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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

西郷どん➀

2018年05月23日 | 浄土真宗とは?
NHKで放送中の大河ドラマ『西郷どん』は、奄美大島編です。2011年2月に書いたブログですが、今が旬なので再投稿します。

境内で茶屋営業が許可されている店は「舌切茶屋」と、その西にある「忠僕茶屋」です。両店とも、店の名前に由来と逸話がある。

「忠僕茶屋」は、清水寺の月照(成就院の第24世住職)の下僕・大槻重助(-1893)が開設した店です。重助は、幼少の頃より月照に仕えた。月照は、文化10年 (1813) に生まれ14歳の時に成就院に弟子入りし、 天保6年 (1835) に住職の座に就いた。 その後、 弟の信海に住職の座を譲り、 自らは幕末期の尊王攘夷運動にかかわります。

安政5年 (1858) の 「安政の大獄」 で幕府側からにらまれる存在となった月照は、 身を守るため京都を離れて薩摩藩へ下る。そのとき重助も伴をします。

苦労の末にたどり着いた薩摩藩であったが、受け入れ拒否にあい、月照は、 西郷隆盛と一緒に錦江湾で入水自殺を図ります、重助らが二人を懸命に救い上げ、近くの民家にかつぎ込んで介抱しますが、西郷はたすかりますが月照は死去します。今でも 清水寺では毎年、 月照の命日の11月16日に 「落葉忌」 法要を営んでいると聞きます。

清水寺境内で重助が茶屋を営み始めたのは、 月照入水事件後、 幕府側に捕らえられ、 京都で約半年間の獄中生活を送ったあと、月照を慕う気持ちから、同寺境内にあった茶屋 「笹屋」 を買い取り、 店を営みながら月照の墓を守り続けたといいます。

 その後、重助は、 西郷隆盛らの援助を受けて茶屋を改装。 同寺から茶屋の営業権を保証され、 屋号は 「忠僕茶屋」 と改めて今日に至ったお店です。重助の子孫が営業しているそうです。
(つづく)
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