仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

寂しいという病理

2017年12月01日 | 現代の病理
『毎日新聞』夕刊(29.11.30)に特集ワイド“「死にたい」気持ち分かって”という特集記事の中に、若者の悩みに耳を傾けるNPO法人「BONDプロジェクト」代表の橘ジュンさん(46)へのインタビュ-記事が出ていました。

「BONDプロジェクト」へ若者からのSOS電話が毎月100本あるという。次のようにあります。

鹿児島などに住む女性犯人から電話が寄せられた。相談は深夜3時まで続いた。全国から、SOSはやまない。橘さんは言う。「みんな『寂しい』という病です。1000人いたら1000人がそう。居場所がなくて寂しいというのは、全員に共通している」(以上)

記事を読みながら若者の上に何が起きているのだろうという思いを持ちました。富裕化の中で、満たされないものがあるようです。

H・エリクソンは、幼児期に基本的な受容、つまり常に満たされる体験が欠落してしまうと基本的な信頼が欠損する。この基本的信頼が不十分だと自分自身を信じることができず、自分を信ずることが出来ないと、その人は将来に対する希望を持つことが出来ないと言っています。

またウィニコット(1896~1971)は「一人でいられる能力」ということ説いています。ウィニコットは、イギリスの小児科医・児童分析家で、40年以上にわたり6万例の臨床経験を基盤に、独自の視点から母子の対象関係論を発展させた人です。

ウィニコットが教える「一人でいられる能力」は、乳幼児期に開発されるものだそうです。常に親が自分のことを守ってくれているということを体験として理解した乳幼児は、物理的に親が傍にいなくても、いつしか善意に溢れた心地よい環境に深く安心し、ひとり遊びが出来るようになる。この安心感を伴ったひとり遊びは、悲観的な孤独体験とは全く正反対で、安心して自ら未知の世界へと向かって行くことのできる孤独だといいます。この能力によって、人は他者と居ることでひとりでいられるようになり、ひとりでいられることによって他者と一緒にいられるようになるのだそうです。
「一人でいる能力」とは、〝一人でいても一人でない〟といった感性です。逆に、一人でいる能力が阻害されると、「独房に監禁されていて、それでも一人でいることができないということがありうる。こうした人が、いかに苦しむかは想像を超える」とウィニコットは語っています。

「寂しいという病理」にあえぐ人は、 “基本的信頼”“一人でいられる能力”といった最も人間にとって基本的な基盤が損なわれているようです。その原因は何か。
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