のろや

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『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』

2010-10-12 | 映画
『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』を観てまいりました。 実話を基にした作品で、タイトル通りのスパイものでございます。スパイと言えば冷戦ってなもんで、舞台はソ連。と申しましても、西側諸国からソビエトに侵入した切れ者エージェントがあの手この手で諜報活動をする、というようなお話ではございません。主人公のグリゴリエフ大佐はKGBの重要なポストに就いているれっきとしたロシア人でございます。妻があり、息子があり、そこそこ居心地のいい家もある。そんな身でありながら、国家の機密情報を持ち出しては密かに敵国フランスの情報局へと渡すという、銃殺隊がお待ちかね級のスパイ行為を何度も遂行するのでございます。

実話に基づいているだけあって、銃撃戦もなければ変装もカーチェイスもなくひたすら書類や図面をかすめ取っては運び人に渡すというグリゴリエフのスパイ活動はいたって地味。その分、日常生活と隣り合わせになったリアルな緊迫感がございました。屋内での会話は盗聴されているのが前提、外国人やその家族には当たり前のように監視人がついて身辺を探るというとんでもない監視社会のただ中で、危険を冒して情報を流し続けるグリゴリエフ。コードネームは「フェアウェル(さらば)」。



情報を「売る」ではなく「流す」と申しました。もしもばれたら命はないというほどの危険を背負っているにもかかわらず、グリゴリエフは報酬を求めません。フランスの諜報局からいくら欲しいと尋ねられても「お前らときたらすぐ金銭の話だな」と、ここは実に共産主義国の人らしいセリフで一蹴。では、いったい何のために? 「かつてこの国は素晴らしかった。だが今では行き詰まってる。体制を変えなきゃならない」スパイでもなんでもないのにひょんな事から「運び人」になってしまったフランス人技師のピエールに、グリゴリエフは言います。「俺は間に合わないが、息子は新しい世界で生きてほしい」

その息子はといえば反抗期まっ盛りで、親爺との仲はあまりかんばしくございません。ろくに顔も合わせず、言うことなすことにつっかかり、まさに家庭内冷戦状態。それでも、日常においてはなんとか息子と仲良くやろうとし、陰では何よりも息子の将来を思って、命をかけたスパイ活動を続けるグリゴリエフとうちゃん。孤独で不器用なその姿はいじらしくもあり、また哀しくもあるのでございました。かくのごとく本作は、20世紀最大級の情報漏洩事件とも称されるグリゴリエフのスパイ活動、およびその情報を受け取る米・仏の思惑という歴史上の動きを縦糸に、グリゴリエフと家族の関係という繊細な横糸を織り交ぜながら進んでまいります。

グリゴリエフを演じるのは何とまあ、のろの大好きなエミール・クストリッツァ監督でございます。無骨を絵に描いたような風貌はもとよりもっさりしたヘアスタイルもそのままに、KGB幹部やスパイである以前に一人の不器用な父親であり、頑固なまでにロマンチストでもある男を映画初主演とは思えぬ存在感で演じております。感情を抑えた演技であっただけに、最後に息子を固く抱擁するシーンでは期せずして涙がこぼれましたですよ。ううむ渋い、渋いよカントク。しかしこの人相で『黒猫・白猫』や『ウェディングベルを鳴らせ!』のようなハッピードタバタコメディを撮ったりするんですから,人間見かけでは分からぬものでございます。



平凡な技師でありながら世界を揺るがすスパイ事件に巻き込まれて行くピエールを演じるのは、クストリッツァとは対照的にソフトな風貌のギヨーム・カネ。妻や幼い子供たちのことを思えば、危険な運び人の役割からは一刻も早く身を引きたい。その一方でグリゴリエフの人柄や真摯な思いに惹かれ、葛藤を抱きながらも最後まで協力を続ける心優しい「ど素人スパイ」を好演しております。

世界を変えるなんてたわごとだと言い、面倒に巻き込まれることを嫌がっていたピエールがしぶしぶながらも協力を続けたのは、不器用な夫/父親であるグリゴリエフという個人に対して友情めいたものを抱き、息子のためによい世界を残してやりたいという彼の願いに感じる所があったからであり、国家やイデオロギーといった大仰なもののためではございませんでした。

しかし哀しい哉、スパイ活動の突端にいる彼らの間でどんな繊細な感情の往来があったとしても、情報の受け取り手である大国のお偉いさんたちにとっては、グリゴリエフは情報源のひとつに過ぎません。さんざん利用した挙句に彼を見捨てるCIAの長官を演じるのはウィレム・般若顔・デフォー。本作にはミッテランやレーガン、ゴルビーといったまさに国を動かす大物(の、そっくりさん、もちろん)も登場いたしますが、政治というもの-------今をときめく哲学者コント=スポンヴィルが、かの明晰さで「愛や道徳とは全く別の秩序に属するもの」と論じた-------を体現しているのは、むしろこの般若デフォー長官でございましょう。

『資本主義に徳はあるか』アンドレ・コント=スポンヴィル著 紀伊国屋書店 2006

結局グリゴリエフは超大国の政治に利用されただけだったのでございましょうか。
いえいえそうではございません。たとえ政治の非情さに絡めとられ、歴史の狭間に消えていく運命であることを知っていたとしても、グリゴリエフはやはり同じ道を選んだことでございましょう。それが愛するもののためにできる最大のことだったからでございます。彼の潔い生き様は、劇中で度々口にする「狼の死」という詩の中で、子どもたちを逃がすために犠牲となる父狼の姿にも重なり、観客の心に深い余韻を残すのでございました。