仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

小説の醍醐味

2012年02月28日 | 日記
読売新聞(24.2.28)文化面に、映画『阿弥陀堂だより』の原作者、南木佳士(なぎけいし)さんの「デビュー30年―表現の欲を越えた悟り―」という題でインタビュー記事が出ていました。

ネットからの引用ですが「阿弥陀堂だより」最後は次の通りです。

谷中村に来て1年。今朝も美智子は孝夫の作った大盛りのコロッケ弁当を持ち、スニーカーを履いて腹を突き出しながら歩いて診療所に出かけた。
軒下の段ボールの小屋で無事冬を越した2匹の子猫たちが庭でじゃれ合っている。
南に向いた畑の土手にフキノトウが芽を出した。
 川から吹く風に淡く土の匂いがして、たしかな春の訪れを告げていた。(以上)

同氏の「ダイヤモンドダスト」(1989年 芥川賞受賞作品)も最後は綺麗な描写で終わっています。

周囲が明るすぎるので目をこらしてみると、水車の上にキラキラ光るものが舞っていた。標高の高いこの町では、冬の寒い朝によく見られるダイヤモンドダストだった。空気中の水分が凍結してできた微細な光の粒は、いざなうように灰色の空に舞い昇っていた。
 すべてのものが凍りついた庭の中で、動くものといえば、無意識に手をつなぎ合った和夫と正史の吐く白い息だけだった。冷え続ける大気は、もうすぐ2人の息も光の粒に変えそうだった。
正史が大きなくしゃみをした。(以上)

最後をどう終わるかが小説の醍醐味でもあります。

ちなみに拙著小説『親鸞物語―泥中の蓮花―』は、次の通りです。

枕許には開いた檜扇(ひおうぎ)の上に最後まで筆を入れ続けた『顕浄土真実教行証文類』が置かれてあった。顕智がふと『顕浄土真実教行証文類』に目をやると扇の二十三枚の板に思いが至った。檜扇の板数は、公卿二十五枚、殿上人二十三枚、女子三十九枚と定められていた。
――思えば聖人は、御身の上を何ら語ることなく、慈悲深き阿弥陀如来のましますことだけを告げて往かれた。このお方は直人(ただびと)にましまさず。
そう思うと感涙の雫が落ちた。(以上)

この小説に出てくる親鸞聖人の檜扇(ひおうぎ)は、叔父の範綱と青蓮院で別れる際に頂戴したものでした。

別れに際し伯父範綱は、愛用の檜扇を渡して言った。
「扇は下端の要があればこそ姿を保つ。御身も仏の要道に直参し後の人を導く人となるべし」
治承五(一一八一)年、慈円を戎師としての出家、範宴九歳の出来事である。それは以後二十年の比叡での修行の始まりでもあった。(以上)

私の場合は、すこし芸が細かすぎて、そこまで読み切る人はいませんでした。たぶん。
(続く)
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