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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

夫婦の呼び名をめぐる問題

2024年06月25日 | 日記
『いつもの言葉を哲学する』(2021/12/13・古田徹也著)から。以下転載。

夫婦の呼び名をめぐる問題
 古びてきた言葉、時代にそぐわなくなってきた言葉は、ほかにも数多く挙げることができる。たとえば「未亡人」は、夫に先立たれた女性を指す、独特の雰囲気を帯びた伝統的な言葉だ。しかし、この言葉には元々、「夫と共に死ぬべきであるのに、未だ死なない人」(日本国語大辞典第二版)という意味合いがある。そのため現在、この言葉の使用を控える傾向が社会のなかで強まっている。また、「処女作」は一九世紀本頃から流通している言葉(欧米のmaiden work等の翻訳語)だが、私は少なくとも自分で使うことには抵抗感を覚えるようになったし、世問的にも使用頻度が下がってきているように思われる。
 夫婦の呼び名は、おそらくいま、多くの人が生活のなかで実際に困っている問題ではないだろうか。「主人」も「旦那」も「亭主」も、「家内」も「嫁」も「奥さん」も、家父長制的な伝統や男性優位の観点を色濃く映し出す言葉であり、これらの言葉の使用を避ける人が年々増えていることは間違いない。そして代わりに、「夫」、「妻」、「連れ合い」、「パートナー」といった言葉が用いられる傾向も見られる。ただ、こうした変化は一般的な傾向とまでは言えない。関西で生まれ育った研究者から直接聞いた話では、彼が帰省して小学校の同窓会に出席したとき、「うちの妻が……」と言った途端、その言葉が場で非常に浮いてしまって、「さすがインテリー(笑ごなど)」と周囲にからかわれたという。ちなみに、彼以外の男性妻帯者は皆「嫁」という呼称を使っていたらしい。
 いま特に難しいのは、相手の夫なり妻なりを呼ぶ場合だ。「ご主人は……」とか「奥様は……」と呼ぶのはどうかと思っても、代替となる言葉がなかなか見当たらない。「お連れ合い様は……」だと、客を案内する店の人のようだし、「パートナーさんは……」と言うのも、どうも不自然な感じになってしまう。下の名前で「茜さんは……」などと呼ぶという手もあるが、そもそも名前を知らなければ使えない方法だし、相手との関係性によっては馴れ馴れしい感じや失礼な印象を与えかねない。たとえば私自身はいまのところ、時と場合に応じて多様な呼び方をぎこちなく使い分けているというのが実情だ。(以上)

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