のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『王と鳥』

2006-11-18 | 映画
ご報告が遅くなりましたが『王と鳥』を見てまいりました。

あらすじは公式サイトを見ていただくとして。

映画「王と鳥」公式サイト

細やかな動き、セル画アニメーションならではの手作り感、そして音楽が大変、大変よろしうございましたねえ。
王 と 鳥、というよりも王 V.S 鳥でございまして
この対決がそのまま 圧政者の暴君 V.S 自由を求める者 を象徴しております。

そもそも悪役大好きののろは、暴君だろうと何だろうと
容姿にコンプレックスを抱えた孤独な王様がかあいそうでならず
彼を何らかのかたちで取り込んだハッピーエンドであってほしい、と願っておりました。

結局王様は、最後までワルモノとしての使命をまっとうして、ワルモノらしく立派に去って行かれたのでした。
ああ、かあいそうな王様。


王が 悪 なら、王に追われる恋人2人を全面的にサポートする鳥は 善 なのか、といいますと
これが単純にそうとは言い切れないんでございます。
鳥は自由で機知に富んだトリックスターであり、口のうまい扇動者でもあります。
鳥の、権力を向こうに回しての立ち回りは実に痛快なのですが
個々の行動には「それでいいのかな?」と、見る者にフと不安を抱かせる側面もあります。

では恋する若者たちはどうかというと、これはただただ恋しているだけであって
性格的な特徴はほとんど描かれません。
悪 ではないけれども、とりわけ 善 を担っているわけでもないんでございます。

これに対して明らかに 悪 である王様は、より目でちんちくりんの容貌にひどくコンプレックスを持っていたり
羊飼いの娘をいかにも愛おしげに眺めたり
子犬なんかをかわいがっていたりと
意外と人間的でございまして、
実は本作の中で最も深みのあるキャラクターとなっております。
ちなみに、あんな顔ですが動きはエレガントです。そこは王様ですから。

明らかに悪であるキャラクターは愛すべき側面を持っている一方
王に嫉妬され追われる若者たちにはこれといった性格付けがなく
明確に善を象徴する、いわば絶対善のキャラクターは、そもそも存在しない。

魅力的で善なる主人公が、無人格で非情な悪者をやっつける、という
いわゆる勧善懲悪型のお話とは逆のかたちとなっておりますね。
そう、本当は「悪役」ってものは、悩んだり、人を愛したりしちゃいけないんでございます。
そうしたらやっつけにくくなってしまいますからね。
やっつけたい相手は 悪 の 枢 軸 でなくっちゃ、都合が悪いってわけでございます。 

こんなわけでいわゆる「善玉」は存在しないのですが
のろが 美しいな と思った人物が1人おりまして
予告編にはチラッと姿を見せるだけの、盲目の手回しオルガン弾きでございます。
この人物は空も太陽も見えない最下層の街に暮らしながらも
いつか「鳥たち」がやって来て、人々に自由がもたらされるという言い伝えを信じております。
街に迷い込んだ若者2人が、この世には太陽や月や鳥が本当に存在することを街の住人たちに教えてやると
オルガン弾きは------彼自身は何も「見る」ことはできないにも関わらす------、
「いい伝えは本当だったんだ、何もかも見ることが出来るんだ!」と大喜びするのです。

象徴性に富む本作において、オルガン弾きは
希望と芸術の力を象徴するキャラクターであるように、のろには思われました。
もっとも見方によっては、何の根拠もない言い伝えを「盲目的に」信じたり
扇動者の導きに「盲目的に」従ってしまう人間の象徴と考えることもできるのですが。

最後に。
「こういう絵はちょっとな・・・」とお思いのアナタ。
お気持ちはわかります、のろも絵だけ見たときは、正直「引き」ました。
しかしどうぞ一度、予告編で動く画像をご覧くださいまし。
きっとお考えが変わりますとも。
「劇場用予告編」と「公式サイト限定予告編」がございますが
「公式サイト限定」のほうをお勧めいたします。
最後に出て来る王様の表情がね、とっ てもいいんでございます。