢこまって蛇の舌グリマがやって来ました。その顔はまっ蒼で、目は日の光にまぶしそうにまたたいています。p.38

「後生でございます、殿!」蛇の舌は哀れっぽい声でいうと、地面に額をこすりつけました。「殿にお使え申すために疲れ果てました者に情けおかけくださいませ。わたくしを殿のお側からお引き離しにならないでくださいまし。他にだれ一人残らなくとも、わたくしだけは殿のお側におつき申し上げます。忠実なるグリマをどこへもおやりにならないでくださいまし!」p.39

蛇の舌は次々とみんなの顔をうかがいました。その目には自分を取り巻く敵の輪の中にどこか隙はないものかと探している追いつめられた獣のような表情がありました。かれは色の薄い長い舌で唇を舐めました。p.40

蛇の舌はのろのろと立ち上がりました。かれは半眼を見開き、みんなを眺め回しました。最後にかれはセオデン(←グリマが取り入っていた老王)の顔をつくづく見入ると、話そうとするかのように口を開きました。それから不意に体を真っ直に伸ばしました。両手がわなわなと震え、眼がぎらぎらと光りました。その眼には人々がかれの前から思わず後ずさりする程の敵意が浮かんでいました。かれは歯を剥き出し、それからシューッと息を押し出すようにして、王の足許に唾を吐きました。それから身をひるがえして、飛ぶように階段を駆け降りて行きました。p.42
以上、全て文庫本第6巻より



どうです。
卑屈で、狡猾で、善きものたちへの敵意と憎悪に満ち満ちた人物像が
ありありと立ち現れてくるではございませんか。
心から王を気遣うふりをして、その実、王を思いのままに操ろうとする思惑も
慇懃でありながらトゲのある、いやらしい話しぶりに現れているのでございます。
王の元にガンダルフ一行が到着し、グリマが追い出されるまでの短いやり取りの中で
小悪党のエッセンスを凝縮したかのようなグリマの描写はみごとと言う他はございません。


2:ゴクリについで徹底的に救いの無い人物である について申せば。
ちと真面目に語りますよ。

映画では、グリマおよび彼のボス、サルマン(←ぶっちゃけて申せば、悪い魔法使い)の「その後」は描かれておりません。
愛蔵版DVDの方ではどうなのか存じませんが、少なくとも、劇場公開版では。
が、原作の方では、諸悪の根源・冥王サウロンと問題の指輪が破壊され、
とりあえず世界に平和がもたらされた後にも、グリマ&サルマンの出番は用意されているのでございます。
(以下、引用は文庫本第9巻より)

闇の勢力に組みしていた二人は根城を追われ、乞食に身を落として野をさまよいます。
サルマンは、今や唯一の手下となってしまったグリマを絶えず罵倒し、打擲します。
グリマは「あいつが憎い!あいつから離れることができたらなあ!」と言いながらもサルマンに犬のように付き従います。
彷徨の途中出会ったガンダルフに「それではあいつから離れるがいい」と言われても
「蛇の舌はうるんだ眼に恐怖の色をみなぎらせ、ガンダルフをちらと見やっただけで」結局サルマンについて行くのです。

物語の最終版、故郷のホビット庄に帰り着いた主人公たちは、再び二人に出会います。
サルマンが「栄養も充分ゆきわたり、すっかり満足そう」であるのに対し
空腹を抱え、足を引きずり、「這うようによぼよぼと」歩を進めるばかりのグリマ。
サルマンに精神的・肉体的に虐待され続けていたことは明らかです。
それでもなおグリマは、残酷な主人から離れることができないのです。

例の指輪に蝕まれ、指輪を憎みながらも離れられなかったゴクリ(ゴラム)や主人公フロドとの類似性を感じさせます。
しかし、指輪を手にした者が容易にそれを手放せないのは、指輪の力や美しさが彼らを魅了し、惹き付けるからです。
つまり彼らを指輪に執着させるのは指輪のあらがい難い魅力であり、指輪との一体感、万能感といったものです。
他方、グリマをサルマンのもとにとどまらしめているのは、そうした心地よい感情ではなく、恐怖です。

セオデン王のもとを放逐されて以降、権力の後ろ盾を無くしたグリマ。友人などそもそもいないグリマ。
「悪人」ではあるものの、その卑小さゆえに、危険人物と見なしてすらもらえないグリマ。
サルマンにくっついていても、彼の存在を気に留める者もいなければ、気に病む者もいません。
しかしひとたびサルマンから離れたなら、グリマの存在を認めてくれる人間はこの世に誰一人いなくなってしまうのです。

全世界から無視されるという恐怖に比べれば-----生きながら「いないもの」にされてしまう恐怖に比べれば、
たとえ罵倒や打擲であっても、何らかのレスポンスがある方がマシなのです。

交流分析で言うところの「プラスのストローク(愛情、承認、賞賛など肯定的な働きかけ)が得られない場合、
マイナスのストローク(叱責、皮肉、暴力など否定的な働きかけ)でもいいから得たいと思う」という心理です。
虐待されるのは辛いが、関係を解消してしまうのはあまりにも恐ろしいのです。

だからこそ、フロドから「お前はここに留まってもよい」と声をかけられた時に
ようやくグリマはサルマンから離れる気になったのでしょう。

蛇の舌は一瞬ためらいを見せましたが、やがて主人のあとについて行きました。
「蛇の舌よ!」とフロドは叫びました。「お前はかれの後について行くには及ばない。わたしの知る限りお前はわたしに何も悪いことはしていない。ここでしばらく休息と食物を取ってゆくがよい。もっと元気が出て自分の好きなようにできるまで。」
蛇の舌は立ち止って、フロドを振り返り、喜んで留まる様子を見せました。
p.304

フロドの声は、グリマに、サルマンという虐待者以外の人間にも自分の存在を認めてもらえる、
いられる場所がある、という希望の言葉として響いたはずです。

サルマンはしかし、フロドの言葉をあざ笑い、グリマがホビット(フロドもその一人である所の小人族)の一人を殺したこと、
即ち、フロドに対して「何も悪いことはしていない」わけではないことを暴露します。
殺害を命じたのはサルマンだったのですが。

サルマンは地面にへたりこむグリマの顔を蹴り上げ、ついて来いと命じて歩み去ります。
自由を得るための希望を完全につぶされたグリマは、サルマンに後ろから飛びかかり、ナイフで喉をかき切ります。
そしてその直後、自身もホビットたちに矢を射かけられて絶命します。

ワタクシはこのシーンを読んだ時ばかりは、トールキンを恨みました。

登場人物のそれぞれがそれぞれなりに英雄的な振る舞いをし、
ワルモノはワルモノなりに凶悪な力を発揮するこの作品において
ひとりグリマは、善きにつけ悪しきにつけ、ヒーロー的な所がひとかけらもない人物です。
全くもって、救いようが無いほどに小悪党なのです。

だからこそ、救われてほしかった。


ところで
こうした視点で見てまいりますと、登場時の姦臣グリマと、終盤の被虐待者グリマでは
だいぶ違ったキャラクターのような印象を持たれるかもしれませんが
彼が一貫して持っている傾向があります。
それは卑屈さと、あらゆるものに対する激しい敵意です。

映画でグリマを演じたブラッド・ドゥーリフは、グリマの性向についてこう洞察しています。
グリマは醜い。グリマ自身そのことを自覚しているし、醜さゆえにいつも人にいじめられて来た。
そうした経験の中で、自らの種族を死に追いやるほどの敵意や、
人の心理を先取りして辛い目にあわないようにする狡猾さを身につけた。

けだし、数多くの変人やサイコパスや殺人鬼(チャッキー含む)を演じて来た俳優ならではの
役柄にリアルさと深みを与える洞察と言えるのではないでしょうか。


映画でサルマンとグリマの最期が描かれなかったのは甚だ残念ではございますが
ドゥーリフ氏が役柄への理解と洞察を持ってグリマを演じてくだすったことは
のろには大きな喜びでございました。

↓ドゥーリフ氏のインタヴュー
ロード・オブ・ザ・リング

↓ギャラリー。
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↓グリマのショットは主にここ。
Dourif.net Screencap and Image Gallery - Lord of the Rings:The Two Towers