のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『三つの個展』

2006-08-23 | 展覧会
何ですと。
米タワレコ が倒産ですと。
これ即ち、あの タワレコ様 が無くなってしまうということでございますか?

のろが クラウス・ノミやガレージシャンソンショーやノー・スモーキング・オーケストラやザッハトルテのCD、および
ヘルツォークのビデオや『SUPER8』、そして おお、『ノミ・ソング』のDVDを買い求めたあの タワレコ、
他の店には無くてもここならきっとあるという期待をいつも裏切らなかったあの タワレコ が
無くなってしまうと?

いやいや、日本国内タワレコはすでに米本社からは独立していて、経営に問題はないとのこと。
いやはや。
ほっ。

それはさておき。

ご報告が遅くなってしまいましたが、

『三つの個展 伊藤 存 今村 源 須田 悦弘』(国立国際美術館 ~9/18)に行ってまいりました。

NMAO:国立国際美術館

ひとつのテーマに基づいた展示、というわけではございまでんで
個性も表現手段も異なる、3人の若手アーティストの作品を一堂に集めた展覧会でございます。

断片的なイメージの重なり合う大画面の刺繍とアニメーションで
独特の世界を展開する、伊藤 存氏。
炊飯器やTVといった日用品をベースに、控えめで時にミニマルでありながら
ユーモアの漂う作品を制作する、今村 源氏。
スーパーリアルな木彫で、身近な植物の繊細かつ堅牢な美を表現する、須田 悦弘氏。

こう申しますと、てんでバラバラな印象をお持ちんなるかもしれませんが
美術館HPや本展のチラシの紹介文にもありますように
三者の間には緩やかなつながりと申しますか、共通した雰囲気が感じられます。

有機的な造形
浮遊感
静謐さ
あるいは、物語性を感じる方もいらっしゃるかと思います。
共通項が何であるかは、鑑賞者のアンテナがどんなものにより強く感応するかに依っておりましょうね。

のろのアンテナにひっかかりましたのは、途上にある感でございます。

生成から消滅に至る、あるいは、ある状態から別の状態へと移行する
今まさに、その途上にあるような感じでございます。

伊藤氏の画面に散らばるイメージ-----木のこずえ、草むら、魚、山なみ、動物の足跡、などなど-----、
それ自体ではとりわけ何を象徴するでもないパーツたちは
断片化され、互いに重なり合い、不思議な色彩感覚で展開されることで
それぞれが、語られない物語の一部分のような雰囲気を帯びて現れます。
私達には知らされない、おのおのの「今まで」と「これから」の狭間で
ふと邂逅したかのように。

今村氏の作品は、無機的なものから有機物が生成しつつある現場をとらえたかのようであり、
もともとの機能から解放されて別のものになりつつある、日用品たちの胎動の場面のようでもあります。

朽ちかけた葉や虫食いの痕までも緻密に表現され
しばしば、高所から はらり と落ちかかった姿勢で展示される須田氏の作品は
すでに死へと向かっている、あるいはこれから生の盛りへと向かう
進行形の生の途上にある植物たちのポートレイトです。

こんなわけで
のろには、いわば「途上/移行中」感がとりわけ心に残ったのでございますが
これは、のろが未だ「おおこれからどうして生きてゆこう、何処へ向かっているのだろう」
などと考えているせいやもしれません。

どんな感想をお持ちになるかは鑑賞者しだいでございますが
広い展示室に散らばる作品たちは、全体にさわやかな印象でございまして
処暑にはぴったりの展覧会でございますよ。
同チケットで入場できる『金子潤展』とコレクション展もよろしうございました。
(のろの好きなモランディもドナルド・ジャッドおりますし)
9/18まででございます、ぜひお運びくださいまし。