のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『山口晃展 ~山口晃と申します 老若男女ご覧あれ~』

2012-11-20 | 展覧会
世界を損ない生を蝕むこの多大なる面倒くささよ。
すぐ目の前の課題に取り組むことすらすでに面倒くさく、
時間的空間的に遠くのことについて考えるのはなおさら面倒くさく、
問題が重大であったり深刻であったりするとさらに輪をかけて面倒くさい、
そんな罰当たりが世界の悲惨をよそに今日もだらだら緩慢に生きているからには、
やっぱり神様なんていやしないのですよ。そうは言っても今か今かと天罰を期待する日々。

それはさておき

2009年に開催された個展『さて、大山崎』以来、遅ればせながらの山口晃ファンとなったのろさん。美術館「えき」KYOTOで開催中の平等院養林庵書院 襖絵奉納記念 山口 晃展 ~山口晃と申します 老若男女ご覧あれ~へ行ってまいりました。

あっはっは。
やりたい放題万歳。

いえいえ、遊んでいるだけじゃないか、などと申したいのではございません。
いとも愉快な発想に彩られ、漫画的な様相を呈してはおりますが、氏の作品は高度な描写力と優れた構成力、鋭い世の中観察眼とおおらかな諧謔精神(そして旺盛な妄想力)に支えられた芸術であり、描線ひとつを取り出して見てもムムと唸らずにはいられぬ見事さでございます。

しかし、しかしですよ。
神社仏閣とハイパーメカ要塞が合体したような姿の大阪ドームですとか、乗用車やトラックに混じってさりげなく高速道路を走っている飛脚ですとか、レポート風に”電柱の美”を論じた連作『柱華道』などなど、氏がしれっとして紡ぎだす「ウソみたいなウソ」を目の当たりにしますと、技術よりも何よりも、そのやりたい放題かげんに、ワタクシはすっかり嬉しくなってしまうのでございますよ。
『柱華道』なんて、あまりにまことしやかで、完全に騙されているお客さんもおりましたよ。立派な屋根やら演台やら提灯やらが装備された電柱の図を前に、しみじみと「昔はこんなんやったんやねえ...」と。

ことほど左様に氏の作品はモチーフの面白さや描線の巧みさが秀逸であり、そうした細部に引き寄せられて、ついついずずいと近寄って細かい所ばかりを見てしまいがちなのでございますが、大きい作品に見られる端正な色彩感覚も、まことに結構なものでございます。本展の展示作品中ではとりわけ『當世おばか合戦 』が実にきれいでございまして、細部の鑑賞へと突入する前に、少し離れた所から全体を眺め渡し、その色彩のバランスに長らくほれぼれと見入りました。

大山崎での個展においても、可笑しさのあまり思わず吹き出してしまう作品がございましたが、本展で傑作だったのは2001年制作の『何かを造ル圖』でございます。

全体(拡大できないのが残念)
中間部分
左端

タイトルどおり、人々がより集まって「何か」を造る、その計画段階から完成に至るまでをひとつの画面に描いた、絵巻風の作品でございます。測量棒の赤白に始まり落成セレモニーの紅白幕に終わる、全体に渋めの配色もこれまたたいへん結構でございますね。実物はもっともっときれいなのですよ。

宇宙船のようでもあり、神社かなにかのようでもあり、結局のところ何なのかわからない「何か」を造るため、ある人は測量をし、ある人は力仕事をし、オタクは完成模型をつくり(たぶん)、現場監督は指示を出し、近隣の商店は小景気に沸き、どさくさに紛れてグラフィティ描きのワカモノまで現れたりして、なんだかんだあったすえ、いささかゲテモノ感漂う「何か」はめでたく完成...したらしいのですが、完成品を前にした、プロジェクトの出資者(たぶん)や現場監督の「どうしてこうなった」感の濃厚な表情がもう可笑しくて可笑しくて、ワタクシは一人で笑いをこらえるのに必死でございました。でもこういうものって、また吹き出しちゃうからよしなさい、という理性からの警告を遠くに聞きつつも、ついつい何度も見てしまうのですな。

展示の後半には新聞小説などの挿絵作品が並んでおりまして、いろいろなモチーフがいろいろな画風で展開されるさまを堪能できます。メカや人間はもちろん動物から建物から風景から、劇画風の表現やSF漫画っぽい絵まで、ほんとに何でもよく描ける人だなァと改めて感服いたしました。

そんなわけで

ぱっと見は何の違和感もない端正な絵でありながら、じっくり見て行くとあれよあれよとヘンな世界へ連れ去られてしまう山口晃ワールドにどっぷり浸ったのち、娑婆の空気を吸いながら京都タワーなぞ見上げますと、ゴゴゴゴという轟音とともにタワービルが整然と解体していつしかそこにはタワーを尖塔に頂いた和洋折衷巨大メカ要塞が出現

するかのような錯覚にふと見舞われたのでございました。



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