のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『大エルミタージュ美術館展』2

2007-04-25 | 展覧会
「ソビエト連邦」という列車が走っている途中、いきなり停車した。
見てみると列車の前のレールがない。
レーニンは自分でレールを敷いた。
スターリンは鉄道関係者を粛正し、囚人たちにレールを作らせた。
フルシチョフは「後ろのレールを外して前につければいいや」 と言った。
ブレジネフは周りに言った。「カーテンを閉めろ。そしてみんなで列車をゆするんだ。ほれ、走っているような気がするだろう?」
アンドロポフとチェルネンコは「レールが直らなければすすめない」と言って、何もしなかった。
ゴルバチョフは「レールがない!レールがない!」と世界に向けて叫んだ。
最後のエリツィンは列車をぶちこわした。

というロシアジョーク(ソ連ジョーク)がございましたっけ。
ぶちこわしたエリちんがお亡くなりになりましたね。
後をついだプーさんはこの列車をどこへ向わせているんでございましょう。
自分の乗っている列車の行く先も 甚だ 不安な昨今ではございますが。

さておき。
4/22の続きでございます。

人物が主役であった「家族の肖像」セクションを抜けて
第二セクションのテーマは「人と自然の共生」でございます。
大画面の風景画が多い中、見逃していただきたくないのが
22.5×29cmと、本展の中で最小を誇るファンタン・ラトゥールの 花瓶の花 でございます。

小さいながらも充実した美しさを放つ作品でございます。
ササッといとも簡単に描かれたように見えますし、事実そうなのかもしれませんが
花々の、それぞれに異なる花びらの質感がそれはもうみごとに表現されておりまして
飽くことなくいつまでも眺めていられます。
バランスのとれた色彩構成に清楚な白づかいがたまりませんね。

解説パネルのよると、ラトゥールは「花を魂のある生き物と見なしていた」ということですが
さもありなんと思わせる、花たちがひっそりと息づいているような名品でございます。

さて、ラトゥールといえばギュスターヴ・クールベに指事し、
マネモネといった印象派の巨匠たちと同じ時代を生きた人でございます。(『オルセー美術館』に彼らの集団肖像画が来ていましたっけね)
クールベさんや印象派が出て来たあたりから
画家はモチーフの選択をより自由に、自らの裁量でもって行うようになったわけでございますが
その後印象派への反動を経てキュビズムが登場する頃には
さらに一歩進んで、モチーフの何を描き、何を描かないかの取捨選択を
画家がより自由に、意識的に行うようになっていったのかしらん と 思いましたのは、
同セクションにピカソの『農夫の妻』(←中ごろまでスクロールしてください)が展示されていたからでございます。
人物の表情も、背景も、小道具類も、全く描かれてはおりません。
身につけている衣服の質感も、繊細な陰影の描写もありません。
しかし
幾何学的なまでに簡略化された手足や、重厚な色彩は
どっしりとした、この人物の大地に根ざすがごとき存在感を
余さず描き出しております。


そうそう、それからこのセクションには
ギュスターヴ・ドレの油彩もございまして、のろはびっくりいたしました。
ドレといえば銅版挿絵画しか存じませんでしたので
大画面で、勢いあるタッチの風景画には実にもって驚かされました。



あと一回続きます。