のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

鴨居玲 展

2006-02-03 | 展覧会
本日2月3日は、洋画家 鴨居 玲(かもい・れい)の誕生日です。
鴨居 玲 がどんな絵を描いたのか
知りたい方は、神戸市立小磯記念美術館で開催中の 鴨居 玲 展 へ、ぜひお出かけください。
(終了後は広島、長崎に巡回します)

タイトルを正確に申しますと「没後20年 鴨居 玲 展 -----私の話を聞いてくれ-----」。
おお、聞くとも、聞くとも、鴨居 玲!

のろが初めて鴨居 玲の作品にまみえたのは 
鴨居のコレクションを所蔵している、石川県立美術館においてでございました。

展示室に一歩入るや、ひとつの作品が目に飛び込んで来ました。

その瞬間、大きな円錐が 心臓に突き刺さって来たような 胸の痛みに襲われました。
文字通り ぐ さ り と来たのです。
その作品とは、これです。↓(部分)





作品のタイトルは「1982年 私」
そう、白いカンバスの前に、呆けたように座っているのは、画家自身です。
周りにいるのは、画家がこれまで繰り返し描いてきた人々、
よっぱらいや 老人や 傷痍軍人や ピエロたちです。
彼らは 描けない画家を取り囲み
ある者は 揶揄するように、空しいカンバスを見やり
ある者は 全く無関心な様子で、画家に背を向けています。

描 け な い 。

描けないけれども、描かねばならない。

描かねばならない、といっても「仕事だから」とか「締め切りが迫っているから」という
義務的な意味での「ねばならない」では、ございません。

画家にとって、描くことは 存在証明、生の証 だからです。
描くこと は即ち 生きること 
だから、生きるために 描かねばならないのです。
    生きているからには 描かねばならないのです。 

描かねばならない のに 描けない。
描けない。
描けない。
描けるモチーフがない。向き合う対象がない。
描けない自分と、向きあうしかない。

そうして遂に画家は、「もはや描けない自分」を描いてしまったのです。

何という自虐。
開いた傷口のように 痛ましく 恐ろしい 作品です。
しかし、目が離せません。

画家はどんな心持ちで描いたのでしょうか
自らの 絵筆すら持たぬ 力ない 手を。
どんな心持ちで塗ったのでしょうか
絵の中の 白く空しい カンバスを。

鴨居作品におなじみのモチーフである、よっぱらいや
老人たちを登場させたのは、自己パロディーであるとも言えます。
しかし、画面から渦巻くように発せられている
「描けない!!」
という苦悶の叫びは
パロディーと呼ぶにはあまりに切実です。


あるものに心引かれるが故に、何度もそのモチーフを描く、ということと、
心引かれるものが見つからないが故に、しかたなくおなじみのモチーフを引っ張り出してきて描く、という自己模倣とは
たとえ同じモチーフを描いたとしても 言うまでもなく 全く別の行為です。

しかし自己模倣という行為は、創作者が年齢を重ねていけば、
まったくそれを避けて通るというのは不可能ではないかと思います。
意識的にせよ、無意識的にせよ。
ある作風で一定の評価を受けていたならば、なおさらです。
その中に若干の不誠実さが含まれていても、描き(=生き)続けるためにやむを得ず、となれば
作者自身も、鑑賞する側も ある程度目をつぶってしまうものではないでしょうか。

鴨居が自己模倣することを自らに許していれば、かように苦しむことはなかったはずです。
「描けない」といっても、心を打ち込む対象が見つからない ということであって
よっぱらいや老人を 鴨居 玲らしい色使いで 鴨居 玲らしいタッチで 描く
ということは、「1982 私」に示されているように、もちろん可能だったのです。

それでも
鴨居 玲は、
描けないことに苦しんだ 鴨居 玲は、
自己模倣という行為の 不誠実さに 我慢ならなかったのでしょう。

描けない しかし 描かねばならない
という苦悶は、創作に対する誠実さ故の 苦しみです。


善男善女の皆様方、ぜひとも、この絵に会いに行っていただきたいのです。
他人の苦悶など見たくないと仰せられるやもしれませぬが
それでも会いに行っていただきたいのです。

なんとなれば
この絵は単なる「苦しみの吐露」ではなく
創作に対して 描くことに対して 即ち生きることに対して
誠実に 真剣に向き合った一個の人間の
生の証であるからです。



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