仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

孤独病

2017年12月03日 | 現代の病理
一昨日の“寂しいという病”の続きです。『孤独病 寂しい日本人の正体』(集英社新書・2015.10.21片田珠美著)を図書館から借りてきました。

少しこの本から、現代人の孤独について学習してみます。
本の最初のページは、現代的な家族の一場面から始まります。

先日ファミリーレストランに行った際、奇妙な光景に出会った。
 私の向かいのテーブル席に高校生と大学生くらいの二人の子どものいる四人家族か座っていたのだが、彼らの間では家族の会話というものがほとんど交わされなかった。料理のオーダーを終えると、父親も母親も二人の娘もみなそれぞれ自分のスマホを取り出し、料理が運ばれてからも、ほとんど両面を見なから食事をしている。その間、ずっと無言である。
 目の前にいる家族としゃべることかないのなら、そもそも家族で一緒に行動する必要などないではないか……。そんな思いにかられながら、私はちょっと不気味な家族から目を離すことができなかった。(以上)

無言な状況を否定しがちですが、私はむしろ、皆が無言であることを気にかけず自然体であれば、それはそれでいいのだと思います。

本の中では孤独の人が増えた要因を次のように説いています。
 
まず挙げられるのが、資木主義の影響である。

資本主義というシステムは、モノに限らず、家事や育児など人が本来無償で行ういかなる行為もサービスや商品に変えてしまう。

現代人の孤独感を生み山したもう一つの大きな要因は、資本主義の発達に伴うライフスタイルの変化によって地縁や血縁が希薄になったことだろう。(以上)

いまや地縁や血縁で結びついたコミュニティはほとんど崩れかかり、人は個人という最小単位に分断されてしまった。組織に所属しなくても、仕事さえ選ばなければ簡単にお金を嫁ぐことができるし、食べ物も簡単に手に入れられる。
 人か個人という単位で完結し自由を謳歌する生き方は、血縁や地縁に束縛される不自由さを嫌い、そこから抜け出すことで得たものだ。それを可能にしたのが資本主義のシステムだ。だが、旧い社会システムを捨てることは、その代慣として孤独と向き合わなければいけない上き方を選ぶことでもあったのだ。(以上)
そして“自己愛が孤独を増幅させる”と次のようにあります。

孤独病にかかる人は概して自己愛のベクトルか強い。自己愛が強いほど自分のほうばかりに目が行き。他人のことには関心が持てなくなる。そうなると他人との関係は深まらず、孤立の傾向を強めていくことになる。自己愛の誤使用は、孤独を増幅させることにつながるのである。(以上)

そうした自己愛を持った人間が増える理由を
1. 家族の単位が小さくなり、主観の相違がなくなった。
2. 教育現場での悪しき平等教育。
3. 万能感
4. 社会が異物を排除する過度の衛生思想の浸透。
を挙げといます

ご参考までに。
コメント
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