のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ダリ展』2

2007-04-04 | 展覧会
なにゆえ野村アナは降板なのでございましょうか。降板というより単に移動なのかもしれませんが。
いえね、NHK「新日曜美術館」の話でございますがね。
かの ”はな”嬢、即ち、多くの番組ファンの眉根を大々的に寄せしめた彼女ですら
3年あまりもーーーそれ以上だったでしょうかーーーあのポジションを去ることがなかったというのに
ナンジャコリャな服装をすることもなくナンジャソリャな発言をすることもなく
まっとうに任をはたしていた野村アナがたった1年で移動とは。
もしかして好評につき石澤アナが復帰したりして と
むなしい期待を抱いてみましたが、これはむなしいままに終わりました。さすがに出戻りはないようでございます。
ま、いたしかたございません。今は後任のかたの司会センスに、期待を寄せることにいたしましょう。

さておき
3/31の続きでございます。

本展を締めくくっておりますのは、ダリが発表した最後の絵画
『無題(燕の尾とチェロ)』(←上でぴかぴかしている”Click Here”は無視してください) でございます。

画面いっぱいに
四方を鋲でとめたキャンバスを描きこんでいるような。
またワタクシはこの四方の縁取りが、キャンバスの縁であると同時に
舞台における袖幕やどん帳のようにも見えるのでございます。
キャンバスの縁にしても舞台の幕にしても、日常と非日常(絵画空間/芝居)の境目にあるものでございます。
絵画の限界点であるキャンバスの縁は、日常と、絵画の中の世界を空間的に仕切るものである一方
幕は日常と芝居を時間的に仕切るものでございます。
幕が上がれば芝居が始まり、幕が下りれば芝居は終わる。
キャンバスの縁、あるいは舞台の幕は、「お芝居は、創造された世界は、ここを持って終了します」というサインでございます。

ダリ最後の作品である、という前知識ゆえの先入観かもしれませんが
ワタクシにはこの作品が「これでもう、ダリ・オン・ステージはおしまいですよ」という
ダリのメッセージのように思えるのでございますよ。

ちなみに本作が描かれたのは1983年5月のこと。 (1983年・・か・・・・・)
ダリが亡くなったのは、1989年1月23日です。
最後の作品制作から没するまでの6年間は何をしていたのかと申しますと
プボル城という所に引きこもって、ひたすら隠遁生活を送っていたのでございます。
このお城は、ダリのミューズであり守護神であり支配者でありマネージャーであったガラ、
1982年に他界した妻、ガラに、ダリ自らがプレゼントしたお城でございます。

絵を描き、文を書き、デザインをし、世界にその姿をさらし続けた人が
それら全てのことから身を引いて、6年の間、何を思って暮らしていたのだろう?
と 考えますと、なんともやりきれぬような、切ない心地になるのでございました。

と まあ しんみり いたしましたところで
会場を一歩出ますとそこはミュージアムショップ。
「売れるキャラクターとしてのダリ」が炸裂しております。
ダリの白黒顔写真をそのまんま使ったダリうちわなぞもあり。
即ち、こういうもの ↓ でしたが。



ダリというキャラクターだからできるこってございますね。

のろはものを失ったり捨てたりするのがずいぶん嫌なたちでございますので
そもそもなるべくものを持たぬようにと、日頃から(一応)心がけているのでございますが
今回はなかなかに心くすぐられるものがございまして、購入してしまいました。いえ、うちわではございませんで
これでございます。



ダリグラス&ダリカップ。
この写真では見えづらいのですが、ショットグラスの方にもしっかりヒゲがはえております。
そしてこのグラス、ちょっとしたいたずらが仕掛けられているのです。
即ちこのような。

ずん




ずんずん




うきゃーーーーーっ




蠅。