石巻工・阿部主将の選手宣誓が話題となっています。 宣誓文はチームメートから盛り込みたい言葉をホワイトボードに書いてもらい、自分で考えた文章に織り交ぜて作ったという。
私もすばらしい内容であり宣誓の態度であったと思います。特に特筆すべき個所は「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです」です。“答えのない悲しみ”この内容をどうとらえるか興味深いところです。
本来的に人は、老いること、病むこと、死んでいくことなど、答えのない悲しみを抱えて生きています。仏教ではこの世で、その答えのない悲しみに対して答えを出そうとする営みが仏道修行であり、満点の答えが仏に成るということです。
仏教に限らず、満点の回答は無理でも、どこかで折り合いをつけて受け入れていきます。ところが浄土教は、答えのない悲しみを抱えたまま、その存在を如来にゆだねていこうとする考え方に立っています。
その浄土教の極まりである浄土真宗は、答えのない悲しみは、人間本来の構造的な逃れがたきものであり、その悲しみの実感を通して、その悲しみの存在に対応して下さっている阿弥陀仏の大悲に開かれていく仏道です。
ここに答えのない悲しみを持ちながら仏の世界に質的な転換を遂げていくという、今までの仏道の概念を超えた道があります。真宗用語でいえば“信心開発(かいほつ)”であり、凡夫の奥深くに流れている仏の大悲の源泉に到達していくのです。宣誓の言葉を聴いて連想したことです。
選手宣誓全文
宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。
しかし日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう。日本の底力、絆を。われわれ高校球児ができること。それは全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
私もすばらしい内容であり宣誓の態度であったと思います。特に特筆すべき個所は「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです」です。“答えのない悲しみ”この内容をどうとらえるか興味深いところです。
本来的に人は、老いること、病むこと、死んでいくことなど、答えのない悲しみを抱えて生きています。仏教ではこの世で、その答えのない悲しみに対して答えを出そうとする営みが仏道修行であり、満点の答えが仏に成るということです。
仏教に限らず、満点の回答は無理でも、どこかで折り合いをつけて受け入れていきます。ところが浄土教は、答えのない悲しみを抱えたまま、その存在を如来にゆだねていこうとする考え方に立っています。
その浄土教の極まりである浄土真宗は、答えのない悲しみは、人間本来の構造的な逃れがたきものであり、その悲しみの実感を通して、その悲しみの存在に対応して下さっている阿弥陀仏の大悲に開かれていく仏道です。
ここに答えのない悲しみを持ちながら仏の世界に質的な転換を遂げていくという、今までの仏道の概念を超えた道があります。真宗用語でいえば“信心開発(かいほつ)”であり、凡夫の奥深くに流れている仏の大悲の源泉に到達していくのです。宣誓の言葉を聴いて連想したことです。
選手宣誓全文
宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には苦しくて、心の整理がつかず、今も当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。
しかし日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう。日本の底力、絆を。われわれ高校球児ができること。それは全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
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