のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

「ローズ・イン・タイドランド』1

2006-08-02 | 映画
テリー・ギリアム監督最新作「ローズ・イン・タイドランド』を観て参りました。
ギリアム節と申しましょうか、現実とファンタジーの交錯する世界が展開されておりました。

ローズ・イン・タイドランド




現実とファンタジーの交錯といえば、近年ヒットした
ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』も思い出されるところでございますが
『ビッグ・フィッシュ』において、ファンタジーが平凡な日常生活を美しくいろどるための手段だったのに対し
ギリアム作品の登場人物たちにとっては、ファンタジーとは
堪え難い現実をなんとか生き抜くための、必死の対抗手段なのでございます。

彼らはーーーサラリーマンにしろ、大学教授にしろ、ジャーナリストにしろーーーファンタジーで武装して
ままならぬ現実と戦い、あるいは現実から身を守るのです。
わたくしたちが、子供の頃にそうしたように。

そして本作は、まさにそうしたファンタジーの大家である、「子供」が主人公でございます。

上映が始まってものの15分と経たないうちに
主人公の少女ジェライザ・ローズは、とんとん拍子に孤児となり、頼れる人はおろか食料すら無く、
大草原の真ん中の荒れた一軒家にたった1人取り残されます。
彼女の境遇は、はたから観るとかなり悲惨です。
しかし彼女は素晴らしい想像力/妄想力を発揮して
その絶望的な現実の中を、唯一の友たるバービー人形(の、頭)を片手に軽々と泳いで行きます。

オソロシイことに、彼女以外の登場人物ーーー大人たちーーーも全員、
おのおののファンタジーにどっ ぷりと浸かって生きております。
それぞれのファンタジーがぶつかり合い、交錯した時
事態がとても良い方向へとスパークすることもあれば
急転直下に悪い方向へと転がり落ちて行くこともあり。

「潮時」や「歯止め」というものを知らなかった子供に頃に、しばしば体験したあの感覚
楽しかったはずのものが、次の瞬間には恐ろしいものに変わる
というあの感じがしっかり描かれております。

一方、かわいらしい少女が主人公とはいえ
アルプスの少女ハイジや少女パレアナ的な、「純真無垢で健気な少女」という幻想は、ここにはみじんもございません。
まあ、テリー・ギリアムにそれを期待する人もいないこってしょうが。
(↑ハイジ等お好きな人はごめんなさいね。きっと貴方は良い人間なのですよ。のろはヒネクレ者の悪人でございまして、こういうのダメなんでございます。)

げにも、いまだ善悪の彼岸の住民である子供に於いては
純真 は 残酷 と同義でございます。
子供の世界には
嘘も、秘密も、打算も、悪意も、無邪気さと矛盾することなく存在しております。
それと共に、あまたの暗いファンタジーの住人たちもまた、ビビッドに存在しているのでございます。
魔女、死神、吸血鬼、幽霊、巨大サメ、殺人虫、おそろしい陰謀、そして世界の終わり。

この、清濁併せ持つ残酷な純真と
しなやかな妄想力があるかぎり、どんなに意地悪な現実も
ジェライザ・ローズに手出しはできないのでございます。

続きは次回。