のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ヨコハマメリー』

2006-08-14 | 映画
まさかこのヒネクレのろがねえ
『マイ・ウェイ』を聴いて涙することがあろうとは、思いもいたしませんでしたよ。
人生賛歌を馬鹿にする気はございませんが、流布しつくし消費されつくしたこの歌を
斜に構えずに聴くことは、のろにはちと難しいのでございます。

しかし、自身の死を目前にひかえた、シャンソン歌手の永登元次郎(ながと がんじろう)氏が
「ハマのメリーさん」のために歌う『マイ・ウェイ』は
初めて聴いた曲のように新鮮で、深い感動をもってのろの心を打ったのでございますよ。

やがて私も この世を去るのだろう  長い年月 私は幸せに
この旅路を 今日まで越えてきた  いつも 私のやりかたで

こころ残りも 少しはあるけれど  人間(ひと)が しなければならないことならば
できる限りの 力を出してきた  いつも 私のやり方で

あなたも見てきた 私がしたことを  嵐もおそれず ひたすら歩いた
いつでも 私のやり方で

人を愛して 悩んだこともある  若い頃には はげしい恋もした
だけど私は 一度もしていない  ただ ひきょうなまねだけは

人間はみないつかは この世を去るだろう  誰でも 自由な心で暮らそう
私は 私の道を行く
  (岩谷 時子 訳)


『ヨコハマメリー』は戦後50年間、何者にも属することなく
フリーの娼婦という生き方を貫いた女性、「メリーさん」を巡るドキュメンタリーでございます。

ヨコハマメリー公式サイト TOP

歌舞伎役者のように顔を真っ白に塗り、真っ白なドレスに身を包んで
横浜は伊勢佐木町の街角に「立ち」続け、横浜の風景の一部になっていたメリーさんは、1995年のある日忽然と姿を消します。

メリーさんはどこへ行ったのか?
そもそも、メリーさんとは誰だったのか?

映画はメリーさんと関わった人たちーーー彼女を支えた人、彼女とケンカした人、
彼女を拒否しなければならなかった人、彼女をモデルに創作した人、などなどーーーの証言で綴られて行きます。

実を申せば、観る前には若干の不安がございました。
のろは横浜の街を知りませんし
証言の中で主に語られる「戦後の混乱期」も、その後の高度経済成長の時代も経験しておりません。
舞台となっている土地も時代も知らないのろが、監督の「地元・横浜への親しみがこもった作品」(紹介文より)を観ても
共感も理解もできないのではなかろうかと。
他人様のノスタルジーをスクリーン越しにチラと覗き見する程度の体験にしかならないのではないかと。

それでも劇場に足を運んだのは、全財産の入ったカバンひとつをたずさえ、住む場所も持たない身でありながら
プライド高く義理堅く、「ほどこし」は決して受けなかったという
メリーさんの生き様を見たかったからでございます。

結論を申しますと、観る前の不安は全くの杞憂でございました。
素晴らしい作品でございました。
本作は 戦後・横浜 という、ある街のある時代の記録であると共に
何よりも、自分の生を精一杯生きた人間の記録なのであって
人の営みや人情の機微に含まれる 悲しさ、温かさ、不思議さ は、場所も時も選ばない普遍的なものでございます。
その営みが、どんな特殊な道筋を辿ろうとも。

自分について語ることがほとんど無かったメリーさん。
証言をかき集めても、彼女の多くの部分は謎のままに残されております。
しかと分かったことは、彼女が高いプライドを常に保ち続けていたこと、美しいものを愛する人であったこと、
そして、あるアメリカ人将校を愛し、彼の思い出を大事に持ち続けていたこと。

おそらくは米国へと帰って行くその将校とメリーさんの別れの場面を、
舞踏家の大野慶人氏(大野一雄氏の息子さん)が回想しておられました。
船と波止場の間に色とりどりの紙テープが渡され、船がいよいよ出ようという時
「きんきらさん」ーーー大野氏はメリーさんをこう呼んでおられますーーーが
息せき切って駈けて来て、去り行く将校と抱き合い、口づけを交わしたと。
まるで映画のワンシーンのようだったと。

全身を白く塗り込めてパフォーマンスをする大野氏は
演じる際に身体を白く塗るのは「自分」を消すためだ、とおっしゃっております。
真っ白いドレスをまとい、地肌が見えないほど真っ白くおしろいを塗り重ね、
本名も年齢も明かさず街角に立ち続けたメリーさん。
彼女は、横浜伊勢佐木町という舞台の上で、”街の女・メリーさん”というパフォーマンスを演じ続けていたのでしょうか。

映画のいちばんおしまいに、横浜から身を退いて故郷の養老院で暮らす
メリーさんの姿が、スクリーンに現れます。
末期がんに冒された身である親友、永登元次郎氏の歌声に
うなずきながら耳を傾ける、”メリーさん”をやめたメリーさんは
ハッとするほど美しいおばあさんでございました。

あの、きれいというよりむしろグロテスクな白塗りの仮面で
いったい何を隠していたのですか、メリーさん?

やがて私も この世を去るのだろう  長い年月 私は幸せに
この旅路を 今日まで越えてきた  いつも 私のやりかたで
あなたも見てきた 私がしたことを  嵐もおそれず ひたすら歩いた
いつでも 私のやり方で・・・

メリーさんの生が幸せなものであったのかどうか、のろには分かりません。
むしろ辛いことの方が多かったのではないかと思われるのです。

けれども
緩慢に生き、生きたという感覚も無いまま死んで行きそうなのろにとって
「自分を演じ続けた人」の生涯は
傷ましくも強烈に輝いて見えるのでございますよ。

ううむ
いつもながら、はなはだまとまりの無い文章になってしまいました。
この作品の魅力をよりよくお伝えする能力を持たないことが口惜しうございます。
思い入れが深くなるのと比例して、感想が書きづらくなってしまうのでございますよ。
そういえば『グッドナイト&グッドラック』も『ホテル・ルワンダ』も『アマデウス ディレクターズカット』もご紹介せずじまい・・・
言い訳でございました。
失礼。